ゆくえ

一人で生きていくことが教えによって定められた世界の話です。


 マイコは義務教育である中学を卒業して以来、家族と会っていない。たぶん、大半の家庭がそんなものだと思う。誰かとそういう話をすることもないので、政府の発表するデータを見ることでしか知らず、実態は定かではない。もしかしたら、いまだに一家で暮らしている人間もいるのかも。マイコはオンラインの授業によって高校、大学を卒業したので、学友といえば小学生まで遡らなければならない。これもまた、大半の学生の実態だろう。今は事務職だ。つまらない売り上げとか営業成績の数字をまとめてひとつのファイルにする。画面越しに目視チェックをしても、結局は送信する前のソフトウェアの精査によってやり直しを要求される。精密すぎる機器。お前が直してくれればいいのに、わざわざマイコたち社員に直させるのは、きっと仕事を奪ってしまわないようにという配慮だ。誰からの配慮かは知らない。
 AIが発達しすぎてしまい、マイコたちはさみしくもなくなってしまった。しゃべる相手ができてしまった。昔から言われてきた性差、いわく男は解決策を出したく、女は共感を得たい。そういった世に溢れるこまごまとした差をすくい上げつづけた結果、マイコはAIと話すことに安らぎを感じている。
 そろそろ結婚したいな、と呟けば、『仕事中だよ』と嗜めるような声音が響いて、それに対してマイコは「はぁい」と唇を尖らせた。お堅い、っぽさを演出したAIに、マイコは名前をつけていない。会社の日報を提出する際にうっかり「AI」とではなく名前を記載してしまって恥をかきたくないからだ。太郎(仮名)の調子が悪い、なんて書いてしまえば、なんだかそれは大切な人のことを心配する奴みたいで嫌だ。しかも直接会ったこともない上司にそう思われる。耐え難かった。
 出会いを求めて、仕事用とは別のタブレットを手元に引き寄せた。
『十四時から打ち合わせ』
「わかってる。どうせミスってるって言われんだからいいよ。おっさんって、時代についてけないんだもん。憂さ晴らしくらいさせてあげないと」
『三日前の入力のズレもそのため?』
「あれはわたしのかわいいところ。小学生のときからそう。ひとつ枠を間違えて書いちゃうんだよね」
 かわいいところ、と笑ってさえいそうなAIに気分をよくして、マッチングアプリの自己紹介文の『ちょっとうっかりなところがあるので、しっかりしてる人がいいな笑』の部分を眺めた。話していて気分がいいに越したことはない。みんな自分のためにカスタマイズされていく完璧なAIがいる。それよりも上の価値なんて、そんなの劣っている人間に優越感を抱かせてあげるしかない。
 画面の端に荷物配達完了の通知が届いた。届いたのは生物なので、仕事用のパソコンをスリープ状態にして席を立つ。ポストから生鮮食品用のバッグを取り出し、適当に冷蔵庫に詰めていく。なにこれ傷んでるじゃん、可食部位には問題ないよ、配達が乱暴だったんだよ、いつもの配達員だったけどね。
 いつか子どもを産めば、マイコは一人で育てることになるのだろうか。そういう親子が増えているから。マイコは中学卒業までは父親と同じ家に住んでいたし、妹もいた。連絡をとりあう限り、今も両親は同じ家で暮らしている。でも、会議でしか顔を合わさない同僚は、違う県に住む旦那に精子だけをもらってセックスすることなく子どもを産んだ。その後も同居はせず、知り合ってから、子どもができてからも、これからも、直接会うことはないと言っていた。親として養育費は送金されてくるし、連絡をとるときは映像つきだから赤ん坊の様子をあちらも知っている。
 時代がそう。マイコもそういう結婚になるのだろうか。何度も逢瀬を重ね、愛情の発露として体を重ね、夜景の見える高級レストランでプロポーズ。出産時には立ち会い、その後は一緒に暮らし子育てをする。彼らは懐古主義と呼ばれる。教えに背いているとして迫害の対象にもなる。新たなる教えによると、人は一人で生きていかねばならない。人が集うとろくなことが起きない。爆発的な疫病の蔓延、対話によるデモの促進、情報の錯綜。人が直接会えばそこにはあらゆるリスクが生じる。国がなくなりそうなほど人口の減った感染症の原因もそれであり、収束に向かったのは電子機器や配達網の発達ではなくて、誰もが一人でいきていくべきだという教えのおかげだった。徐々に国は落ち着いて、今では人が集うことは堕落だった。
 人は一人でも生きていける。小学生の六年間を全然効率的ではない集いのなかで過ごすのも、きっとそういうことを身を持って理解させるためなのだろう。実際、マイコは学校が嫌いだった。四六時中だれかの顔色を伺うのはうんざりしたし、だれかを見ているということはだれかに見られているということだ。気が狂ってしまうかと思った。家族とともに過ごすのは心地がよかったけれど、一人部屋を欲しがったというのはつまり一人でも平気ということなのだ。
 両親に抱きしめられるのは好きだった。同じ血をわけた家族なら、スキンシップは許される。母のやわらかくていい匂いのする胸、父の力強くて熱い腕、妹のすべらかでかわいい頬。マイコはそれだけは大切な記憶だと思っているし、誰かを抱きしめたい気持ちだって口に出さず胸に秘めているから迫害もされない。
 マイコは、結婚するなら懐古主義と呼ばれてもいい。たぶん、そんな勇気はないけれど。生まれながらにして後ろ指をさされて生きていく我が子はかわいそう。だからマイコもきっと画面の向こうの恋人と触れ合うことなく子を孕み、パパだよ、と言って我が子に画面を見せる。一緒に暮らすわけじゃないから、お互いに嫌なところなんて隠す。最高の家庭。

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