MARCHから国立大学編入に挑んだハナシ1
何かを選ぶことは何かを失うこと。
これが私なりの答え。 2024.11.30.
タイトルの通り、私は現在MARCHの一味に在学しており、今年3年次編入学試験を受験しました。春からは晴れてお茶の水女子大学の3年生になります。
noteの初めの投稿は編入についてにしようと決めていました。今日は具体的なことは置いておいて、心理的な所謂心の身辺整理を。
3年次編入を志して1年3ヶ月、1人で何度も頭を抱えて胸を傷め、いつしか後戻りできなくなって、気づけば終結が迫っていた。長かったけれど、毎日必死であっという間だった。
大学受験失敗を経て、結果が全てだと信じ過ぎたまま生きてきた私。
この度編入を志すにあたって、過程からしか得られない、努力の末にある「答え」のようなものを得たかった。
「全てを捧げる」
大学受験を失敗した高校3年生の時に愛していたこと、全て諦めると誓って
辛さも苦しさも見越した上で、編入に向けた勉強を始めた。
大学受験失敗の原因は、人間関係や日々の充実を満喫し過ぎたこと。本当の望みを手にするためにはこれを諦める必要があること。
編入試験に付き纏う苦悩。仲間も情報も無い中での孤独感、実力とかけ離れた目標、周囲からの揶揄。
全部全部想像はついて、それでもできる、やってやると決めた。
それでも振り返るともうめーっちゃくちゃ辛かった。2度と戻りたくないくらい。
一方でもう戻る必要がないくらい、色んなことをたくさん吸収して噛み締めたとも思っている。
辛かったけど楽しかった、かな、
楽しかったと一口には言えないけど。
望んだことに全力で打ち込める幸せを身に沁みて感じた日々だった。
恵まれた環境には感謝がやまない。
経済的に苦しいながらも私を東京の私大に進学させてくれた家族、
同じ居場所で私を受け入れてくれて、干渉せずにそばにいてくれた友人、
私にとっては妥協で手に入れた今の居場所を、十分だと評価してくれる周囲、
徒歩圏内に学校も駅もスタバもあって、山と川に囲まれた心地良い環境、
本当にありがとう。
もしだめだったら、春から大人しく就活して障害者雇用枠で就職するつもりだった。
院進も留学も望むことは望んだ場所で全部やる、そのために私は絶対に合格するのだと、これまで信じてやってきた。
「頑張ってるつもり」から抜け出そうと奮闘した。
これだけやったのだから合格して当然だと思えるほど自信はなかったけれど、
1年以上も向かい風に抗いながら初志貫徹したのだから、
私は十分頑張ったのだ、思うように結果を出せなくても全力で努力した、それだけで十分素晴らしいのだと、自分のことを認めてあげたい。
日常の中でふと立ち止まって顔を上げた時、たくさんのものを失ってきたのだと気づく。
それをもう取り戻すことはできないのだと、時々惜しくなる。
編入試験に挑んだからこそ知ることができたことは勿論たくさんあるけれど、
同じくらいたくさんのことを犠牲にした気がする。
遊び、アルバイト、旅行。大学生の日常には娯楽が溢れている。時間の使い方は人それぞれ。
全ては勉強のため一度きりの試験のためと、どれだけのことを切り捨てたことか。
それでもこれはしょうがない、とまとめることしかできない。
何かを選ぶことは何かを失うことなのだから。
この言葉は嘗て友人が、皮肉の意を込めて私に吐いたもの。
全てを欲しがっていた当時の私には納得できなかったけれど、今なら分かる。
何かを選ぶことは何かを失うこと。
これが編入試験を経て得た、私なりの答え。
以下唯一編入の志望を明かしていた友人2人へ、
進学先を伝えた時、頑張ったねってたくさん言ってくれて、我が事のように喜んでくれて、本当に嬉しかった。
自分には勿体無いほどの友人を持ったと思った。
この1年、私があまり遊びやアルバイトに時間を注いでいなかったことに対して、詮索も否定もせず、
学力を人格で判断しないで、
ずっと穏やかに朗らかに仲良くしてくれてありがとう。
2人がいなかったら耐えられなかった。
1人だったけど独りぼっちじゃなかった。
2人のおかげ、ありがとう。
こんなトンデモな私だけどこれからもよろしくね。
単なる学歴ロンダリング目的だけでは成し得なかった、3年次編入。
たった1つの合格のために、たくさんのことを諦めた。
それでも今は、達成感と満足感に溢れている。