見出し画像

【自分を好きになる必要はまったくない!嫌いでもいい!】


自分が理想通りの自分でいられていないと感じていた時、自分のことが嫌で嫌で仕方なくて、消えたら良いのになぁとずーっと思っていました。

そういう時、解決策として「自分を受け入れる」とか「自分を許す」とか言われると、無性に腹が立って仕方がなかった 笑

当時の私は、そういう言葉は「自分のことを好きになること」と同義だと思っていて、

「そんな、自分のことが好きなナルシストになってたまるか!!!」とすら考えていました 笑

受け入れるとか許すとか、いかにもスピっぽい感じがして、そういう部分も、
「嫌だー!私はいますぐ存在ごと消えたいんだー!」って気持ちに拍車をかけていた気がします。

そんなふうに日々を鬱々と過ごしていた頃から随分と変わった今、
受け入れるとか許すって、思っていたのと全然違う!と思っています。

受け入れる、許すって、強いて言うなら、諦めの境地。


“嫌い” も“好き” も、ベクトルが反対なだけであって、結局は同じことで、

受け入れるとか許すというのは、そうした評価(判断)を全く下さずただただ
「そういうもの」として認識するだけのこと

好きになろうとする必要なんて、全くなくて

ただ“理想の自分”になることを諦めて、“理想の自分じゃない自分”を「仕方ねぇなぁ」って、認識してあげること

そんなふうに思っています。


その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか。

『西の魔女が死んだ』梨木香歩著P162(文庫)


小さい頃からみんなと同じ教育をうけ、どんな世界とも同じような評価基準で生きてきた私たちは、自分でも気づかないうちにたくさんの“縛り”を自分に課している。

だけれど、これだけたくさんの人間がいるのだから、“縛り”に辛さを感じることがあって当たり前で、「みんなと同じ」という価値観の中で作り上げてきた理想が、自分に合わないことなんて、全然変なことじゃない。

だから、理想通りにできない自分を好きになろうと頑張る必要はないし、嫌いだと感じる自分を責める必要もない。

理想を捨てて、理想を諦めて、新しく「自分って実はどんな人間なの?」って、聞いていくこと、知ろうとしていくことが、何より“いい感じ”なのかなと思います´ᴗ`

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?