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ロマンスが会話する、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』

ごきげんよう。雨宮はなです。
冬に向けてロマンス熱が上がり始めている私です。
そう、ロマンスが旬の季節になってまいりましたよ。
ただ人様の恋模様を眺めているのも楽しいですが、この作品は眺めている間に「自分ってどんな人間なんだろう」「自分はどんな恋愛をするんだろう」と考えることを楽しむこともできます。

『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』
監督:リチャード・リンクレイター
出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー

今回は私がこの作品の中で好きなシーンや台詞を紹介することで、この作品の魅力を伝えたいと思います!

「誰も知らない死は素敵」

ドナウ川の水死体を葬る”名もなき人々の墓”を訪れた際、セリーヌが言う台詞です。
この台詞には「それは死んでいないということ。消えただけ」と続きます。

誰にも知られずに死んでしまうなんて悲しくて怖ろしいことだと普段ならば思うのですが、そんな解釈もあるのかと目から鱗でした。
事件や事故に巻き込まれた、という状況でなく、自分で選んで作った状況なのだとしたら…なんだか猫のようで、寂しいけど希望の持てるさよならだと思ったのです。

死んだことを知ってしまうとそれから先がなくなってしまいますから、暗く重く、ふとしたときにのしかかってきます。
「きちんとお別れがしたい」と言われることがあるかもしれませんが、「今頃、どうしているかしら」と思ってもらいたい相手に対しては消えてしまう方がよろしいかもしれないと考えた台詞でした。

「技術の進歩が時間を節約する。自由になるどころか余計に忙しくなるだけ」

時計の話をしながら、ジェシーが言った台詞です。
このセリフを聞いたとき、思わず拍手をしてしまいました。

似たようなセリフを様々な作品のなかで見かけることがあります。
たいていは「せっかくできた、欲しかったはずの余剰の時間にまた何かを詰め込んでいっぱいいっぱいになって、余裕を欲しがり始める」というような台詞や状況に流れていきます。

時間という概念を意識して、それを周囲とあわせて使いながら生きて、その時間を節約できたとしたら、出てきた余剰を余剰として私は使えるだろうか。
それとも、何かをするための余剰を作るのにいっぱいいっぱいで、余剰と思える時間はすでに作成された予定を当てはめるためのものだというだけではないのか。
もしそうなら、自分には余剰がなくていっぱいいっぱいで嫌だなぁなどと考えたのでした。

「人は生きる上で”もっと愛して”と願っているのではない?」

セリーヌが自分の価値観や考え方ををジェシーに語る台詞のひとつです。
全文はこんな感じ。

「自立した女性になろうとしてきた。
 男性にかしずくだけの人生なんて、嫌だから。
 でも、人を愛し愛されることは、何よりも大切よ。
 人は生きる上で、”もっと愛して”と願ってるんじゃない?」

これを素直に受け止められるか、自分に落とし込んでその欲求を叶えるための思考と言動をとれているかで、その人の幸福度はずいぶんと変わりそうです。
愛し愛される相手は欲しいし、もっと愛されたいけど、そのために捨てる自分はないぞと言い切ってしまって良いのだと衝撃を受けた台詞です。

この後あたりから、なんとなくセリーヌの賢くて思慮深くはあるけれど、「所詮はいいとこのお嬢ちゃんが与えられてきたなかで一所懸命考えました」って感じの意見展開になっていくのが面白かったです。

綺麗ごとが本当におおくて、理想論者なセリーヌ。
でも自分は理知的な情熱かなのであって、何も考えていない人たちとは違う…とでも言いたげな彼女のことばや表情の観察だけでも楽しめました。

風景と会話を楽しむロマンス映画

途中、食事やお酒を飲むのに座って過ごすシーンもありますが、この映画の見どころというか特徴のひとつは、やはり「歩く」ことにあるでしょう。
自分も一緒に散歩をしているようなペースでゆっくりと変わっていく風景がちらちらと美しさを主張しています。

二人の会話は途中攻撃的になったりするものの、使うことばや内容から、「自分を知って欲しい」と思っていることはもちろん「相手を知りたい」と思っていることがよくわかります。

自分にもそんな理解者がいれば素敵なのに、なんてことを考えたりしてみつつ、今日はこのあたりで。
みなさま、ごきげんよう。

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