どうでもいいようなことを愛しく想いながら 日々のことを綴っていこうとおもいます。

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最近の記事

透明

三ヶ日から仕事がある会社なんてあるのかしら。透子はお湯を沸かしながら考える。 夫の仕事はごく普通のサラリーマンだ。1月2日にきちんとスーツにネクタイをして出かけていく夫を気遣いながら送りだしはしたが、これが仕事でない場所に向かうのであればずいぶん滑稽だと思った。 良く沸いたお湯をティーサーバーにいれるときのジュッという音が透子は好きだ。なんとなく気分が優れない時は丁寧にお茶を淹れることにしている。真剣に。そうすれば杞憂は少し安らぐ。 今日はマスカットティーにした、とても好

    • 歩く

      僕は有限のレールのうえを歩いた 踏み外さないように下を向いて 僕の前にも後ろにも列をなすように誰かが歩いた どこかの分岐点でそれぞれ別れて行って 最後に果てのある場所に向かって歩いた 果ての無い場所ってあるのかな 誰も教えてはくれない 幾つ目かの分岐点でふと立ち止まったらそれ以上歩けない気がして 初めて視線をあげた 花が咲いていた鳥が飛んでいた空は嘘みたいに綺麗だった そこにも果てなんて有るのだろうけど 僕はこっそりとポケットに隠した地図を広げる

      • 日々のこと 24 日常の場所

        引越し魔だ。 二十歳から、一人暮しを始めて何度となく引越しを繰りかえした。長くても4年、だいたいは2年ごとに引っ越すことが多かった。 同じ場所に留まって居られない。流れる川のように、常に漂っていたかった。場所に慣れてしまいたくなかった。 今の夫と暮らすようになって、初めて同じ街に長く留まるという生活をした。8年、井の頭線の少し寂れた街に住んだ。 馴染みの喫茶店や、パン屋や何故かネパール人が作るインドカレーの店や。すれ違えば挨拶をする近所の人たちまで出来て、だんだんと自分がそ

        • 一筆小説「夕立」

          透子は小さく開いたホテルの窓から渋谷のうら寂しい路地を見おろす。ラペリアのキャミソール姿のままで。 康司との水曜日の逢瀬。たった3時間のそれは、もう半年も続いている。 偶然、再会した高校時代の恋人とふらりと始まってしまった情事。始めは忘れていたときめきを埋めるように熱を帯びていたけれど、今となってはただの習慣のように透子には感じられる。 月に一度行く美容室と、いったい何が違うのだろう。 見おろした路地を、腕を組んで歩く高校生のカップルがとても幸せそうに見えた。 ただ微

          東京

          長居するつもりもなかったのに、結局25年ほど住んでしまった東京を離れて1年半。 好きではない、と思っていたあの街のことばかり考えてしまう。 喧騒にまみれているのに、あの街には「音」がなかった。そんな気がする。 たくさんの見知らぬ気配のなかで、静かに孤独で居られた。 本当の孤独とは何か、教えてくれた街。 そんな孤独を愛してもいた。 最後のほうは、少し疲れていたのかも。 知らない気配に紛れることや、蠢いていく街のパワーに。 でも、離れてみて あの街の「寂しさ」に心が惹か

          東京

          「切なさ」の正体 存在と不在について

          「切ない」という言葉を私たちはよく口にする。 切ない曲、切ない別れ、切ない風景。 簡単に口にしてしまう「切ない」とは、いったい何なんだろう。 どんな感情を、私たちは「切ない」と呼ぶのだろう。 世界はいつも、私たちの前に存在している。はっきりと、色鮮やかに。 鮮明な世界は、はっきりとした喜びや悲しみに満ちている。 たとえ喜びも悲しみもなくても、世界は確かに形をもってそこに存在している。 「切なさ」はどうだろう。 言葉にするのも曖昧なその感情は、鮮明な世界のふと上澄み

          「切なさ」の正体 存在と不在について

          写真は「物質」である。「今井智己」トークセッションによせて。

          かねてからのファンである 写真家 今井智己さんのトークショーへ行ってきた。 寒い寒い雨のそぼ降る夜。 大きくはない会場の不思議な熱量。 「何かを受け取ってやる」という観客の静かな熱に充ちていたことが、待っているあいだに伝わる。 今井さんの写真は常に「何を意図しているかわからない」、そのただ忽然としてそこに存在する。その静かさが魅力だ。 ご本人もまた、多弁な方ではないがその写真を思わせるような静かな魅力の方であった。 Twitterでフォローしてくださっているので、私

          写真は「物質」である。「今井智己」トークセッションによせて。

          220mの小さな市場 仁峴(イニョン)市場 ソウルへの旅

          乙支路を散策しながら 小さな市場にたどり着きました。 仁峴(イニョン)市場。乙支路の折り重なるように立ち並ぶ小さな紙工場や印刷工場で働く人たちの胃袋を充たすように、小さな食べ物屋が連なっています。 表で肉を売っている店は、裏から入るとソモリクッパ(牛肉のスープご飯)やサムギョプサルの店になっていたり 魚屋の裏は、焼魚の定食屋だったり。 道幅60センチくらいの小さな通りにお店が並びます。 店先でお尻をむけて作業をするアジュマ(おばさん)もいれば、その隙間を縫うように走っ

          220mの小さな市場 仁峴(イニョン)市場 ソウルへの旅

          坂の街 梨泰院を歩く ソウルへの旅

          梨泰院はとても坂道が多い。 最近は経理団通りなど、お洒落なイメージの国際色豊かな若者の人気スポットで、クラブやカフェが建ち並ぶ。 そんな梨泰院の裏道ウサダンロを、歩いてみた。 細い坂道の多い梨泰院では、バイクがとても重宝。 歩いていても、何台もバイクが行き交う。 大きな教会の脇を通ってゆく。 この街にはには、異国情緒あふれる大きなムスクもある。 商店や、工場を通り抜けながら坂道を登ってゆく。 ウサダンロは街の高台にある通り。 歩きながら、左右を覗くと魅惑的な下り

          坂の街 梨泰院を歩く ソウルへの旅

          街中のよろず屋 ソウルへの旅

          ソウルの街には、たくさんのコンビニがある。 もしかしたら東京と同じくらい、それ以上かもしれない。 そんななか、いろんな町(トンネ)を訪ねると、ぽつりぽつりとよろず屋を見かける。 ○○マートとか△△スーパーとか看板の付いたその店は、なんだか懐かしい。 乱立するコンビニに対抗する訳でもなく、ただのんびりと営まれているその佇まいに、なんとなく安堵のような気持ちを憶えたりする。 それでいて、忘れられた存在というわけでもなく町(トンネ)と共生している。コンビニよりも、より近く日

          街中のよろず屋 ソウルへの旅

          消えゆく街 ソウルへの旅

          ソウルの中心部に小さな工場が折り重なるように建ち並ぶ場所が在ります。 乙支路。 近年、開発のため大がかりな取壊しが進んでいます。 今回の旅で歩いたのは、紙工場や印刷工場が建ち並ぶエリア。 1mもない工場の合間の道を、改造された荷運び用のバイクが行き交います。 わたしにとって、人々の暮しが圧倒的な密度で集まったこんな街こそが「ソウル」だと思えるのです。 圧倒的な熱と、どこかに漂う諦念の影。 こういう小さな工場が、後のソウルの復興を下支えしてきたはずなのに 今や、華や

          消えゆく街 ソウルへの旅

          今、ソウルにいます ソウルへの旅

          最高気温23℃。東京よりほんの少し暖かいかもしれません。 今、そんなソウルにいます。 ソウルに来ると、不思議な解放感を感じます。 それは単に「旅先だから」なのか、それともこの国に漂う「ケンチャナヨ(大丈夫、問題ないよ)」という感じのせいなのか。 この国は、日本よりも少しだけ「おおらか」な感じがします。 だいたいのことが「ケンチャナヨ」と(問題があるときですら)済まされてしまう感じが。 でもそれは、この国の歴史を遡って考えてみると、心が生きていくための術だったのかもしれな

          今、ソウルにいます ソウルへの旅

          日々のこと 23 夕暮れの光、そして生きるということ

          夕暮れが、好きだ。 正確にいうと、夕暮れの写真を撮すのが好きだ。 夕暮れを見ると「あぁ、今日も一日生き終えた」と思う。 日、一日生きることが、あたりまえの人もいるしそうじゃない人もいる。 生きることが辛くなったことのある人には、分かってもらえるのではないだろうか。 そんな気持ちに夕暮れの光は、そっと寄り添ってくれるような気がする。 今日も一日生き終えた。その一日の終わりに見られる夕暮れが、ほんの少し「明日も生きてみよう」という希望みたいに感じることを。 夕暮れの光

          日々のこと 23 夕暮れの光、そして生きるということ

          夜のソウル ソウルへの旅

          ソウルの夜の街をふらりふらりと歩くのが、好きだ。 もしくは、バスに揺られて眺めるのが。 初めてソウルを訪れたとき、着いたのは夜で、タクシーの車窓から赤く光る十字架(それも、たくさんの)を見たことが忘れられない。 そのときから、わたしにとってのソウルは、あの十字架のイメージになった。 東京も夜のネオンは明るいけれど、なんとなく素っ気なく思える。ソウルのそれに比べると。 ソウルの夜は長い。遅くまで開けている店も多いし、夜中にふらりと歩いていると、バスを待つ人が何人もいたり

          夜のソウル ソウルへの旅

          日々のこと 22 孤独について

          先日「すべての、白いものたち」という小説を読んで、ふと気づいたことがある。 「孤独」とは、噛み砕けない自分自身を心のなかで飼っていることなのではないかと。 人混みの雑踏のなかで、がらんと静まり返った夜のなかで。 もしくは、気のおけない仲間たちとの楽しいはずの談笑のなかですら、ぽつりと「孤独」が落ちてくるときがある。 独りぼっちだから「孤独」という訳でもないのだ。信頼して愛している恋人や伴侶と時間を共にしていても、それは突然やってくる。 相手のせいのようにみえて、実は独り

          日々のこと 22 孤独について

          在来市場の湿度 ソウルへの旅

          ソウルに行くと驚かされるのは、市場の多さだ。 日本でも、地方へ行くと朝市とかちょくちょく見かけることはある。 しかし、東京で市場といわれると「築地市場」くらいしかピンとこない。 ソウルの市場は(勿論、大規模なものもあるが)、殆どが「在来市場」と呼ばれる小規模のものだ。 トンネ(町)ごとに、昔ながらの小さな市場がある。 テント貼りだったり、アーケード式だったり、露地だったり。様々な市場が。 売られているものは、野菜だったり魚だったり惣菜だったり。イートインできる軽食の

          在来市場の湿度 ソウルへの旅