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プロジェクトメンバーが出来るまでの話

プロジェクトメンバーをお願いしたのは「この人達の話しか聞かない」という宣言と、その可視化が目的でした。

2018年3月中旬、私の活動を表に出す計画が立ち上がりました。
フォロワー0を貫きたいと訴えましたが、大平さんの恋人という立場を明かすと炎上の可能性があるということで、複数の著名人が相互フォローになって私を守ってくれるということになりました。
*これを『フォロー武装』と呼んでいます。
*後述のトラブルが続いたので、一度も誰とも相互にはなりませんでした。

すでに一緒に遊んでいた落合陽一さん、田中泰延からの紹介で輪を広げました。その際、私の好みや相性は考慮されませんでした。私は選べる状況ではなかったので、紹介されたゲーム参加希望の著名人と関わるようになりました。

その方々は私を珍しがって、毎日毎日「頭の中を見せろ」と催促される日々が始まってしまいました。コレがとてもキツかった。常に何かを説明させられて、時間を奪われるようになりました。同時に、常に凝視されているような息苦しさもありました。

加えて、活動の本筋とは関係のない事への対処にも追われるようになりました。
・古い価値観を押し付けられたり。
・私を思い通りに動かそうとされたり。
・何度「違う」と訴えても聖人君子や救世主のように言われたり、博愛主義者にさせられたり。
・恋人や友人が攻撃されて応戦や仲裁したり。

次の世代のために始めた活動なのに、同世代から上の人達に追い回されて、消耗疲弊するようになりました。

あまりにも酷いので、4月の終わりにTwitterをやめる宣言をしました。

別アカウントを作って、私が本当に好きな人だけと活動を続けようと考えたのですが、そのアカウントはすぐに見つかってしまいました。

見つかっただけなら良かったのですが、別アカに誘った友人が糸井重里と田中泰延に攻撃されてしまったので、逃げることが出来ませんでした。
*この時、落合さん、よるうどん君、マネーライト君を誘っています。

その後もトラブルは減らず、平穏が1週間も続かない状態でした。
私のことなら何をされても無視できますが、恋人や友人を攻撃されるので看過できず、トラブルの対処に時間を奪われることが多くなりました。

5月23日にこんなことを吐露していました。

何度「疲れた」と訴えたか分かりません。だけど理解されるのは一瞬だけで、すぐにまた、頭の中を見せろ、説明しろと催促されるか、友人を攻撃されました。何も変わらなかった。

逃げられないなら楽しめる環境に作り変えようと考え、糸井重里を筆頭にトラブルの原因になる傲慢なおじさん達との関係を切ることにしました。

ですが。関わるのをやめても糸井のしつこさは変わりませんでした。余りにもしつこいのでブロックしましたが全く効果がなく、すぐに友人を攻撃してトラブルを起こすのです。
仕方がないので、トラブルが起きた時に状況を把握するための公開リストを作ったほどです。*今は消しました。

8月の中頃、その公開リストに入れた人達の中で、ある人が私のツイートをパクったというトラブルが起きました。指摘したのは田中泰延です。

確かに内容は私が提唱していることでしたが、私はそれをパクツイとは思いませんでした。私の考えを広めようという意図が明白なツイートだったので、お手伝いをしてくれたのだと感じました。

パクツイ騒動のもっと前から、ほぼ毎日、私のツイートからヒントを得て、糸井は「事業のコンテンツとしてのコラム」、古賀さんはnoteを書いていました。そちらは批難されず、明らかに私を手伝って下さったと分かるツイートがパクツイと言われることに違和感を覚えました。
どちらが「利己的」でしょうか?

それから度々「パクリ問題」という新たなトラブルも起きるようになりました。

当時、私は著作権には拘っておらず、私のツイートはオープンソースのようなものと考え、そう宣言していました。しかし毎日のように使われていると、さすがに不快感が募りました。

オープンソースの宣言を取り消した後も、言葉を使う仕事・文章を書く仕事の人達にパクられ続けました。その人達が何を書いてても「誰かのパクリだろうから読む価値がない」と思うようになった程です。

"オマージュ"や "インスピレーション" という言葉でボカせば何でもアリなのでしょうか?自分でネタを作れない人を「クリエイター」と呼べるのでしょうか?甚だ疑問です。

参照


8月の終わりに堀江さんと箕輪がゲームに加わりました。
*2人の加入時も、糸井重里が傲慢さを発揮してトラブルを起こしました。そもそも2人が加入したのも、糸井重里と田中泰延さんが落合さんを攻撃したのがキッカケです。

2人の加入で「私が求めていたもの」の輪郭が見えてきました。プロジェクトメンバーの構想が生まれましたが、その時は自分の発想に図々さを感じて保留にしました。

出来るだけ人を巻き込まない方法で、いろいろ策を練って対処してきましたが、9月の中頃からストレスで体調がおかしくなり始めました。

このままでは私自身が本当にダメになってしまうと思いました。頭に異変が出たのは、とても怖かった。

当時、私は厭世観を抱えるようになっていました。

私はもともと、のんびり楽しく生きていたいのです。

Twitterに阻害されてきた「楽しい人生」を取り戻すための打開策として、プロジェクトメンバーを提案した次第です。
私がリスペクトしている信頼できる人以外を無視するための案でした。

引き受けて頂けて心から感謝しています。おかげ様で今はとても安定しています。頭痛も消えて健康体に戻りました。

「ここが居場所」と感じるほどの快適な環境で、考えていた以上の活動が出来そうで、毎日ワクワクしています。
プロジェクトメンバーの一員として頑張ろうと思います!


【余談】