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ひと粒の私

どうにも解決なんかできないことで悩んでいる人たちと、たくさん話すことが数日重なって、喉が少し枯れてしまった。
大きな声で喋っていたわけでもないのに、と思いながら、喉に良いという金柑のハチミツ漬けを食べて、自分を癒している。
外では雪が降り続いている。


どうにもならないこと。
例えば過去に起こった酷いことが、どうにも許せなくて、忘れられなくて、でも起こってしまったことは変えられないわけで、グルグルと終わりなく悩んでしまう。
 
または、病気を抱えて生まれてきたお子さんの世話が毎日毎日大変で、どうして私にこんな運命が降りかかってしまったのだろうと、いわゆる普通の人生が良かったのに、と悩み続ける。
 
あるいは、夫の義両親とうまくいかない。古い男尊女卑の価値観に納得できない。結婚って何なのか、差別は無くならないのか、というのもあった。


お話を聴いていると、本当にどれも、大変だろうと想像できるものばかり。
どうにもならないし、それぞれ、運が悪かったんだよね、と言いたくなることも。
本当のところ、誰が悪かったわけではないのだ。注意深く生きていれば避けられたという事でもない。

周りの人からは、「あなたはそれを乗り越えられるからそういう試練が来たのよ」とか、「そういう役目が与えられたということは、魂のレベルアップのために尊いことだ」などと、さんざん言われてきた彼女たちだ。

当の本人たちは、そんな役目も要らないし、レベルアップなんかしなくていいから、普通がよかったと言って泣いている。まあ、そう思うのは当然だ。


普通って何だろう?
どれが普通と言えるのか。大多数であれば普通になるのか。そしてそれは人間の正解なのだろうか?

防げなかった過去の出来事、ため息と疲労感の毎日、でもそれだって、これだって、全て普通の人生なのではないか。
つまりは、普通なんていう概念は妄想でしかない。
誰の人生も、どんな人生も、その人にとっての普通の人生である。

普通の人生、普通に生きるって何だろう?
生きるとはそもそも、目覚めて、息をして、水を飲んで、食事して、歯を磨いて、お風呂に入って寝ることだ。
ただそれだけ。

朝いつものように目が覚めたことに感謝しよう、というものでもないし、生きていく甲斐があるかとか、生きている意味は何だとか、そんなものは要らないし無い。
ただ淡々と、粛々と、生命を生きている(はず)なのだ。

普通というものがわからなくなって、不安になるから悩んでしまう。
これでいいのか、こんなのは嫌だ、でもどうしようもない、自分の力ではどうにもできない。嘆くしかない。
それは小さな子がスーパーの床に仰向けになって、買ってもらえないお菓子をねだって泣いているのと同じこと。
一見、諦めが悪いように見えるこれは、実は自分自身を諦めている。

欲しい状態が、無いのがあなたの今の普通なのだ。
でもその普通の自分を諦めてはいけない。
もっとこうだったら良かったのに!
それは、あなたの人生ではない。

悩んでいる今の自分を客観的に見ることが必要かもしれない。
今、目の前にあるのが現実なのだ。
他人が語る幸福論を自分に当てはめてみたら、この世は足りないものだらけ。
スーパーの床から永遠に立ち上がることはできなくなってしまう。

時には、買い物客の1人が声をかけてくれることもあるだろう。
手を握って体を起こすのを手伝ってくれる人だっているだろう。
仰向けで天井ばかり見ていないで、周りに気づくことくらいは倒れたままでもできるはず。

他人と関わっていくことで、自分の人生を自分だけのものなのだと、やっと思えるようになる。ああ、そういえば、ここに今自分は生きているんだったと、確認できる。
だってみんなそれぞれ、いろんなストーリーを生きていることに気づくから。
だから、「気づき」というものが何より大事なのだと私は思っている。

辛くなったら誰かに(または私に)その辛さを話せばいい。
自立しながら依存し合って生きればいい、とも言える。
人と関わって比べるのではなく、私は私の人生こんなに頑張ってる!私の人生をこんなに生きてる!って思えるだけでいい。
あなたの、あなただけの人生を諦めない。
目の前にあるのが、あなたの普通。  

どうしたら解決できるか?
どうしたらもっと楽になれるか?
という、ピンポイントで安易な具体的視点じゃないのだ。
もっと全体を見る。
自分が全体の中の一部であることに気づくには、それしかない。

大いなるものの中のたった一粒でしかない私たち。しかも全ては変化していて、止まることのない世界の中にいる。
有限で小さな自分の、今を、いちいち受け入れていく。最後まで。そして、すべきことをする。やめるならやめる。
それが俗にいう「自分に優しくする」ことなのではないだろうか。
私たちにはそれくらいしかできないのだと(あるいは私たちはそれくらいシンプルなのだと)、知ることから始めるべきではないだろうか。


壮大過ぎるかもしれないけれど、ある映画の、私の好きなオープニングシーンをここに。

空から降る雪で、星も見えない地より。



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