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【試写レポ】『頭痛が痛い』オンライン試写会【32_2022】

ごきげんよう。雨宮はなです。
今回はチネマットさんのキャンペーンに当選し、タイトルのセンスにたまらなく惹かれた『頭痛が痛い』をオンライン試写させていただきました。正直、タイトルだけで「きっとよい(良い/好い)作品に違いない!」と踏んでいたため、あらすじもなにも読まずにぶっつけ本番で鑑賞しました。

※今回は公開前ということを踏まえ、ネタバレのないよう頑張って作品について紹介します。

現代日本の写し鏡のような作品

最近、妙に「いま」を美化せずに描く作品が増えたように感じています。私がそんなに映画を観る人間じゃないから気づいていなかっただけかもしれないですが。美化されているのは主人公やヒロインの外見だけ。それに関しても、最近は一般人が妙に整っている人が多くて芸能人との境界があやふやになっていたりして、うっかり隣人の生活がそのままスクリーンに投影されているんじゃないかと思ってしまうこともあるほど。

今回はまさしくそのケースで、実生活の中にいると整いすぎていて違和感を覚えるけどとても現実的な外見をした2人の女優さんによる、非常に頭痛が痛い物語でした。キャラクターをつくるほうが難しいのではないかと思える正反対でそっくりな2人。この2人の存在がすでに「この作品は写し鏡なんだよ」と教えてくれます。

しょうもない彼女たちをつくったのは「大人」だ

今回の主人公たちは高校生ですが、未成年であって「子ども」です。「大人」な部分も持ち合わせていますが、まだ「子ども」です。守られるべき存在です。そう思わせるシーンがこの作品にはしょっちゅう出てきます。それはつまり、「子どもが十分に守られていない」というメッセージです。

十分に守られていない彼女たちはどうなるか。リスクなんてお構いなしに顔出しでライブ配信をしたり、赤の他人の家に謎の手紙を投函しまくったり、手を取り合って家出をしてみます。非常に子どもじみた、しょうもない行動です。でも、彼女たちとしてはそれが最善と思える、考えたり感じたりした結論なのです。もってるものの中のベストが「しょうもないもの」だった。それはなぜか?そう育てられたからです、与えられたもちものがそれだったからです。

では、そうしたのは誰か?「大人」です。父親と母親をはじめ、祖父母に教師、電車にたまたま乗り合わせたサラリーマン、スーパーで目の前を塞いだままのオバサン。
もちろん、この記事を書いている私もそうです。この映画を上映することに決めた劇場の支配人も、観に来た観客もそうです。私たち「大人」が彼女たちをつくったのです。

一番の責任はもちろん親にあります。ですが、この作品に出てくる親は驚くほどに「敵」なのです。他の大人も「敵」。もう、笑っちゃうくらい彼女たちにとって「敵」で無意識に攻撃しているのです。
そんな敵たちからどうにか”自分”を守ろうとしてリストカットをしたり、家出してみるのです。

養育環境を整えて、自分の想像しうる状態に適応させることを「子育て」だと勘違いしている大人のなんと多いことか。自分の理想とする子供の状態かどうかを確認し、その情報を提示して”そうなっているよな?と念押しすることを「コミュニケーション」だと思い込んでいる大人のなんと多いことか。

自殺したくなったり、自分を慈しまない行動をとり続けたり、爆弾をかかえさせたのは間違いなく「大人」なのです。

本当に、「頭痛が痛い」。

主人公が女子高生2人だから、どうしても彼女たちを追ってしまいます。それは間違いではないでしょう。彼女たちが感じているものだと思うのです、「頭痛が痛い」って。でも、それってどういうことかと考えると、「あぁ、なんて社会=大人のつくったものはしょうもない」なのではないでしょうか。

夢も希望もない。だって、もぎ取られてきたから。純粋さや信用なんてない。だって、穢されてきたから。
あぁ、なんて、頭痛が痛い。

それに気づいたつもりで正義漢ぶってるのも、自分の話を聞いてくれないからって他人の命を「どうでもいい」扱いするのも、年齢を確かめたうえで保護しようとしないのも…なんて、頭痛が痛いんだろう。

さいごに

彼女たちの行く末と、最後に見せる表情がどう続いていくのか…私はどうしても暗い想像ばかりしてしまいました。観終わったあとに思わず出た「うわあ…。」という言葉は取り繕うこともできず、自室にひとりで観たことを幸運に思いました。

スクリーンを前に大人である自分を反省することになるであろう『頭痛が痛い』は、6月3日(金)よりアップリンク吉祥寺にて上映開始!

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