誰でも何かを間違う
大平さんと私は喧嘩はしません。
互いに自分のダメさを認識してるので、相手のダメさを責めません。
大平さんはとても忘れっぽい人です。今年は誕生日を忘れられました。
前日に「明日は私の誕生日だから~」と話したのに、当日は完全に忘れるほどの忘れっぽさです。
対して、私はロングスリーパーなので気を抜くと寝てしまいます。
長時間睡眠、寝落ち、二度寝が日常茶飯事です。寝ていると連絡が取れないので、大平さんを心配させています。
私達は互いの "忘れっぽさ" と "寝すぎ" は『引き分け』と考えています。
私達は他者のミスを責め続けることが社会の不寛容に繋がると考えているので、私達自身が互いを責めないのは、とても自然なことです。
自分が何かを間違うことを理解していれば、他者だって何かを間違うことはすぐに理解できると思います。
大平さんの炎上の件を例にします。
・大平貴之さんの炎上の真相
・大平貴之さんの「MeToo運動」に関する炎上のこと
あのとき大平さんを攻撃した人は「私はこんなことは言わない」と思っていたと推測できます。「自分なら言わない悪いことを言った=大平さんは悪い人」という心理で、罵詈雑言の石を投げつけたのでしょう。
芸能人の不倫を叩くのも同じような心理だと考えられます。「自分なら不倫なんかしない=不倫する人は悪い人」という心理。
「自分はこんなこと言わない」
「自分は不倫なんかしない」
これは失敗の種類しか見ていないので、非常に表層的なことです。
もっと本質的な部分で「誰でも何かを間違う」という事実を理解しなければならないと思います。
大平さんを攻撃した人達は、大平さんがしないような間違いをして、誰かを傷つけている可能性があります。意識的か無意識は関係ありません。重要なのは「大平さんならしないような間違い」です。
間違いの種類にこだわると本質が見えなくなります。
誰でも何かを間違えて、何かの加害者になる可能性があります。
失言や不倫なんて比べ物にならないくらいの間違いを犯す可能性や、間違えて誰かの命を奪ってしまう可能性を、全ての人が持っています。これが本質です。
この本質を理解してたら、他者の小さな間違いなんて取るに足らない話ではないでしょうか?
当然、自分が被害者になる可能性もあります。ですが「何かを間違えた無関係の人」を攻撃したところで、自分が被害者になる可能性が消えるわけではありません。
また、間違えてしまった人を攻撃するということは、いつか自分が間違えた時に攻撃されるということです。これが失敗を赦さない社会を形成していると、私は考えています。不寛容の連鎖から閉塞感が生まれる。
自分が被害者になることばかりに意識が向きがちですが、自分自身も含めて、誰でも何かを間違って何かの加害者になる可能性があることを理解していれば、他者の間違いにも寛容でいられると思うのです。
誰かの間違いや失敗を散々責めたとして、その後に自分が失敗したら恥ずかしいですよね。気まずくなると思います。
自分を棚に上げて人を責めるなんて論外です。とてもダサい。
自分だって何かを間違えたり失敗したりするのだから、それを赦してもらえる関係の方が安心だし、楽しいし、長続きしますよね。
恋愛に限らず、友情も、仕事関係も。
これが大平さんと私が互いのダメさを『引き分け』と考えている根拠です。
とてもシンプルな話です。
さて、トップ画像の紅葉ですが、これはInstagramの公式アプリで加工したものです。
元画像はこちらです。
気付かなかったでしょ?間違えたでしょ?