5年前にお仕事で撮影させて頂いた赤ちゃんの写真が出てきたので。
時に商用撮影とかでCMの過酷な現場とか見てたとかする経験があるメイクの裏方の人に、全く私のお仕事内容を知らないで批判的な振る舞いをしてくる人とかがいたり、親御さんでも片方の方があまり理解をしないで撮影に立ち会ったりすると、疑問ややはり問い詰めみたいな事をする人がいるけど、仕方がないのは承知でやはり精神的に疲れてしまう。
児童虐待みたいなことには私も反対だし、望まれない撮影ほど本人にとって苦痛な事はない。
意思決定が自ずと出来ない赤児なら余計にそう。本人が楽しくないというのは不幸でしかない。
「記念撮影」って後々本人が見返した時に思い出だったり、心暖かくなるのが私は理想的だと思っている。形式は様々だけど、それは「記録」としても常にそうでありたいものであり、例えば自己満足が入っていたとしても、相手がそれを求めてくれるなら、やりがいはある。出発点は相手であるべき。
しかし時にそれも難しい状況にも出会すよね。向き合っているのは短時間であっても1人の人間。
不確定要素なんてたくさんあるよ。でも出来るだけそれに備えるということ。
人の数だけストーリーがあるのは、確かにそう。良い事ばかりではないのかもしれないけれど、私は良かったなって思える事の方が多かった。
同じ様な撮影の繰り返しに思ってしまう自分にならない様に、努めたり。
不妊治療を経て、ようやく子供を授かり、撮影にいらっしゃったご家族もいました。想いが根本から違う。そういう想いを日常的に行われるお仕事の一環で終わらせてはならないという想いが強い一方で、その様に思わない方もいました。
価値観っていうのは本当にひとつだけではない。特にある種命に関わるお仕事ですから、シビアな面もあります。生命の誕生を記念撮影するお仕事。
結婚しているのか?とお仕事とは関係のないと言ってくださる方もいた様な問いを投げかけてくる親御さんもとても少数ではありますが、数千人の中に、2人くらいはいました。
色々勉強したりしていても、新米ママよりも物知りだったりしても、初対面での短時間。信頼されない事は仕方のない事なのかもしれません。大事な我が子となれば尚更です。撮影方面に特化しているプロであっても、それ以外に関与する知識は必要です。短時間でそれらを説明するのは難しい。
正直赤ちゃんとの体力勝負な部分もありますから、極力短時間で済ませてあげたいというのが私の本音ではありました。
常に色々考えていても、伝わらないことの方が大半なんですね。だから今の様にこうしてnoteなどに過程を記録していく事は、結構大事な事なのだなと、SNSを介していても思うのです。今からでも書いていけたら。
お子さんが成長した1年後とかなどに、私を指名で再度撮影にお越しいただいたご家族もいらっしゃいました。とても嬉しかった。
会ったご家族の数は少なくないですが、私が撮影させて頂いたご家族の事は覚えているものです。写真の撮影ですから、尚更なのです。
写真の撮影は、瞬間が命だと思う節があり、見逃さない様に、とても被写体の方に撮影中集中するんです。とてもよく見る。
思い入れもありますし、成長した姿をまた記念に残す機会を与えていただき、選んでくださったことに感謝するのです。
色んなご家族の方々がいるのです。数年も子供撮影スタジオのお仕事をしていましたから。でも体力勝負な部分もあり、無理な態勢での撮影も長続きしたり、結果上層への相談に上手くとりあってもらえず、体調を崩してしまい、子供撮影スタジオのお仕事は只今お休みをしています。
一方でアスリート並みに将来的に体力的なものは長続き出来ないと判断し、体力に頼らずとも長く続けていけるお仕事にシフトする事を決意したのもあります。帰宅してからご飯を2杯食べてもなお痩せていったくらいですから、相当だったと思います。
しかしながら子供撮影スタジオの経験は誰にでもあるものではない貴重なものであり、今やスマホで普段からお子さんの写真や動画を収めている親御さんも数多いので、参考までに子供の撮影に関する経験もnoteとか文章にまとめておけたらなと思っています。
それと、例えば今後子供撮影スタジオを再開する機会があったとしても、今のところ、自分の子供無しでは撮影しない。と私は決めています。よほどのことがない限り、あまりこの考えは変わらないのではないか?と思っています。
確かに同じ土俵に立っているからこそ、理解できる事も有れば、理解されていると相手が感じ取れる事もあると思うのです。
時に年齢的なものや、見た目だけで判断される事もありました。見た目だけで立場が逆転していると思われるとは、ある意味面白いですが、確かにそれがネックだったりする事もあるのです。
私よりも年上のアシスタントさんとお仕事をしていた時はよくその様な現象が起きていました。
「撮影でさえも、体型や外見がネックになってしまうのか。」という思いにも幾度と向き合いました。身長などで制限される職業など数多ありますが、唯一それがないと思っていた創作系でも撮影に直接関係のないところで影響があったりする。どうしようもない事ですから、受け入れるしかないですね。
撮影スキルを極めていく道もあったのですが、今は一段落させています。体調が崩れるまでやり切った感はありましたし、その先に行くとなると、昔いたスタジオでは限界を感じたのもあります。
今でもプライベートで撮影はしたりしていますし、お仕事で撮影をお受けする事もあります。全て手放してしまったわけではないのです。一定の水準は保ちつつ、向上心もまだまだある。
私は子供の撮影に特化しているだけであって、風景など景色の撮影にはまだまだ進歩の余地もあるのです。一方で人が写っている写真に意味を見出していたりもする。
仕事とプライベートなんか分けなくて良い。と主張されている方がいたりしますが、確かにそうなのかもしれません。
私は引き続き自分の好奇心を満たしながら、理想を追いかけていけたら良いなと思っています。
往々にして苦しくなることの方が多かったりするのかもしれませんが、なんせ要領が悪いので、とにかくやってみるんです。そしたら嫌でも分かってくることだってあったりする。
「ネタに困る。」という人がいますが、私にはよく分からない感覚です。自我が強いのか、言いたいことのほうが多かったりもします。
SNSって不思議です。生涯関われなかっただったり、関わらなくて良かっただったり、色々な面で出会いがあります。SNS疲れをすぐにするんで、向いてないのかもしれませんが、でもあんまり真面目にSNSってやったことないなって思って。
客観的に自分を見直せるのがSNSですが、偏った場所にいると、間違って見直さなくていいところまで悩んでしまうのがSNSだと知ったので、自分を見失わずに、行動していけたら良いのかなと、思ってる。先に自分で決めてしまうこと。本当に優先すべきことと、大事にすべきことと、今一度きちんと考え直すいい機会にもなりました。
写真1枚がきっかけでここまで書き出せるんですから、写真は私にとってやはり特別なコンテンツです。
文字に書き起こさなかったら、殆どの人が私の撮ったこの写真を見て、ここまで私が思考を巡らせている事は、知り得なかったはず。
写真だから伝わる温度と、文字に書き起こす事で明確に伝わるもの。どちらも大事にしていきたい。
好ければよろしくお願いします・*