SNSの醍醐味はkeep in touchだよねって話。
引っ越せば絶縁だった
私は小学1年生の三学期に転校した。30年前の話だ。
幼稚園、1年生と仲の良かった友だちとはその瞬間に縁が切れた。1人とはしばらく年賀状のやりとりが続いたが、私が年賀状を書かなくなってそれも終わった。
当時は住む場所が変われば、それまで築いた社会関係資本はゼロリセットされた。絶縁だ。
初めてのホームステイ受け入れ
先日、オーストラリアからのホームステイ受け入れを経験した。5〜6日間ほどの滞在だ。
私の住む市のマラソン大会に、姉妹都市からゲストランナーとして迎え入れる市のプロジェクト。そのボランティアだ。
3歳の息子に「この世には日本語では伝わらない人がいるんだよ」って経験から、他言語や世界への関心を芽生えさせたかったのが目的。
終盤には「これは英語でなんて言うの?」と聞いてくる場面もあり、目的は達成されたかなと思う。ホームステイ後の今でもおやすみは「グンナイ」だ。
惜しまない別れ
22歳の男性、アーティスト。
初日の会話で、彼はいくつもの国を旅したトラベラーであることがわかった。どうにも英語が出てこない表現は、翻訳アプリやChatGPTが補完してくれた。
短い滞在期間ではあったが、生き方へのスタンス、都市とカントリーサイドの違い、瞑想体験、オーストラリアや日本の抱える社会問題、人口減少と婚姻率、現代テクノロジーの恩恵、日本の良き/悪しき風習など、なかなかに広く深く会話を交わせた。
あっという間だった。
(そもそも3歳と1歳9ヶ月の年子育児で毎日が秒で過ぎるのだがw)
ホームステイ後もしばらくは日本中を旅するらしく、Instagramとfacebookで繋がり「Keep in touch!」と握手し、彼はまた旅立った。
ふと、「別れって、こんなにも気軽なもんだったか」と、違和感というか不思議な感覚に包まれた。
ソーシャルメディアは確実に人間関係への感覚を変えてくれたね
私たち家族にとって、彼と過ごした日々はかけがえのないものとなった。
しかしまあ、別れ際の気持ちの揺らぎはさして大きくなかった。大好きだったウルルン滞在記ばりの、抱き合い号泣するシーンは生まれなかった。
あのころの絶縁は、もう現代に存在しない。
これからも彼の生き様はストーリーズで目にし、たまに2,3のテキストコミュニケーションを交わすのだ。
仕事柄、ソーシャルメディアやそれに伴う人間模様には常にアンテナを鋭く張っている。
広義のソーシャルメディアに、狭義のSNSとCNSがある。
SNS(=Social Networking Service)は人間関係の繋がりが価値を生むサービス、
CNS(=Content Networking Service)はコンテンツの流通が価値を生むサービス。
昨今のプラットフォームのアルゴリズムは、もう完全にCNSの顧客体験へシフトしている。
別にフォロー/フォロワー関係になくとも、私のタイムラインには普段から私が見ているジャンルや、世の中の大勢がアテンションを向ける内容が、レコメンドされて流れてくる。
これについてソーシャルメディアやその利用方法、向き合い方について様々な議論が巻き起こっている。
私がタイムラインで目にするものが「Keep in touch!」と心温まるものなのか。
それが私が私であるための問いだ。