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イージー・ライダー(Easy Rider)

『アメリカン・グラフィティ』で感じた自由への憧れは、管理から逃れたいという子供の我侭のようなもので、とても漠然としたものでした。
ただ「いつか私も大人になって自由になる」ということは自覚しました。

自由がどんなものかを理解したのが『イージーライダー』です。
この作品は、なりたい大人像を作った後に観て、自分の思い通りに生きていくための軸を作りました。自由には種類があることを知り、唐突なラストで自由の怖さを知った衝撃の映画です。

ジャック・ニコルソン演じる弁護士のセリフが印象的です。

「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ」

このセリフがこの映画を象徴していて、アメリカの不寛容を批判してると言われることがある作品ですが、私はこれは国も人種も関係なく、人類にとって普遍的なことだと思いました。

規律を守らない自由と規律の中での自由。日本語ではどちらも「自由」と表現されるけど、本質は全く違います。
どちらにしても、「自分の自由を守るために他者の自由を許さないという衝突」はアメリカに限ったことではありません。日常的によく目する光景です。

愉快な大人になって楽しい人生を送るために、他者との衝突は可能な限り少ない方が良いので、自由同士の衝突を回避する方法を考えました。

答えはとても簡単でした。

私が自由でいたいように相手も自由でいたいはずだから、可能な限り他者の自由を尊重すればいい。他者の自由が反社会的なものでない限り、私は干渉しないようにしようと。それが私の自由も守ることになる。

もし理不尽に干渉されても、その考えでクリアできると思いました。干渉するのは相手の自由だし、それをどうするかは私の自由。反論してもいいし無視してもいい。対応を決めるのは私が持つ自由の権利です。

誰に何をされても、それへの対応を自分で選べることに気付いた時は、心が軽くなりました。

それは今でも変わりません。誰に何を言われても平気です。それが反社会的なものでない限り私は他者の自由を尊重します。他者の自由を尊重することで私の自由も守っています。

この考えには『雨に唄えば』で学んだことが繋がっています。