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情報過多。溺れる。


活字中毒です。どうもこんにちは。

活字中毒かな、と自分で最初に自覚したのは確か高校時代で、私は読書と新聞(興味あるとこだけ)を読む習慣があったんだけど学校の周りには誰ひとり読書をしたり新聞の投書欄のおもしろさを共有できる、「読む行為」をしている人がいなくてそれはそれで1人で楽しめる私だけの趣味であって。

その頃実家で祖母は家では日がな1日テレビを見る、家事以外は新聞を橋から端まで、お気に入りの週刊誌をよく読んでいて尚東京に住む叔母からは大量に読み物(どこかの会員向け会報やグルメ雑誌など)を送ってもらい読み漁っていて周りから「おばぁちゃんは活字中毒だからね〜」と言われた。
私にとっての「I am活字中毒」と名乗れるのはおばあちゃんクラスまでいかないと、まだまだだな自分は…と思っていたから自覚はあっても薄かったと思う。

そして大人になり私は一時校閲という仕事に就いて一日中PCの画面上にある文章と向き合うことになる。
これがめちゃくちゃ楽しかった。
永遠に読める。コスメや日常についての文章に対する校閲だったからもあるけど目をバキバキにしながら文章を読む。間違いを見つけ指摘。
この仕事に就いた時、ああ、自分は活字中毒だと間違いなく自覚した。
仕事で散々読み散らかしながら同時進行で読書もしていたのだから。
仕事って楽しい!って思えた数少ない業種だった。


そうして時が経ち、経ち今私は無職。
だらだらだらだらとよくテレビを見てしまう。
読書が進まないから、と一度は手放したのに今の部屋に越してきた際リサイクルショップで買ってしまった。
見ているようで実際は見てない時もある。脳にテロップが入ってはこれまただらだらだらだらとどこかに流れ出している。
テレビを見ていると悲しいニュースが多すぎる。
残虐な殺人、虐待死、熱中症で亡くなる車に置いて行かれた子ども、戦争、地震、性加害。
まともにひとつひとつ受け取っていたら自分がショック死する。
Twitter(まだXと言えない)と連動しながら見るとより疲れる。みんな自分の正義を振り翳す。

何が正解か。本当に必要な情報を自分で判断して手に入れるしかない。
本当に必要な情報ってなに?

活字中毒であるが故にテレビにのめり込むの脳が疲労困憊する。
キャパオーバーを感じる。
そんな時にここに想いを書かせていただいてます。

悲しいニュースがあるたびに想像力なさすぎんだろと頭にくることもある。
永遠に過ちを犯し続けたらどうなる?自分さえよければ良いの?

人の数だけ正義や価値観や求める償いも違うから人の気持ちなんて分からないとも思うけど想像力を持てるだけ持って私は他者に向き合いたいと思う。


読んでくれてありがとうございます。

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