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『人間の想像力は世界を解体する』アーティストの久保ガエタンさんへのインタビュー

フランスに渡った理由について詳しく教えてください。
アーティストの久保ガエタンと言います。超常現象や自然科学的に知覚できないもの,精神分析や社会科学の中の見えない関係性などを扱うアーティストとして活動しています。
フランス人の母、日本人の父を持って日本で生まれ育ちました。フランス語の学校教育を受けていなかったので、子どもの頃、私にとってフランス語とは母親と自分を繋ぐための大切な言語で、まさに「母語」というか言葉なのかもしれませんが、意識ではフランス語・日本語のはざまで彷徨っているような感覚が今でもある気がします。幼少期は夏休みを利用してフランスに短期で滞在することなどはあったのですが、フランスに一度長期で住んでみて、色々な人に会ってみたいという思いがずっとありました。ポーラ美術振興財団の研修員としてフランスに渡ったあとは、「魔術と技術」を研究されている、パリ第8大学の准教授に作品指導を受けながら、ヴィラ九条山のようなアーティストレジダンスに1年間所属し制作をしていました。

POLA奨学生として決まったきっかけについて教えていただけますか ?

2016年、東京のアーティストレジダンスに滞在していた際のフィールドワークで、日本初の大型火力発電機がフランスのボルドーで作られた船を溶かして作られたことを知りました。当時、日本には良質な鉄を作る技術がなかったために、フランス製の船を再利用して発電機が作られていたのです。ボルドーは私の母が生まれた場所です。ちょうどその時期は自身のルーツやアイデンティティーについて考えを巡らせ始めた頃で、それが分かった時、偶然と言ってしまえばそうなのですが、フランスとの縁を感じたんです。同時に、全てのことは繋がっているという強い確信もありました。この確信をモチーフに生み出した作品がきっかけとなり、POLA美術振興財団在外研修員に選出していただくことができました。

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東京でのアーティストインレジデンスでの展示/©KIOKU Keizo

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ボルドーの戦艦が日本初の発電機に生まれ変わるまでを追った青焼作品

フランスにいるときにいちばん印象に残ったことは何ですか? 

母国から離れて外国に向かうということは、実はむしろ心理的には自分の国と密接になるということが言えると思います。フランスでは日本に関連したイベントが多いこともあって、日本が好きなフランス人と出会うことも多いです。そういった場面では自分のアイデンティティーを自覚する・改めて考えさせられることがよくあります。アーティストとしても、1年間日本のアートシーンから離れることで、つながりが薄くなることを恐れていたのですが、その点はむしろ逆で、さすが芸術の国。日本からフランスに作家が展示できたり、フランスに出品されている日本の作品の管理をしにきたキュレーターなど、日本以上に普段あまり交流のない大御所の方との交流が生まれて、それが次の仕事に繋がったりしたことは驚きました。それからフランスという国の現代美術への寛容さは、自分には衝撃的でした。専門的で難解であったり、コンセプトが抽象的で解釈の猶予が大きかったりと、日本の美術館で企画を通すことが難しそうな展覧会を目にしました。このおおらかさは、フランスではほとんどの美術館に無料開放日が設けられていることや、授業の一環で美術館に行く習慣があることからきている気がします。さまざまな作品と向き合う免疫がつくのかもしれません。

前回の展覧会「透明な力たち」では「目に見えないものを再構築する」という試みのもと、 «世界は音で満たされている»という作品を作っていましたね。フランスでの経験が反映されていたのでしょうか?
「音」や「声」を選んだ理由は様々あるのですが、ひとつの理由として私はフランス語をほとんど「耳」で習得した言語であったということがあります。友達とは日本語で会話し、母とはフランス語で話し、両親は英語で話すという状況の中で、フランス語での読み書きが大人になるまで充分にできなかったのです。フランス語は文字として存在しない言語で、母の声によって存在を確かめていた言語だったんですね。だから余計フランス語の響きに惹かれたのかもしれない。その「目にはさやかに見えないけれど存在する確かなもの」を芸術として翻訳してみたいと思ったんです。音が似ている言葉を見つけて面白いと思ったり、翻訳ができない言語を探したり。言語に挟まれて、それが苦しいと思うときもあったけれど、そうやって言語間を彷徨うことで見えてくる景色もあって。その旅の途中で見つけたものが、透明なものたち、すなわち「音」や「声」にまつわる歴史でした。自分は日本ではフランス人っぽいね、と言われることが多いし、フランスでは日本人っぽいねと言われます。では、「声」で人を判断できるのだろうか、という問いかけでもありました。

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「MOT ANNUAL2020 透明な力たち」展示風景/©KIOKU Keizo

フランスでアーティスト活動において驚いたことは何ですか? アーティストへの寛容さと維持活動の支援です。パリ市は市内のアトリエに使える物件を助成によって安く貸してくれるんです。私のいたアトリエは、取り壊しの決まったビルを仲介してもらったものだったのですが、そこはアーティストの自治区のようになっていて、壁などを自由にぶち抜いて広い部屋を作ったり、誰もが自由に場所を活用していてとても新鮮でした。若いアーティストは資本金とアトリエ代を払う経済力がないので、我々の活動を国がサポートしてくれることは素晴らしいですよね。他にも、レフリゴLes Frigos(フランス語で冷蔵庫を意味する)というアトリエなんかは、元々はSNCF(フランス国鉄)の貨物用食料冷凍庫なんですが、そこが使用されなくなったため、アーティストが不法占拠してアトリエとして使いはじめたことが1つの理由となり、80年代にはSNCFから公式のアトリエとして認められ、現在ではパリ市も庇護者となっています。日本でも文化芸術への公的支援などは多く存在しているのですが、基本的にはギブアンドテイクというか、借りたことによる地域貢献が前提にあることが多いと思います。それから資料の保存の多さにも感心させられます。歴史的資料から現代美術まで多くの資源が保存されていて、しかも公共に開かれているということは非常に重要なことです。また、表現者として印象的だったことは、鑑賞者も積極的に作品と関わるところ。展覧会場でとにかく会話をする。作品に対して質問したり考えを伝えてくれる人がとにかく多かった。そしてその解釈は、ときに自由で不条理で、作り手の想像を超えて展開しているんですよ。だから私はフランスに行って、「表現に正しい答えなどはない」というシンプルだけど大切なことを学びました。考え方が違っても、それを他者と共有することで様々な世界の切り取り方があることを実感できたこと。それは素晴らしいことでした。

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退去した会社を居抜きを活用したアーティストインレジデンス

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レジデンスの駐車場を利用したオープンスタジオ展を行った

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レジデンス内部のアトリエ

フランスでアーティストとして経験を積みたいと思っている方へ一言お願いします!

日本とフランスは惹かれあいながらお互いの芸術を進化させてきました。フランスでのアーティスト活動は、例え短期的な一時滞在であったとしても、固定概念を解体する一生の価値観を与えてくれるはずです。それは驚異や感動だけでなく、問題の発見でもあり、アーティストとしての課題をもたらしてくれます。現在、パンデミックによってフランスで活動をしたくても動けない現状の人が多いと思います。しかし、日本には東京のアンスティチュ・フランセや京都のヴィラ九条山など、フランスの芸術と交流できる場が多く存在します。そしてそこで得た経験は、後のフランスで糧になるはずです。まずは可能な範囲から出会うことをはじめてください。