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飯田線旅行記

地元でのこの夏最後の思い出にしようと決めて、先日飯田線を乗り継ぎました。とりとめがないですが書き残していきます。

きっかけは沢田猛『カネトー炎のアイヌ魂』を振り返ったことでした。これは私の地元を走る飯田線の敷設を語るのに欠かすことのできない、川村カ子トの物語です。

沢田猛『カネトー炎のアイヌ魂』
ひくまの出版、昭和58年

地元で唯一の鉄道とは言え、私にとっては生活に根付いていたわけではありませんでした。一方『カネト』は記憶に残る作品で、身近にこんな歴史があったのかと驚いたものです。この線に乗りたいと思う要因は様々ありましたが、やはり一番は、この本をなぞりながら、カ子トが歩いた峡谷を直に見てくること。ところどころ降りたい駅はあったけれど、それはまた次の楽しみとして、今回はひたすら乗り続けることを目的にしました。

当日は朝5時前に自宅から自家用車で出発しました。早朝なのにほぼすべての赤信号で止まってしまい、駅に着いてからホームを走るはめに。道路がすいてるのをあてにしたのが良くないのですが、飛び乗る瞬間まで緊張し通しでした。

出発は飯田線の中間地点から。まずは上り方面で豊橋に向かいました。この区間にはカ子トにゆかりのある地名や駅名が凝縮されており、ひときわ思い入れがありました。

以下に、駅名とカ子トの関わりを簡単に書き出してみました。

7:37 天竜峡
7:53 門島
8:01 温田
8:57 水窪
9:53 三河川合

「天竜峡ー三河川合」間は、カ子ト率いる旭川のアイヌ測量隊が測量を行った区間です(p.78)。距離は67㎞。大正15年の春に着手されました。「温田」は測量が始まった頃にカ子トの班が拠点を置いた地域です(p.86)。途中、豪雨に見舞われて、いかだで食糧を調達していた測量隊は食糧難に陥ります。ザザムシ(私は食べたことがありません。イナゴなら…)を捕まえて足しにしても足りるわけがなく、買い出しにはるばる出かけたのが「水窪」です(p.119)。正確な経路は分かりませんが、距離からしても地形からしても、道中が危険極まりなかったことは間違いないと思います。乗務員の方が「水窪」と放送したときには、「やっと、ここが水窪か」と、ただ座って揺られていただけなのに達成感のような感慨深いものが湧き上がりました。

測量を終えて無事に役目を果たしたカ子トは、続いて「天竜峡ー門島」間の敷設工場の監督を命じられます(p.127)。トンネルの開通や鉄橋に苦戦し、今ではたったの16分で通過してしまう区間の工事に3年を費やして、昭和7年10月に開通させました(p.164)。

カ子トが携わった区間の線路沿いはひたすら急斜面で、「蛇抜」の跡のような痛々しい山肌も見られました。それに、真夏なのに一面茶色い落ち葉が敷き詰められ、足を乗せたらたちまち滑りそうな状態です。測量隊は、この絶壁を道具を運びながら歩みを進めていったそうです。それも、イノシシやマムシ、サルなどの野生の生き物と対峙しながら。人を寄せ付けないほど険しいだけあって峡谷はとても美しく、ついその見事な風景に気をとられかけました。しかし、この地を歩いて測量し、線路を敷くことがどういう仕事なのかを、景色の一つひとつから感じとりました。強靭な肉体だけでなく、人の成すこと、自然の成すことすべてに屈しない精神がなければ、やり遂げることはできなかっただろうと、ありきたりですが思います。

飯田線を降りたあとは岡崎へ。岡崎からは愛知環状鉄道で高蔵寺へ。それから中津川、塩尻、辰野へと北上して、出発した駅に戻りました。乗り継いだ駅は、全部で133駅になりました。

当日持参したメモ書き

最後は、本から離れて書きたいことを。

小和田駅の駅舎がすてきでした。懐かしいような、ほっとできる外観で、もしも鉄道が身近にあるなら、こんな駅が最寄りだといいなと思えるたたずまいでした。

それから、そう言えばこの線は高校時代のクラスメイトたちが大勢乗った鉄道でした。一緒に通ったことはなかったのに、誰がどこから通っていたか見ていたかのように、駅名と友人の顔を重ね合わせて当時を思い出しました。「赤木」からは自分で散髪してた人。「駒ヶ根」からはクラスで一番成績が良かった人。「飯島」からは、授業中こっそりパソコンを手助けしてくれた人…。「辰野」からは、まわりから双子と言われた人。「北殿」からは英語の発音がうまい人。「田畑」からは本と海が好きな人…。一人ひとりがここから乗ってきたんだと、一昔前の同級生が懐かしくなりました。

改札を一度も出ずに、車内で車掌さんから乗車券を手渡ししてもらいながらひたすら線を乗り換えたので、一周して出発した駅に帰ってきたときには、朝買った乗車券も含めて各区間すべての切符を手元に揃えていました。「これで合っているのか」と、何か間違えてないか不安になりましたが、不審がられることなく改札を出て旅を終えました。

ご参考までにですが、たまたま座った席は景色がいい席でした。豊橋行きの進行方向右側。違う座席には違う良さがあったかも知れませんが、それはまたの機会に。

あなたにとっても、よい旅になることをお祈りしています。

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