老害にならないために

「頭のかたい大人って本当にダサい。」
 私が10代の頃、毎日のように思っていたことだ。ダサいと思う大人の特徴は数種類あるが、その中でも上位に挙げられるのが「今の若い子は楽だね〜俺の若い頃はもっと大変だったけどな〜」と自分より若い人間を蔑むような発言をする人である。最悪である。例えば「今の子たちはぬるいよな〜俺たちの頃なんて教師が竹刀もってたよ〜ガハハ」などの発言だ。そう言った言葉を浴びせられる度「いや、昔がおかしかっただけだろ。おかしいものがおかしいとちゃんと認められた結果、ちゃんと改善されつつあるんだよ。ぬるいとかじゃなくてお前らの時代が狂ってたって早く気づけよ。アップデートに問題があるならちゃんと前の状態に戻すはずなんだから、一旦黙っとけよ。」と心の中で吐き捨てていた。とてもお口が悪いが、罵詈雑言が止まらなくなるくらいには嫌な気分になっていた。
お笑いコンビ「春とヒコーキ」のぐんぴぃさんが自身のラジオ「グピ☆グパ☆グポ」で、「親と子供だったら、子供の方がすごい。若い人のほうが吸収することもできるし、更新されている存在。」という旨を話していたが、身体が熱くなるほど共感したのを覚えている。そう、若年層のが最新版なのだ。
 世の中には「老害」という言葉がある。字面が攻撃的なこの言葉に対して異議を唱えるものもいるが、それでも私はこの言葉が必要だと感じる瞬間がある。決して自分より年上が全員嫌いというわけではなく、心から尊敬している先輩がたくさんいる。しかし、一部の若い人間を理不尽に蔑む年上、繊細で脆い若い人の心に寄り添う気のない年上に対峙すると、嫌悪感から真っ先に「老害」という言葉が頭に浮かぶ。私は老害を見つけると心から絶望してしまうため、「次の世代を守るために絶対に老害になんてならない。若い人を下にみる発言は一切しない。」と学生時代から心に誓っていた。

しかし、先日自分の信念が揺らぐ瞬間があった。それは皆勤賞を廃止する動きが増えたというニュースを耳にしたときだ。皆勤賞は、凡人だった私が唯一学生生活で得られた賞だ。そんな思入れの深い賞がなくなるかもしれないと知った瞬間、反射的に「やめないでほしい。」と思ってしまった。私はあんなに頑張って登校したのに、学校に行きたくない日も休まずに言っていたのに、あの苦労は無駄だったのか、と寂しい感情になったのだ。しかし、これはいわゆる老害の発想である。「今の若い子が楽をするのはずるい。自分が大変だったから下の世代にも同じ苦労をさせたい。」そういう考えが根底にあって、皆勤賞を続けて欲しいという感情が芽生えたのだ。
この経験から、老害にならないことがどれだけ大変なことを思い知った。自分より若い人の意見を尊重するには、世の中が変わっても自分の価値は変わらないと思える確固たる自信、傾聴力、器の大きさなど、様々なスキルが要求される。今まで私が尊敬してきた大人たちの発言は、並大抵の覚悟でされていたのではないということを強く感じた。

「私たちの頃は皆勤賞ってあったけど、今思うと変だったなぁ。無理して学校来るのが美徳っておかしいよね。今なくなったけど、廃止したのは正しかったね。」自分より若い人に対して心からそう言えるように、26歳の今から心の研鑽を積む覚悟を決めた。


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