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シンクロナイズドライフ

今や芸能人は、パフォーマンスよりもその人間性が評価されるようになった。

「みんなが大好きなあの人が、みんなが大好きであることを言ってくれる」

今般の芸能界では、そんな期待に応える行動を重ねないと、ノーダメージで生き延びることは難しい。

ましてやこのSNS社会。一生会えないはずの大好きなあの人と、信じられないぐらい身近に触れ合うことができる。対象との精神的な距離が是正されていったいま、テレビや雑誌の上だけでは無く、道では、お店では、自宅では何をして、どんな生活を送っているのかすら発信している彼らの、人間の深みにズブズブとはまっていく。最早、本職のパフォーマンス等、話題となるほんの一端に過ぎないのかもしれない。

そして、対象を嫌う時も、実に一瞬。
「大好きなあの人の、あの一言が大嫌いだ。」
それだけで、人はあっさりと梯子を外す。

嫌いな理由は、自信が勝手に過信し、考えや行動、性格を決めつけた“対象”が、自分の思い通りに動かなかったから。期待に沿わなかったから。

それだけだ。


これは、自分勝手な同調性共和国ニッポンが生み出した、這い出ることの出来ない、社会の大きな大きな蟻地獄の象徴だ。まさに、シンクロナイズドライフとでも言おうか。



しかしながら、
期待を裏切ってこそ、評価されていく人間もこの世には存在する。


それは、






お笑い芸人だ。



笑いとは、いかに大衆の予想を裏切るか、意に反した話を提供するかによって発生する、日本人の固まりきった感性の逆をつく画期的な性質である。
“同調”が蔓延ったこの国において、尖り、汚れ、それでも自分の信じた笑いを追求する彼らの姿は、実に非大衆的であるにも拘らず、今やテレビに出ずっぱりの超大衆的文化となっている。

わざわざコンプライアンスの狂ったこの国において、わざわざお笑いを極めることを選択し、
各メディアからいつも笑顔を届けてくれる彼らが、僕は大好きだ。

「お笑い芸人に品行方正を求めるなよ鬱陶しいな!」

「知るかそんなもん、ワシが法律じゃい!」

ウエストランド井口氏と、千鳥ノブ氏は斬る。

みんなが同じであれば安全だ、揉めない。
だが、それに何の意味があるのだろうか。

芸能人が世の中にこんなに沢山居る意味が、
国民がこの国にこんなに沢山居る意味が、
もう少しあったっていい筈だ。

唯一無二の自分を目指す、
お笑い芸人を僕は応援する。

たまに燃えている様子を目撃する。
なんの、跳ね返せ!そして信じてくれ!

大好きな人が放つ言葉は、どんな言葉も大好きである自信が、僕にはあるから。

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