2017年のわたしの怒り

2017年6月26日の怒り。


 今日は出版社の面接だったんだけども、散々だったので。本当ならいつものように、最大の理解者であり応援してくれている母に愚痴を言いたかった。わがままを通して上京して就職できずにいる手前、これ以上うまくいっていない現状を口にするわけにいかないので、今回は絶対に泣きつかない。同じような理由で家族全員ダメ。友人はそもそもわたしのこんな話をしてもつまらないだろうと思うからナシ。そうなるとメモを残してこの悔しい悲しい情けないきもちを取り置くしかできないのだった。

 出版社に勤めたのは、合計すると1年弱。出版社2社とデザイン会社1社を半年ずつで辞めている。それぞれ理由があるものの、この半年という短い期間はわたしのウィークポイントだし、それは自分でもよーーーーくわかっているつもりだ。ただ、まだ若いしこれから腰据えるつもりで就活してんだよ、という思いも強くあることが大前提である。

 最近の面接って、本人の経歴や人柄以外の、どうにもならない事柄で判断してはいけないことになっている。要するに家族の職業や年齢、あとは宗教などのことだ。今までのどの面接でも、だいたいは聞かれなかった。

 今日の面接では、初老の男性が椅子に座っていて、その傍らにおそらくその妻であろう女性が立っていた。まず聞かれたのは大学、出身地、そして両親と姉の職業だった。父にいたっては年齢も。社長と思しき男性は、いかにも社長といった感じで、横柄で頑固そうな人だったので、「こんなこと聴いてますけど大丈夫ですか?」と女性の顔を伺った。止めるだろうと思ったからだ。結局そしらぬ顔だったので答えたけれど。父の勤め先まで聞いてきた。自慢の父だからこそ、こんなところで出したくなかった。こんなおっさんに値踏みされたくない。

 その後は経歴を説明し、転職の理由を尋ねられた。わたしは、1、2社目を辞めた理由としては、会社のほうが悪かったと今でも固く信じている。編集部の瓦解と配属先の転向、あとは勤務条件。2社めに至っては、残業は100時間超だし休日はほぼイベントスタッフや兼業のカフェのバイトでつぶれるのに月給は15万だった。手当ナシ。そんなの続けてられなかった。

 結局、社長の口からでてきたのは「実家に帰って結婚しろ」という言葉だった。それも、「自分があなたの父だったらそう言うだろう」などと言う。幾重にもショックだった。わたしは母校の芸大を選んだのは文章に強い芸大だったからであって、東京芸大への希望はなかった。だって目指すための学ぶものがそこにはない。選んだんだ。それなのにこのおっさんは「東京芸大に行けなくてこんな京都の芸大で……、それならおとなしく実家に帰って結婚したほうがお父さんも安心だろう」と言う。わたしは自分が通った大学では自分のやりたいことを学んだし、他人から才能のない負け犬呼ばわりされる筋合いはない。わたしの父は子どものことを大切に思っているから、就活や一人暮らしが辛かったら実家でのんびりバイトでもしながら好きな暮らしをしてもいいよとは言っても、無駄な挑戦はやめて地元で家庭を持って両親のために生きろなんて口が裂けても言わない。

 東京芸大以外の芸大を出た女は、母になるしか人生がないのか? 一兵卒を雇っても仕方がないと言われ、二十四にして自分のチャレンジを鼻で笑われる。

 あまりにも様々なものをバカにしている。

 悔しくて、オフィスを出たあと、トイレに飛び込んで泣いた。

 帰り道、悔しかった理由を反芻しながら、悲しくもなった。バカにされて悔しかったけれど、悲しくなったのは、退職の理由を話したときの、そんな程度で辞めたのか、というような表情のせいだ。

 他人から見ると、根性がないように見えるのだろうか。耐えなければならないのか。わたしはそれでも一生懸命働いたし、身体も壊したし交通事故も起こしたし、本当に限界だったのだ。おかしな就労状況でも頑張り続けなければ、わたしに価値はないのか。ずっと目標にしていた上京に伴って、新しくスキルを生かして努力しようとするのは、価値のある人間だけしか許されない行為なのか。

 なんか、すっかりわからなくなっちゃったな。

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