2023-07-03の日記(禁酒、因果関係、責任者)

その男が歩く時はいつもしゃらしゃらと鈴の音が鳴っていて、うるさいのでそいつは嫌われていた。ある日そいつが軽トラに跳ねられて死んだ。
しかしそれからも鈴の音はなり続け移動した。

そういうことは沢山ある。例えば直近だと、自分がAさんについて苛立っているのか、苛立っている時にたまたまAさんが居ただけなのか、分からなかったこと。

これについて、分からないことは仕方ないからとその問題そのものを放棄してしまうことに、僕はすごく警戒心がある。目に見えないものを視ることは出来ないとしても、目に見えないものを含む世界を観ることは出来ると思う。それ自体で価値があると信じているし、それによって結果的に目に見えないものを考慮した最大の利益を得る選択が出来るかもしれないからだ。
どうにもならないことはどうにもならないが、それをどうにかしようとする姿勢は別の形で利益に繋がることもあると信じていたい。


最近まで毎日体積が倍になるくらい酒を飲んでいたが、今週一週間禁酒した。身体的には勿論、朝起きた時の精神の調子がすごく良くなったと思う。これが本当にお酒と因果関係があるのかは分からない。でも僕はそう信じている。

このように自分に都合のいい因果関係を推論するのならば、そして自分に都合の悪い因果関係が頭によぎったならば、僕たちは無視せず振り返るべきだ。自信のある科目だけ自己採点するのをやめるべきだ。「勉強をしたらテストの点数が上がる」という事柄から導き出されるのは「テストの点数が悪ければ勉強をしていない」という命題だけだが、僕達はちゃんと「勉強をしていなければテストの点数が下がる」という命題を得なければならない。自分に都合の悪い失敗のための命題を、能動的に推論して獲得していかなければならない。

僕はそれをしてこなかったから、すべてに責任を取らず、中学校の時テスト勉強しないで高得点をとってちやほやされていた頃と何も変わらず、ただちやほやされないだけのひとになってしまった。
すべての責任者に「それでいい」と言ってもらいたい思いは変わっていない。しかし、責任者に「それは駄目だね」と言われる勇気も、少しだけ出てきた。それは肯定していこうと思う。

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