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「くものうえ」


あれは小学校3年生ぐらいの頃だっただろうか。私は国語の授業で「ちいちゃんのかげおくり」というお話を学んでいた。

当時の私は、集中力がなく常にボーッとしていて、ついでに頭もすこぶる悪い生徒だった。本を読むのは好きだったけれどー母親の話によると下校中に本を読みながらスタスタ歩いていたらしい。よく覚えていない。ー授業となるとまるで頭に入ってこなかった。

やがてそのお話を一通り読み終えると、先生は明るい声で言った。

「みんな、自分の思ったことを順番に発表しましょうね!」

周りのクラスメイトを見回すと、こんなの簡単じゃんって澄まし顔した生徒もいれば、いつでも来い!と、表情だけ臨戦体制に入っている気合十分な生徒もいた。


さて、私と言えば、

地獄である。

そもそもどんなお話かも理解していない。授業も受けていたはずなのに。何なら目の前に教科書があると言うのに。
私はなす術もなく、ただ頭を垂れて震えていた。

私の出席番号は30番台だったので、だいぶ後だ。その待ち時間の居心地の悪さたるや…………。

順番に指されたクラスメイトたちは、あそこが良かった、ここが良かった、と元気よくハキハキと答える。先生はそれに可もなく不可もない言葉を添えて満足そうに頷く。

何か言わなきゃ。

何か言わなきゃ。

目の前の教科書には目もくれずモジモジしていると、あっという間に自分の番になった。

私はゆっくりと席を立つ。

クラスメイトから一斉に注目を浴びる。

何か、言わなきゃ。

そこで私は初めて開いたままの教科書に目を落とした。そこには、文章のすぐ横に小さな絵が描かれていた。

空に昇っていったちいちゃんが、両手を上げて家族の元へと駆け寄る。

私はその絵を見て、ただ単純に、


なんて楽しそうなんだろう、

と思った。

そうだ、難しいことじゃない。
思っていることをそのまま口にすればいいのだ。

私は小さな声で、
自分が思ったことを素直に言った。

「ちいちゃんがそらにのぼっていくとこが、なんかいいなぁって、おもいました」


すると、

空気がピリッと、震えた。


「えーーーーーーーーーー!!!??」

クラスメイトたちが、一斉にそう叫んだのだ。

私はその声を一身に浴びて、身体の底から震え上がったことをよく覚えている。

私が必死に考えて辿り着いた答えは、呆気なく砕け散った。


きっとみんなとは違う、おかしなことを言ったのだ。けれど、何がおかしいのかまでは、よく分からなかった。


ーだって、本当に思ったんだ。


私は頭の悪い生徒だったけれど、
この気持ちに嘘偽りはなかった。


ー本当に「なんかいいなぁ」って、
思ったんだ。


私の暗い人格を形成し始めた、最初の出来事だったように思う。




これは、私が覚えている限りの最も幼い記憶だ。今でも何気なく空を見上げたりすると、この記憶が蘇る。

幼稚園の頃はあまり覚えていない。何なら小学生の頃の思い出もロクにありはしないが、ただ一つ、これだけは鮮明に覚えている。

話の内容までは流石に覚えていないが、要はちいちゃんは戦争に巻き込まれて命を落とし、"天国"へと昇った。そして"天国"にいる家族と再会をした。といったところだろう。

そんな中、幼い私は
空に昇っていくところがいい(好き)と言った。

それってつまり、

「死ぬっていいよね」って事だ。


そりゃあ「えー!!」ってなるわな。



ただここで、一つ疑問がある。


当時の小学生たちは"死"と言うものをどこまで理解していたのだろうか。少なくとも私は、"死"という概念すら無かったと思う。

小学3年生と言うと、8才か9才そこらの未熟な子どもで、親の無償の愛を一身に受け止めている時期のはずだ。そんな彼らは、


どこで知ったのだろう?

誰に教わったのだろう?


この世に生まれ落ちてまだ10年にも満たない子どもたちは、それを知る必要があったのだろうか。

まあ、当の私はそれを知らないせいで大恥かいたんだけど笑

きっと、彼らが早熟だったと言うよりは、単に私が未熟なだけだったのだろう。

だからこそ、あの瞬間、30人以上もいたクラスの中で、私だけにしかあり得なかった感性で答えたのだ。


「なんかいいなぁ」

って。





くものうえには、しばふがはえていて、
そこにはちいちゃんがいて、
ちいちゃんのかぞくもいて、
ほかにもたくさんのひとがいて、
たのしそうに、くらしているんだろうな。


授業が終わってからと言うもの、
私はよくこんな夢想をするようになる。

例え嘘でもよかった。

思うだけならタダである。


みんなにまた
「えー!!」って言われないように、






私は自分一人だけで、

雲の上を必死に駆け回っていた。

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