私が鍵アカに引きこもった経緯
プロジェクトメンバーというシステムを作る以前は、糸井重里の病的な執着と、関わっている人達に毎日のように頭の中を見せるように催促されて、非常に疲弊消耗しました。
・参照:プロジェクトメンバーが出来るまでの話
当時は、Twitter(=活動)をやめたいと常に考えていました。
*アレ=糸井重里
こんな感じでした。
同じ目的を持った方々にメンバーになって頂いて、私もその一員だという自覚が芽生えてからは活動の継続に主眼を置くようになり、Twitterをやめたいと思わなくなりました。
ですが、糸井重里の執着は冗談抜きで病的なので、気持ち悪くて気持ち悪くて。そのせいで、露出をやめたいと考えるようになりました。
ネットに露出せずに活動を継続したいと考えるようなりました。
糸井重里のしつこさと、燃え殻の妄言への反撃としての引きこもりも考えました。
CAMPFIREに登録した情報を、家入一真と箕輪厚介が漏洩したことが確定して、本格的に露出をやめたいと考えるようになりました。
西野さんのFBグループに誘われて、また毎日トラブル対応に時間を取られるようになりました。
この後、4月15日にGPS情報をプロジェクトメンバーにも共有することになり、私は鍵アカをメインに使うようになりました。
現在メインで使用している鍵アカウントは、もともと大平さんと2人で使っていたものです。
大平さんの希望で、思いついたことを全て書き込んでいました。
*私達は "脳内垂れ流し" と呼んでいます。
書き込む内容は玉石混淆です。二度寝しちゃった(๑・ω-)テヘ もありますし、政治経済ニュースへの意見もあります。
大平さんからのお題に答える遊びもしていました。
それらの中で、公開した方がいいと大平さんが判断したものは、あめチャンにアップしていました。
加害者達から逃げるために鍵アカに引きこもりましたが、鍵アカでしていることは以前と同じです。大平さんとしていたことをプロジェクトメンバーとも共有しています。