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虹色の免許証(前編)

(あらすじ)大学生になったばかりのぼくは、初めてのコンパで青い髪のK子と出会う。彼女から教えられた「虹色の免許証」の話がきっかけで、変わっていくぼくのキャンパスライフ。K子がこだわる「自分で色を選ぶ」理由。K子とぼく、さわやかなイケメンの真田による免許合宿が始まる――。

「免許証の色がコロコロ変わるって、知ってる?」

大学一年生の夏という騒々しく胸が高鳴る時期のこと、人生初のコンパで隣に座ったK子が言った。

「え、どゆこと?」と聞き返した。

「だ・か・ら、免許証の色が変わんのよ。コロコロとね」

K子は、自己紹介から変わっていた。髪は青で、つけまつ毛は赤。黄色のギンガムチェックのTシャツに短パン。夏真っ盛りの〇ゃりーぱみゅぱみゅみたいだ。自己紹介の番がまわってきた彼女は、立ち上がりこう言った。

「わたしと友達になりたい人は、黒以外の服を着て」

そんなぼくは、黒のポロシャツだ。それなのに、K子の隣に座ってしまった。コンパに誘ってきた松井が、端の席でニヤニヤしながらぼくのポロシャツを指差した。あんにゃろう……。

それでも、せっかくK子が声をかけてくれたんだ。盛り上げようと話をつなぐ。

「車の運転免許の色ってさ、青かゴールドでしょ?」

「ばかね。グリーンもあんのよ。最初に取得したときはグリーンなの」

「そうなんだ。まだぼく、免許持ってなくてさ……」

「持ってないなら、なおさら知っておくべきでしょ。とにかく、コロコロ変わるから覚悟しときなよ?」

「あのさ、免許の色がコロコロ変わるってどういうことなの?」

K子は、「知りたい?」と言って顔を近づけた。ち、近いな……。ちょっとドキッとする。

「教えてあげる。まず、LGBTQ+は知ってるよね。え、なに。それも知らないの? あんた、よくこの大学受かったね……ま、いいや。セクシャルマイノリティの人の頭文字をとって、LGBTQ+。ちゃんとついてきてる? わかんなかったら、ググりなさいよ。

今まで保険証やパスポート、履歴書だって『男・女』で分けてたでしょ。それがアメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国の主要5カ国がその表記を禁止したわけ。アメリカの閣僚が自分はゲイだって公言してから、なんか一気に風向きが変わったよね。

それで、日本でも「男女分け」をやめたわけ。「M・W・L・G・B・T・Q分け」することになったんだけど、これがもう大変。政治家のおじさんたちは覚えられないし、分けることでいじめも起こるんじゃないかってマスコミが騒いでるでしょ。……あんた、とことん知らないのね。

で、車の免許証よ。なぜか、最初から性別表記欄がなかったわけ。それでどうなると思う?……色分けすることになったってわけよ!」

K子がこんなによくしゃべる人だとは、思いもよらなかった。ぼくは手元の飲み物をグイッと飲んだあと質問した。

「でもさ、さっきコロコロ変わるって言ったじゃない。色分けしたらそのまま落ち着くんじゃない?」

赤いつけまつ毛を瞬かせながら、K子はぼくの目をじっと見つめた。

「そうなの。そこが肝心よ。いい? セクシャルマイノリティってのは、今のところ自己申告制なわけ。だっていまのところ、知る術がないんだもの。いままでは、生まれたときに男か女がわかる。これからは、それだけじゃダメなわけ。生まれた瞬間に、『この子は見た目がLだけどTかしら』なんてわかんないじゃない。そうでしょ。だから物心ついたときに、役所に申告することになるわけ。

ただ、その申告がひどく曖昧なのよ。自分は女性が好きだと思ってたけど、実は違ったって大人になって気づく人もいる。90歳になるまでずっと言い出せなかった人もいる。自分の性別をはっきりさせることができない人もいるんだから。これからは、人生のうちに免許証の色をコロコロ変える人が増えると思うの。

でもね、色を分けることに意味があるとは、わたしは思わないんだ。『色を選ぶ』ことに意味があると思ってる。わたしたちは、好きな色を選んでいいってこと。女だからピンクとか、男だから青とかさ、色でカテゴライズする世の中なんて、マジで終わってる。

自分が好きなものは好きって言っていい。他の人が何を選んだっていい。そういうことが大事なんだよ」

K子はそう言い終わったあと、少し泣きそうな顔をした。何か言わなくちゃ、言わなくちゃ。慌てて思いついた言葉を口にした。

「ぼ、ぼくは、K子さんの青い髪、ステキだと思う!

あまりに大きな声だったので、周りのみんなが一斉にぼくを見た。松井がヒューッと口笛を吹いた。

恥ずかしい……。俯いたぼくは、グラスを机に置く。すると、K子がぼくの黒いポロシャツの裾をグイッと引っ張った。

「あんたの好きな色、教えてよ」

そういった彼女の顔は、少し照れていた。

K子とぼく、そして真田の免許合宿

3限の授業は、平家物語についてだった。平家物語は、平安時代末期の平家一族の没落を描いた長編の軍記物語だ。小学生のころから時代漫画を読むのが大好きで、平家物語の漫画はとくに面白かったので覚えている。

日本文学が社会人になって役立つかどうか、ぼくにはわからない。けれど、好きなものを学ぶのが一番いいと思った。だからこうして、1000年前の本当かどうか定かではない話に胸をときめかせている。

テキストと筆箱をリュックに突っ込んだとき、スマホがふるえた。K子からLINEだった。

「あさぴー、ヒマでしょ。いまどこ?」

K子のLINEはいつも唐突だ。ぼくが朝野だから、あさぴー。いつでも空いている前提で聞かないでほしい。まるでぼくが誘いを待っていたみたいじゃないか。そんなぼくは、このあと何も予定がない。

「今、北キャンパスにいて家に帰ろうとしていたところだよ。どこに向かえばいい?」

K子と出会って3か月、外はすっかり涼しくなり、緑色だった木々は、少し霞んだ色合いを見せ始めていた。3か月の間で、ぼくとK子は、恋人未満友達以上の関係へと辿り着いた。

今も信じられない。冴えない高校生だったぼくが、いまは茶髪のロン毛でピアスを開けていること。母さんに買ってもらったユニクロの黒シャツしか着なかったぼくが、スカイブルーのサマージャケットを羽織っていること。そして、首にはK子からもらったドクロの形をしたシルバーネックレスが光っていること。

このネックレスをもらったのは、3回目のデートのようなものをした日だった。

「あさぴー、水色が好きって言ってたでしょ。これ、わたしが高校生のときに使ってたネックレスなんだけどさ、このスカルの目が水色だから気に入るかなって。もう使ってないし、いらなかったら捨てちゃうし!」

青い前髪がフワフワと揺れる。K子は話すときに頭を上下させる癖がある。まるで、自分の話していることに何度も頷いているみたいだ。それが緊張しているのを隠すためだったというのは、ずっとあとに知るのだけど。

「もらっていいいの? すごくうれしいです!……でもさ、スカルってなに?」

「スカルも知らんの。あんた、あほ? 自分でしらべ」

K子はツッコミが厳しい。しかも関西弁だし。中学まで大阪に住んでいたそうだ。親の転勤で横浜に引っ越してきてから、なるべく関西弁を封印していたらしい。でもツッコミはいつも関西弁なのだ。スマホでググる。

「ええと、スカル。……あ、ドクロのことなんだ。なんかスカルって響きがいいね」

「ええやろ。私も好きやねん。……もう、あさぴーと話してると関西弁になる!」

前髪をフワフワさせながら、K子はネックレスを持ち上げた。手のひらにひんやりとした感触が落ちる。

「それ付けてさ、水色の洋服と合わせてみなよ」

そう言って、K子はニッと笑った。

女の子からアクセサリーをもらうなんて、生まれて初めてだった。その日はぎゅっと握り締めて眠ったっけ。

北キャンパスを抜け、中庭のベンチに腰を下ろした。K子との待ち合わせによく使う場所だ。すると、後ろから頭をポーンと柔らかいもので叩かれた。

「いたっ! 何するん……あ、真田」

真田浩二(さなだこうじ)。同じ学部でよく授業で顔を合わせるので、ときどき話すようになった。たぶん、学内で一番イケメンだと思う。彼が歩くと、「モデルじゃない?」「やば、脚長い」などの声が聞こえてくる。真田はそんな声をまったく気にしない。同い年とは思えない奴。男同士で下ネタの話題がのぼると、スッとその場を立ち去る。そういうところがイケメンなんだよな。

「朝野、3限終わった?」

「うん、真田はこれから授業?」

「今日は2限終わって次は4限なんだけど、その間に自動車学校の説明会に行ってた」

さっきぼくの頭を叩いたものは、自動車学校のパンフレットだった。真田が隣に座り、真田がパンフレットをパッッと広げたとき、K子の足音が聞こえた。K子はいつも大股で、かかとから歩く。まるで偉そうな王様みたいな歩き方だ。中庭の砂利からザッザッと音がした。

「あさぴー、自動車学校行くの?」

左からやってきたK子がベンチに座りながら聞いてきた。

「いや、友達が行くみたいでさ。あ、彼は真田くんです。真田、こちらはK子さんです」

おずおずとふたりを紹介すると、真田はいつも通りさわやかな笑顔で「どうも」と言った。

「知ってるよ。同じ学部の子が真田にフラれたって泣いてたから、きっとひどい振り方したんだろうなって思った人」

ぼくは真田を振り返ると、真田は慌てながら手を振った。

「誰のことかはわからないけれど、告白されたときはちゃんと丁寧にお断りしているよ」

ふうん、とK子が口をへの字に曲げる。話を変えようと考えていると、ふと免許証の色のことを思い出した。

「真田、今年から免許証の色決めが必要なんだろう? たしか、エルジービーぷらす…」

「LGBTQ+、ね。そう。これから性別は男女だけじゃなくなる。いい機会だから免許を取ろうと思ってね」

「いい機会って?」

「俺はゲイだから」

いっときの静寂。突然のカミングアウトに言葉を失ってしまった。どうしよう。何を話せばいいんだ? すると、K子が先に切り出した。

「初対面なのに潔いじゃん。あんた、気に入った。ちなみに、私はノンバイナリーだと思ってる。どうぞよろしく」

え、のんばいなりーってなんだ? K子の青髪が揺れた。真田が驚いた顔で答えた。

「そうなんだね。思っている、ということは、まだ不明確ということなんだよね。まぁ、だからこそなのかな。うん、そうか。それなら話は早い。朝野、K子さん、一緒の免許合宿に行かない?」

「待て待て、どういうこと?」

「朝野、この前免許のこと調べてたじゃない。どの免許の色が、どのセクシャリティかって。調べるより実際に免許取った方が早いと思ったから誘おうと思ってた」

たしかに、ぼくはK子との話題が尽きないように、知らないことを片っ端からググるようになっていた。でも、合宿?

「あのさ、ぼくはいいとして、なぜK子さんも? しかも免許合宿って、自動車学校を通うのとは違うの?」

すると、K子さんがため息をつきながら、ぼくの腕を小突いた。

「あんた、察する能力高めなさいよ。真田が私も誘ったのは、セクシャルマイノリティだからでしょう。近いところで通学して免許を取れば、知り合いに自分のセクシャリティがバレるかもしれない。それなら地方の見知らぬ場所で短期間に取る。それがこの免許の色分け制度の暗黙のルールみたいなもんよ。そうでしょ。真田」

真田は、ふっと笑いながら頷いた。

「うん、そう。俺は大勢の人にカミングアウトするのは、まだ時期が早いと思っているだ。でも、一人で免許合宿に行くのも、なんだか噂が立ちそうだから、友達と取りに行くってことにしたかったんだ。朝野はいい奴だし、あほな下ネタも言わない。口がかたい奴だと思って目をつけてた」

真田の顔が近づいて、ぼくは思わずのけぞった。すると、K子がぼくの顎をぐいっと引っ張った。

「私も免許取りたいと思ってたし、真田は信用できる気がする。あんたはどう?」

か、顔が近い。頭が真っ白になりそうだ。ぼくは、無言で頷いた。K子はニッと笑った。

「OK! じゃ、真田、申し込みの手配よろしく!」

「それはよかった。じゃ、この申込書に名前を書いて」

その申込書には大きな文字でこう書かれていた。

(宮崎県で合宿免許!格安プライス、最短2週間で取得できるコース) 

「み、宮崎県! と、遠いなぁ」

ふたりは完全にぼくのぼやきを無視して申込書に名前を書いている。費用は18万円。

うう、これは親に相談しなくちゃな……。でも、K子の話していたノンバイナリーって、なんだろう。ネットで検索したくて仕方がなかった。

(後編につづく)

お読みいただきありがとうございました! いい記事を書けるよう、精進します!