インド日記

大学生のときに、一週間ほどインドにいきました。当時つけていた日記をそのまま載せます。途中で終わっているのは、現実がつらくて自分が恥ずかしくなったからなんだろうな。

一日目
深夜にデリーに着く。空港を出たらたくさんのツアー案内人のインド人が待っている。ビルさんは、インド人だけど肌はそんなに黒くなく、たぶん北のほうのひとなのだと思う。日本語が上手でいいひとだったけど、当然ながら他のインド人とヒンディー語でしゃべるので、そういうときは騙されてたり嗤われてたりしたらどうしようと思ってしまう。ツアーの同行者は、埼玉から来た夫婦。インドは初めてらしく、チップに関しては一緒にオロオロする。
車でサイアムホテルまで連れて行ってもらうが、道中ひと気のすくない場所は犬かギャングしか徘徊していなくて、とにかく怖すぎる。ひとも怖いけど、私はうろつく犬が怖かった。
部屋はまあ普通のビジネスホテル程度。世話してくれた男の人はすごいいいひとだったのに、チップのことがよくわかってなくて、たった10ルピーしかあげられなかった。しょんぼりしててかわいそうなことしたなあと思う。
不安しかないと思ってて、犬を見てさらにびびったけど、概ねインド人は笑顔で接してくれるし、ツアーということもあり、とにかく騙そうと考えているのだ、とは思えなくなってくる。就寝、朝までぐっすり。

二日目
朝起きると、外からはひとの声とかいろいろ聞こえて来て、朝日もあいまって、こわくないいい場所だなーと思った。どこを見てもインド人。
朝食は大陸風・アメリカ風・インド風があって、私たちは後の事も考えてアメリカ風を選ぶ。ティーはもちろんインディアン・ティー。トーストと卵、チャイという簡素なものだったけど、とにかくおいしかった。本場のチャイのおいしさに、それだけで来た甲斐があった!とおもう。毎日飲む気持ちがよくわかる。
それからチェックアウトをして、車に乗って夫婦と合流。チェックアウトの際に、ひとりひとりカウンターで写真を撮られる。しっかりしたホテル。
この日はデリー市内の観光がメイン。いろいろな観光地を見て回る。ストライキがあったせいで、人出が少なくて観光しやすかったらしい。いつもはもっと多いのだそう。ガンディーメモリアルで、中学生に握手を求められる。外国人観光客ってそれだけで珍しいのだろう。あとは記念撮影を一緒にと言われ、かわいい女の子と写真を撮る。
昼食は、日本人がたくさん利用しているらしい高級レストランでカレーとタンドリーチキン、シシカバブを食べる。コーラ。カレーはおいしいけどあとからくる辛さで、口がすごく痛くなる。ヒリヒリする状態で、その場にある唯一の水分・コーラを飲んでもアルコールのような苦さしか感じられずにミスチョイスを悔やむ。けど、食後のチャイがまたおいしくて、まろやかで、飲んでいるとすっかり治った。
駅に向かって、そこから寝台列車に乗る。二日間の運転手さんとはお別れ。愛想はそんなによくなかったけど、優しかったので一緒に写真を撮ってもらえばよかったなあと思う。ポーターからの申し出を断り、各々荷物を運ぶ。
売店で水を買うも、5ルピー多く取られる。まあいいか。二等ACと書いてあったのに、三等ACになっててアレーと思う。同じコンパートメントのひとがまだ来ていないので座ってガイド含めた四人で談笑する。私はすっかりビルさんを信用してたし、インドも思ってたより全然こわくないし楽しいところだと思い始めていたので、他のふたりがまったく楽しそうでなく、むしろ私の警戒心のなさに引いていたということに、何とも言えない気持ちになる。前行った香港のツアーもこんなものだったし、お金を払ってるのだからよほどのことがない限り、そうおかしいことにはならないものだと思っていたから、帰りたいと言われて、じゃあ何しに来たんだと思う。なにか騙されることがあっても、お金をすこし多く取られるくらいなら全然許容範囲内だし、それもいい経験になると思ってた。
ふたつ隣のコンパートメントに、大阪から来たHISの女の子ふたりと、個人で旅行してる女の子がひとりいた。バックパッカーのほうは英語もノリで話せるし、旅慣れてるので、頼りになるなあと思ったし、私もいつかそういう旅がしてみたいなあと思うことがあるので、参考になるなあと話を聞いていた。ら、ふたりとも好きになれないタイプだと言うし、助けてもらってるのにそれはないと思う。
トイレは想像よりずっとキレイで、トイレ待ちをしてたらインド人の母娘とナマステーって挨拶出来たし、なかなか楽しい。現地のひとにとっても私は外国人で、観光客で、物珍しいと思われるのは仕方ないなと思う。あちらもすこし引いているところがあるので、あまりこわいとは感じない。
同じコンパートメントの男の人は英語がしゃべれる。わざわざゆっくりしゃべったりわかりやすいように言い換えたりして、困りながらも会話しようとしてくれた。三人のなかではちかちゃんがいちばん英語力がある。自分の不甲斐なさに悲しくなった。コンパートメント内のいちばん下の女性ふたりも英語がしゃべれるらしく、彼に、英語が話せたら友だちになれたのにねって言われて、本当に、真剣に英語を勉強しようと思った。パパについてアメリカとか行くことになったときは、自分のことは自分で出来るようになっていたい。現地で友だちとか出来たら嬉しい。
ちいさなゴキブリとか出たけど、概ね快適な寝台列車だった。ただ、狭いから寝る以外では首とか腰にだいぶんくる。
寝台列車で車内販売のチャイを飲むのが楽しみだったのに、何が入ってるかわからないのに信じられない、正直引いたと言われてもうやめた。彼はチャイ売りが通るたびに「ハナズチャイ」と言っていたらしい。

三日目
寝台列車は無事バラナシに到着。朝起きてみるとふたりともとても元気で、なんだこれと思う。眠気もあいまって本気で腹立たしかったので、到着まで何が何でも寝てやると決める。インド人の男の人が降りるときは流石に起きて、またチャイって笑ってくれて嬉しかった。握手をしてお別れ。ビルさんが来てくれたけど、昨晩のふたりの話のせいでいろいろつらかった。その割に楽しそうに話していて、昨晩のはなんだったの?と思う。
バラナシ到着。バラナシは田舎町ということで、虫も牛もたくさんいたし、汚くて臭かった。ごちゃごちゃしていて、道もガタガタで、車中なのにアトラクションみたいだった。ホテルは普通のビジネスホテル程度。一泊目と比べて、室内はキレイだけどバスルームは汚かった。トイレは手で水を流すインド式。シャワーを浴びるも、カランしかでないので野生に戻った気分でしゃがんで水浴びをする。コンタクトを入れてなかったおかげか、ただ慣れて来てるのか、汚いという気持ちはなくて、むしろ楽しかった。うっかり水道水で歯磨きをしたし、ついでに洗濯もした。
朝食はコンチネンタル。毎食どうせカレーだと考えているので、選択肢があるときは他のものにしたいなあという気持ち。インドのトーストはちいさくて薄いので何枚も食べられる。チャイは相変わらず本当においしい。ダンニャワード、とボーイに声を掛けると嬉しそうに笑ってくれる。
バラナシの観光に行く。モールがあるというのでモールに連れて行ってもらうも、コレジャナイ感はんぱなかった。
世界遺産?の遺跡で子どもの物乞いに腕を引かれる。あげたほうがいいのか、あげたらダメなのか、本当にわからなくて泣きそうだった。誰かに一度でも肯定されたら絶対にあげるのに、ふたりは肯定しない。あげて何になるのか、とかそういうことばかり考えてるなんて、たとえそれが正しいのだとしても、私は絶対に嫌だと思った。私は人を信じることができるし、人を信じたいのだと気づく。物乞いはかわいそうだと思うし、出来るならなにかしたいと思う。上から目線の憐れみだとしても、それでも怖いしかわいそうだから、あげないよりはあげたほうがいいのではないかと考えてしまう。きっと愛されて何不自由なく育ったからこういう風に考えられるのだと思う。
いろいろ回って、最後にシルク工場に連れて行ってもらう。サリーを着せてもらって写真を撮る。おいしいチャイもご馳走になり、当然たくさん商品を見せられる。なんか買ってもいいかなあとか思ってると、夫人が嫌がってるのをみてビルさんは帰るよとセールスをぶった切る。こういうガイドさんは大抵買わせることを考えているし、こちらもそれを覚悟してきてるはずなので、この対応には本当に驚いた。ここまでいいひとなのはさすがに怖いとまで思う。この時点まで、出会うインド人はとにかくいいひとだらけで、これから何か起こるのではないかと気が気じゃない。
これからバラナシで大きなインド名物のお祭りがあるけどオプションどうする、と言われて、かなり行きたかったしそのためにバラナシ来たようなところあったのだけれど、ふたりは全然行く気がないらしくて、結局断る。本当にもうこのひとたちとは旅行行きたくないなと思う。
部屋でのんびりする。
晩ご飯はインド風中華で、辛くないしかなりおいしかった。けど、インド人の視線がつらいので、いつものようには食べられなかった。現地のひとからしたら、大好きな自国の料理を拒否されるのは本当に嫌な気持ちになることだと思う。これからはそこでしか食べられないものを、おいしいおいしいと食べることにしようと誓う。
寝るまで三人で話す。価値観とか物の考え方のあまりの差に驚いた。なんでそんなに悲観的で厭世的なのか、さっぱり理解できない。自分の生き様を嘆いてもどうしようもないし、嘆くだけならさっさと死ねばいいだろと思う。私は特定の誰かと沿うことはできないタイプなので、恋人だけいたらいいみたいな話はバカなのか?としか思えない。そんなに自分が大切なら自分をかわいそがってればいい。
インドに来て、考えさせられることが人間性に深く関わることなので、もっとしっかり自分を持って生きて行こうと思える。自信を持っていい。


四日目
6時にでてガンジス河に向かう。現地のひとに混ざってガンジス河に歩いて向かう。臭いも音も、汚さも肌身で感じられてよかった。物売りに会うも、頑なに断る。後悔する。あとあと考えたけど、口に出して同意を求めたら馬鹿にされて嫌な気持ちにしかならないので、これからは自分でやりたいなあと思ったことは自分の責任において実行したい。
ガンジス河をボートで移動する。とにかく朝日と朝靄がきれいだった。河岸の火葬場では人を燃やしていたし、ガンジス河のなかにはお坊さんの死体も流れている。灰が辺りに満ちていたし、たくさん吸い込んだと思う。この国は生き死にが身近にあるのだなあと実感する。
お寺なんかを観光する。朝日のさす静かな寺院内は、インドに住み着くひとがいるというのも納得させられる穏やかさだった。無宗教でも敬虔な気持ちになれるし、清々しい。インドの神様について調べてみようと思う。
朝ごはんはインド式のビュッフェにする。プーリーはすごくおいしかった。ついついフルーツを食べてしまったけど、多分コンフォートだったしおいしかったから後悔はしていない。なんでそんなにキリキリするのかわからない。それなら日本から出なければいい。
もう観光は終わりなので、自由にマーケット行っていいですよと言われて、じゃあと歩いて向かってみたものの、リキシャーの断り方が難しいし、無視するのはかわいそうにおもえてしまってつらかった。しかも、ふたりは何もしたいことはないというし、本当に何しにきたの???としか思えない。ビルさんに頼んで屋台のチャイを飲む私をふたりは遠巻きにみてるし、なにがいけないのかもはやわからない。本当に、本当に、ふたりは一体なにをしにインドまできたのか。チャイはすごくおいしかったし、カップももらえた。うれしい。
斎藤夫妻と話をする。海外旅行もっと行きたいーと思う。ふたりはもう一生国内旅行してれば?としか思えない。寝台列車初日の夜の態度は、旅行中に絶対してはいけないものだったし、そんなことができる神経が理解できない。
絶対に英語力つけて、たくさん海外旅行に行く。
寝台列車に乗る。物乞いはどうしても辛い。何もあげない私たちをジロジロみてくるインド人の視線が辛い。あげたいならあげれば?って言える神経もおかしい。付き合えない。
寝台列車は日本人男性ふたりと一緒のコンパートメントだった。ビルさんはノリのいい男性ふたりと楽しそうに話している。このときの彼をみて、このひとは心底からいいひとなのだなと思った。明日から、ビルさんについてインドについてもっと教えてもらいたい。彼らの話でいろいろ勉強になった。
ついでに、物乞いはあいなの言った通りの現実だったみたいで、でも、やっぱり私は割り切れない想いを持ち続けるのだろうなあと思った。私は気が小さいけどひとがいい。びびりなだけの偽善者。

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