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汗と涙を超えて


2024年9月8日、舞台「弱虫ペダル」シリーズが12年半もの歴史に幕を下ろした。


大千秋楽の開幕から終幕まで、ずっと泣いてた。
終了のアナウンスが響き、ぞろぞろと人の波に乗って会場を出てもずっと泣いてた。最寄りの駅までの徒歩10分間、涙は収まったけれど茫洋とした気分のままだった。帰宅ラッシュで混み合った電車に揺られている間も、横浜で乗り換えて熱海行きの列車を待っている間も感情が抜け落ちたように何も考えられなかった。知らぬ間に「きょむきょむぷりん」とツイートしていた。

平塚あたりまできて急に二次創作小説を書こう、と思った。そこから最寄り駅まで1時間ほど、二次創作小説を書いていた。通い慣れた駅舎を出て家までの5分間、ぶっ恋呂百花の歌を口ずさみながら歩いた。玄関の鍵を開けて、カバンを逆さまにして荷物を片付け、ガスのスイッチを入れてシャワーを浴びた。たくさん泣いたはずなのにメイクは崩れていなくて資生堂のメイクキープ下地に星5をつけておこうと思った。風呂から上がって鍋を作って豆苗の水を入れ替えて食卓についてパソコンを立ち上げたら、舞台「弱虫ペダル」の配信アーカイブが視聴可能になっていた。そこで、ようやく先までの喪失を思い出した。


ペダステの千秋楽を観劇しながら、ずっと金城真護になりたいと思っていたんです。
あんな金城真護見たことがなかった。インターハイ3日目の金城真護はたしかに通常の彼よりも感情的で熱くて激しい。でも、2024年9月8日の金城真護はこれまでの漫画でもアニメでも舞台でも見たことがないほどに熱烈で強烈だった。まさに明日死んでもいいという気迫だった。金城キャプテンがリタイアを決して仲間に未来を託すあの瞬間。あれが忘れられないんだよ。彼はもう走らないんだってわからせられた。あれほどまでに最後の一滴まで絞りきった金城真護が、川﨑優作が、この先の道を走れるわけがない。もう走りたくても走れない。ネフェルピトーと対峙した時のゴンみたいな力強さだった。最後だから、全部出す。全部絞り切る。金城真護の言葉を持った川﨑優作が、あの時、あの劇場をただひとりで完全に飲み込んでいた。
ここまで人の感情をしっちゃかめっちゃかに揺り動かせる人間ってなんなんだよ、どう生きていたらお前みたいになれるんだよ、お前になりたくて仕方がないよ。

高﨑俊吾さんの眼差しが暖かくて慈愛に満ちているものであることに、また救われてしまった。鉄仮面と呼ばれ仏頂面がトレードマークな福富寿一だけど、高﨑俊吾さんを通して出力されているという事実だけでどうにでもなりそう。私はこれを打ちながら高﨑さんの顔を思い浮かべて泣いている。

インターハイ3日目。漫画は繰り返し読んだし、アニメももちろん見た。かつて上演された「舞台『弱虫ペダル』インターハイ篇The WINNER」は何度も何度も繰り返し見た。細部まで知り尽くした内容だけど、新鮮に新しい物語として楽しんだ。知っているストーリーで、変わらないセリフで、既視感のある演出でも、作っている人が違うとお話の感じ方も変わってくる。2.5次元ミュージカルには2.5次元というジャンルのオタクや俳優のファンが足を運ぶことが多いけれど、やっぱり原作のファンが見るということが重要だと思った。原作ファンにこれまでとは違った角度から作品を眺めて欲しい。何より、迫ってくるものがある。彼らが走った富士の山道を実際に体感することができるのはペダステの魅力だ。コミックを読んで圧倒されたあの闘いを生身の人が走って足掻いて全力で表現しているんだから、それは紙面で見るよりもよっぽど説得力が増すんじゃないか?

ほんとに、ほんとに素晴らしい舞台だったんだよ、最高の演劇体験だった。全員がずっとフルスロットルだった。客席にしがみついて踏ん張ってみていた。血と肉と骨で、人類最速だった。あの日あの場所で板の上に立っていた人たち全員一人残らず人類最強だった。

ペダステが終わる理由は、コンテンツの衰退化であるということはあまりにも明白である。誰が悪かったとかどうすればよかったとかはきっとなくて、本当に仕方がないことだった。全てのコンテンツにいつか訪れる現実なのだとわかっている。でも、なんで勝手に終わるわけ?と思うのは許して欲しい。一体誰に断って終わらせてくれちゃってんの。
ペダステがつくった歴史や成し遂げた偉業は消えないし、消さない。ペダステがなければ生まれなかった演劇表現は未来永劫語り継がれるべきものである。イチ演劇ファンとして、絶対に終わらせて良いコンテンツじゃなかったと言い続ける。絶対に無くなってはいけない文化だと言い続ける。永久不滅の覇権舞台であってほしかったよ。ありがとうって言いたくない。終わってほしくなかったから。本当にごめん。本当に許さない。

人間はとても便利で、忘却という能力を持っている。
あまりにも大きすぎる喪失を経験した後も、2時間半電車に揺られていれば全く違うことで頭がいっぱいになっている。当たり前に仕事に行ってご飯を食べて眠る。
忘れることが怖い。でも、喪失を抱えて生活することは辛いから、正しい忘却ができてよかった。全てが必ず美しい思い出になってくれますように。


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