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一筆小説「キッチンで泣いた」



義母の四十九日が終った。



志都は、ほっと肩の荷が下りたような気がした。帰り道、少し背筋を伸ばして歩いた。



夫は、通夜や葬式の時よりは、穏やかな表情に見える。
「死を受け入れる」ということは、とても難しいことだ。特に家族であれば、尚更。



黙って二人、並んで歩いた。



義母とは決して仲が良かったとは言えない。言葉にされたことこそ無いが、あまり気に入られた嫁ではなかっただろうと思っている。



最初の頃こそ、良い嫁で在ろうと努力して見せたこともあったが、どうやら無駄だと気づいた後は付かず離れずの距離を保っていた。
それでも、夫の大切な人だという敬意は忘れないように気を付けながら。










訃報が入ったのは梅雨入りしたばかりのとても蒸し暑い夜だった。



あの時の、夫の動揺は忘れられない。現実として受け入れられないのか、電話をくれた義弟に珍しく声を荒げていたかと思えば、電話を切った後、少し放心していた。



電話の様子で、事を察した志都はとりあえず数日は帰れないつもりで夫と自分の荷物を急いでまとめた。

礼服はどこにしまってあっただろう、とか。とりあえず自分は現実のなかにしっかり留まっていなければと普段より気を張りながら。




通夜から葬式にかけて、とにかく慌ただしかった。志都以上に、喪主を務めた夫は2日ほどは眠る時間すら満足にとれないほどだった。



入棺させる棺や、霊柩車の種類、祭壇に飾る花から弔問に訪れた方への返礼まで。とにかく葬式の際に、こんなに決めるものが多いなんて知らなかったし、義母の親類から友人まで連絡をとるのに、こんなにも義母の人間関係を知らないままだったことにも驚いた。




次から次へとやることばかりがやって来て、悲しむ暇(いとま)さえ与えてはくれないようで。夫の涙を見たのは、訃報で駆けつけて初めて冷たくなった義母の顔を見たときだけだった気がする。




よく、葬式は死んだ人のために在るのではなく、残された人のために在るという話も頷ける気がした。
忙しさのなかで、否応なしに現実に留め置かれる。悲しみに溺れてしまわないように。




良くできたシステムだ、と志都はどこか距離のある気持ちで思ったのだった。













そのまま夫とは口も聞かずに自宅に帰り、互いに普通な顔をして普通の一日を終えようとしていた。



TVからは、ヤクルト対巨人戦の中継の放送が流れていて夫の贔屓のチームはどうやら一点差で最後の攻撃を向かえているようだ。



志都は、食べ終った食器を流しに持っていき、いつも通り洗い始めた。




それは「突然」やって来た。



亡くなった義母と、殆んど二人きりで話したことのなかった志都が、どういう経緯だったか義母の初恋の話を聴いたことがあった。戦後の混乱の頃に生まれた義母は、今の人は羨ましいと遠い目をして言った。
「何でも、思ったこともやりたいことも、自由に出来るのは羨ましいわ」と。義母と義父は、見合い結婚だった。


口づけもせずに終わってしまった淡い恋を小さな小箱に容れて、そっと大切にしているのだと知った。



それまで義母は義母というものでしかなかった志都の心に、嗚呼この人も自分と一ミリも違わない「女」という生きかたに翻弄された一人の人なのだという当たり前のことが当たり前に「すとん」と落ちてきた。



突然、志都は心のどこかに穴が空いたような気持ちになった。今日、彼岸へと見送ってきた人とは、もう二度と会うことはないのだ。あの女性とは。



通夜のときも葬式の時も悲しくなかったわけでは勿論ないが、慌ただしさに駆られて寂しいと思うことすら忘れていた気持ちが、今急に志都の身体を縛るように押し寄せてきた。


洗い物の手を休めずに、いつもより水の勢いを強くして。志都は、初めて静かにキッチンで泣いた。

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