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第十一夜 『ツァラトゥストラはかく語りき』

やけに今日は雨が降ったり止んだりする。
だが茹だるような暑さは相も変わらずであった。
彼は暑い時期はまるで時が来るのを待つようにじっと息を潜める。もう1ヶ月もすれば、我が朝、我が日が来たと言わんばかりに、仕事へ集中するという。側から見ている分にはそこまでパフォーマンスに変わりがあるようにも見えないのだが、それは彼がプロだからであろう

彼は月1回の恒例行事があるという。
実家近くの藤沢市にて美容室に行くことである。
六本木在住なのになぜ地元とは言えそんな遠くまでと聡明な方は思うかもしれない。
どんなに経営者になろうとも完全な経済人になれないのが人間である。そんなものは今流行りのAIにでも任せるべきである。

彼は包み隠さず言えば、世の中で自由に発言をすればすぐに炎上するタイプの人間であった。彼の発言が周囲に波紋を呼んだことがある。それも何度もだ。そのうちの一つに太った人への批判があった。

「自分の身体のメンテナンスができない人は性格が悪いからそうなるのだ。」
この発言を周囲に咎められた時、彼の言った言葉は周囲の時間を止めた。
「主人公感が足りない。」

そう皆何を言っているのかわからなかったのだ。
そして、彼はこういう奴だったと妙に納得してしまい、先ほどまで咎めていた自分が悪いと思ってしまう。そんな性分がかろうじて彼の発言を問題視させないのである。あえて説明するが、皆理解をしているわけではない、彼と言う人間性に納得しているのである。皆ができる唯一のことは、彼の次の言葉を待つだけだ。

彼の言う主人公感とは何か。その場にいる全員が疑問を抱きながら考えていると彼は続けた。
「主人公感とは、私の解釈では自己肯定感になります。」

自己肯定感。これはなかなか難しい考え方だ。自己肯定感は一般に高めることを推奨されるが、高すぎると過信となり傲慢にすら見えるかもしれない。

彼はそんな自己肯定感に対して確実に言えることがあると言う。
「自己肯定感の高さや低さによって、同じ言葉を聴いても全く違う捉え方をするのが人間である。私の考えでは、人が生きていく上で優先的に獲得すべきものは自己肯定感だろう。

「社会生活をしていく上で、1番大切な者は自分自身だと思っています。」

彼を知らない人からすれば独善的な人間だと思うだろうか。
ただ彼を知っている人間からすれば、容易にわかることである。
彼は自立をするために自己肯定感を上げるべきであると言っているのだと。自立や自制こう言ったことができない人間が他者に何かを与えることができるわけないと。

若い時分に多くの人が経験することである。優しさが裏目に出た経験は社会生活で誰しもが経験するだろう。彼の言う主人公感を持っていれば、自立した社会人として自己肯定感を有していれば、そんな経験は格段に減るだろう。
詰まるところ、主人公感とは自己肯定感であり、それを裏付ける屋台骨としての努力の値なのである。

さて、彼の発言の真意を幾人が理解したか知る由もない。むしろ、この解釈ですら正解ではないのかもしれない。ただ過去の偉人の名言だとかそういったものは何が面白いかと言うのは、人の数だけ解釈があることである。そして、自己肯定感の高い人ほど、偉人の言葉を自己の経験に投影するものである。彼の主人公感という言葉に対しても正解はそれぞれが考えるべきものであろう。

彼は石を投げたにすぎない。波紋の広がり方はその水の深さや広さで違うだろう。同じ解釈などあり得ないのだ。

これからも彼は自分の思想を語り継ぐのだろう。
皆の心に波紋を起こしながら

物語の続きはまた次の夜に…
良い夢を。

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