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映画『チタン』は私には刺さらなかった。

ごきげんよう。雨宮はなです。
頭にチタンプレートの刺さっている女性が主人公の映画『チタン』、私にはあまり刺さらなかったものの興味深く鑑賞しました。刺さらなかった理由と興味関心を惹かれた内容について、複数回に分けて投稿します。
今回は第0ですが、今作は「刺す」がキーワードの一つだと思うので、あえて使って文章にしてみましょう。

※この記事は映画『チタン』公式による「完全解析ページ」を閲覧せずに書いたものです。
※ここから先はネタバレを含みますので、ご了承いただける方のみ読み進めてください。
※残虐なシーンや性的な描写について扱っています。苦手な人はご遠慮ください。

試写会直後の感想

試写会を終えてすぐ、私は次のような感想を持っていました。

設定はぶっ飛んでいるが、結局のところ「自己」の認知やゆがみ、それの原因として親子関係があるという内容にしかみえなかった。そのゆがみは父親側にもあり、親であってもひとりの人間であることとやり直しのチャンスを得られること、そして「サークル・オブ・ライフ」から外れることがないという終わりに見えた。
チタンは抱えた闇や、引き継がれるネガティブな要素の具現化であり、見えるように見えないところにある、衝撃でズレて致命傷になるのはまさしくその通りだと思った。

今も変わらない部分はありますが、メモを読みながら思い返すことで当時よりは面白い作品であるという印象に変化しています。
ではなぜ、「刺さらない」と結論付けたのか。理由は単純で、想像していたものとは違っていたからです。

ゲテモノを期待しすぎていた

予告編やTwitterを見て楽しみにしていたのが「車とのセックスシーン」でした。「車でのセックスシーン」ではなく、です。「in the car」ではなく「with car」です。どう表現するのか、主人公が女性ということは車は実物ではなく男性性という意味なのか。興味関心をくすぐられ、非常に楽しみにしていたのです。ほかにも、トンデモシーンが展開されるかもしれないとわくわくして試写会の日を待ちました。

試写会が終わり、帰り道に私は少しがっかりしていました。その理由を考えると、「ゲテモノじゃなかったからだ」という結論に落ち着きました。Twitterで評判をみると絶賛されていて、監督の背景や巨匠との関連に触れられていることに気づきました。映画に全く詳しくない私にはちんぷんかんぷんで、そこで初めて「この映画はゲテモノじゃなく、尖った芸術作品なのだ」と知ったのです。

確かに予告編はおしゃれ感満載で、重めな映像だったもんなぁ…と反省しました。

興味を持った事項

シネフィルと呼ばれる人たちのような観方や評論ができない私ですが、人間というものを考える材料として興味を持ちました。

①「性」について

車とのセックスシーン
心理学的な男性と女性の描写
父性と母性
心の生き方としての「性」
ダンス=性行動?

②「生」について

生きる
生む
生まれる

③チタンについて

頭に埋め込まれたチタンプレート
簪というキーアイテム

④家族について

機能不全家族
父親に診せるということ
家族を捨てる自由
家族を選ぶ自由

さいごに

次回はこの作品において「性」についてあれこれ考えたことを投稿します。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。


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