目指せ一日1000文字小説16「在りし日の紅月2」

 木陰が色を濃くする季節になった。
 館の周りを覆う木々は緑色が栄え、今が謳歌の時だとさんさんと陽の光を浴びている。
 いつの頃からか、館にも緑が付き始め、今では半分近くが自然に染まってしまっている。
 それを取り去ろうとしなかったのは惰性ではなく、彼女の嗜好だからだ。大きな鍔のついた純白の帽子を被り、館を見上げている彼女の目にはこの館はどんな風に見えているのだろうか。
 レヴィナ、と名前を呼べば、彼女は深紅に揺らぐ瞳を向けてくる。

「やっぱり、もう少しこの館に残るかい? 幸い僕達は時間だけは有り余っている。十年、二十年くらいなら……」

 僕が擁護するように伝えれば、彼女はううん、と首を振った。

「今、この館と別れなかったら、私はこれから先もずっと此処にいたがっちゃう。外の世界を見たいって言ったのは私なのに、それを蔑ろにしたら我儘になってしまうもの」
「君の我儘なら幾らでも聞いてあげるのに」

 彼女はまったく我儘を言ってくれない。あれがしたい、とも、これが欲しい、とも中々言おうとしないのだ。それはきっと、彼女の過去が影響しているのだろうし、それを矯正することを望んでいる訳でもない。
 ただ、それでも最近は少しずつ我儘が増えてきたのだ。それが何よりも嬉しい。

「だって、貴方は私に優しいから。私の我儘を出来るだけ尊重しようとするでしょう?」
「勿論、君の望みなら当然」
「だからよ。貴方も、少しは私に厳しくしてくれてもいいのに」

 彼女の苦笑と同時に言われた事に僕は無理だよ、と手を挙げた。
 きっと、彼女も同じ考えなのだろう。
 僕はレヴィナにもっと我儘になってもらいたい。
 レヴィナは僕にもっと厳しくなってもらいたい。
 それはどっちからしても到底許容できない事柄だ。
 だから、僕も強く言えずにいる。

 最後にもう一度だけ館に目を向けたレヴィナは、それからうん、と頷きこちらに振り向いた。

「さて、そろそろ行きましょう? 私も踏ん切りがついたし」
「君がいいのならいつでも」

 そうして、僕達は長年の住処に背を向けた。
 館を抜け、獣道を歩く。四方八方から聴こえる生き物の息遣いは生命というものを感じさせる。
 けれど、彼等が僕達に襲いかかることは無い。
 理解しているのだ。僕達に襲いかかれば未来がどうなるかということを。
 俗に魔物と呼び蔑まれる彼等は原生生物よりも身体能力も知能も上だ。だから、憶えている。ずっと昔の記憶を今も。

「ねぇ、ラウン。最初は何処に行くの?」

 すぐ隣を歩くレヴィナが訊いてくる。
 それに、僕は前から温めていた答えを持ち出した。

「最初はこの森から西に暫く、〝ミザンナ〟っていう街を経由して〝トロイドの樹湖〟に行ってみようと思う。あそこは老練な木々に囲まれた樹海でね、奥にひっそりと存在する湖は何処よりも澄んだ色をしていて、満月の日にその湖を見に行くと、精霊が集う程の美しさと言われているんだ」
「へぇ……素敵ね。楽しみ、とっても」

 僕の言葉に空想を膨らませる彼女は身体年齢相応の顔をしていた。

「少し前まではお話を聞いて、あぁ、行ってみたいな、見てみたいな、でお終いだったのに、今は自分の足で見に行くことが出来る。改めて思うと、本当に夢のような事ね」

 そして僕を見て、彼女は言った。

「ありがとう。私の為に」
「それが君の一番大きな望みだったから。それに、僕も君と一緒に世界を見たかったからね」

 茶化すように言えば彼女は少し困ったかのような顔をして、また前を向いた。

 森を抜けると、陽がはっきりと体を直射する。大丈夫だとは解っていても本能が陽を恐れて太陽を手で隠してしまう。
 レヴィナも同じようで、二人同じ動きをして笑った。

 ミザンナまではここから2日程の距離がある。やろうと思えば一日とかからずに到着することも出来るだろうけど、僕達の旅は急いでいる訳では無い。始まったばかりで、ゆったりと進んでいく旅だ。呑気に道端の花を眺めながら、気楽に歩いていく。
 それでもずっと歩き続ければ夜になってしまう。案の定、気付いた頃には辺りは黄昏時でもう暫くすれば月が顔を覗かせる夜へと変貌してしまった。
 僕達にとって食事とはただの嗜好でしかなくなってしまい、最低限必要なのは一日に一回瓶に詰められた血液を一滴飲むこと。それだけで僕達の体は肉体を維持出来る。
 寝袋を敷いて中に入ると、レヴィナもは自分の寝袋を放り出して僕の寝袋にもぞもぞと中に入りこみ当たり前の顔をしている。

「うーん、駄目ね。やっぱりまったく眠くならないわ」
「それでも、人間の習性を真似ないとその内面倒なことになるから。それとレヴィナ。君の寝袋はここじゃないんだけどなぁ」
「あら、いいじゃない。狭くはないのだし。館ではいつも一緒に寝てたじゃない」

 それを言われてしまっては何も言えなかった。
 やがて、温もりに包まれた彼女は規則的な息遣いで眠りについた。眠くないといっていたのに、本当に寝つきがいい。
 僕もまた、彼女の寝顔を見ながら目を閉じた。

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