1/15(日) 三保の松原〜海の境界線
高校3年生の時、勉強にも部活にも身が入らず更にはいじめを受けていたので、かなり精神を病んでいた。
そんな私は心の傷を癒すために、
学校帰りによく三保の海へと出かけた。
何をするでもなく、
ぼーっと海を眺めるだけ。
空腹に耐えかねて10分そこらで帰る日もあれば、3時間以上も居座っていることもあった。
経験も知識も浅かった私は、大人になって社会に出る前から、学校という狭い檻の中でひどくもがいていた。
その時の私はと言うと、ただ弱くて、孤独で、どうしようもないバカな奴だった。自分から主張することもなければ、助けを乞うことも出来ない。
ゲームに明け暮れていた日々にも侘しさを感じはじめていた私は、毎日のように海を眺めていた。
あの感覚は、何だったのだろう。
その実空っぽで何も得られなかったあの時間を、私は今になってとても愛おしく思う。
あの時間が無ければ、とっくに死んでいたとさえ思う。
私はあの時あの場所で、決して言語化できないような大切な何かを手繰り寄せていたのかもしれない。それを繰り返すことで、辛かったあの日々を生き抜いてきた。
それから間も無くして、私はギターに出会う。
以前の記事でも何度か触れているが、ギターを手にした私は残り少ない高校生活を適度にやんちゃしながら過ごした。
「俺はプロになるんだ!」と豪語しては路上ライブに出かけて、家に帰ってからも取り憑かれたようにギターを弾いた。
充実した日々を手に入れて、めでたく頭のネジが吹っ飛んだ私は、パタリと三保の海へ行かなくなる。
私はきっと広大な海を通じて、"過去"に縋っていただけなのだと思う。現実から目を背いて、一歩も前進せずにじっとしていることに安心していたのかもしれない。
もう、あそこに行くことはないんだろうな。
覚えたてのスピッツの『チェリー』を歌いながら、私は三保の海よりも広大な未来に思いを馳せていた。
その翌年の正月、後輩から三保へ初日の出を見に行こうと誘われた。
富士山と三保の松原が世界遺産に登録されて、初めての正月だった。
私は正月すらもめいっぱい時間を使ってギターを弾こうと意気込んでいたが、ほんの息抜き程度のつもりでついていくことにした。
当時の三保は出店も少なく、駐車場すらも整備されていなければ、ほとんど更地の広がっている、荒涼とした場所だった。
特に魅力のないのほほんとした田舎町、といった印象のこの小さな町にも、「世界遺産」という響きに惹かれ、多くの車がごった返していた。
日の出直前の三保の海。
今まで、たった独りで眺めていた海。
その日、初日の出で賑わう多くの人に囲まれて、私はひどく寂しかった。
門出を祝う淡い日光が、水平線の向こう側から少しずつ昇ってくる。人々は歓声を上げて幾度もスマホのシャッターを切っていた。
私も手に入れたばかりのスマホで、不器用に初日の出を撮った。
もう、ここに来ることはないんだろうな。
少なくとも、以前のように暗い過去を沈めに来るような真似はしないだろうと思った。
日の出が完全に昇り切って、人がまばらになり始めても、私はじっと美しい太陽と海をいつまでも眺めていた。
確かにこういった海の境界線は存在すると思う。
ただあの頃の私に、そんなことを感じる余裕はとても無かった。
いじめを受けている時も、
先生に叱られている時も、
常にすぐ傍であの海の匂いを感じていた。
そうして海を抱きながら、何度も三保へ出向いては涙を流した。
「ここにいてくれたんだね」と、
何度も確かめるように。
初日の出を見に行ったあの日、過去に縋ってばかりだった私は無知による明るい未来を手に入れて、海に明確な境界線を引いてしまった。
それは私にとってとても寂しく、同時に大きく前進するキッカケだったと思う。
帰りがけに後輩から初詣へ行こうと誘われたが、やんわりと断った。一刻も早くギターを弾きたかったからだ。
海を常に抱いていたはずの私は、家に帰ってすぐさまギターの世界に入り浸る。
肺の中に僅かに余っていた海の匂いを吐き出しながら、私はいつまでも覚えたての『チェリー』を大声で歌っていた。
先日、仕事で三保へ行く機会があった。
職場でコロナ陽性が3人も出て、欠員補助のために三保の支店へ行く事になったのだ。
久々の配達は骨が折れたが、数年前は海岸線から裏道までグルグルと回っていた勝手知ったる道。なかなか楽しかった。
三保へ行くたびに、冒頭で述べたあの暗い暗い過去を思い出す。
そう言えば今年は喪中ということもあって初日の出を拝んでいない。折角だから何の変哲もない日曜日に、日の出を見に行くことにした。
三保の街並みも随分変わった。
更地まみれだった場所には新しい家々が立ち並び、小洒落た公園なんかも点々としている。
更には三保の松原には出店が増えて、キッチリと整備された大型駐車場まで出来ていた。
何だか寂しいけれど、地元民としては誇らしいことだ。
神の道を抜けてなだらかな石段を昇っていたら、私はふと海の境界線を確かめたくなった。
あの日に引いた境界線がどこかにあるはずだ。
しかし境界線などはどこにもなく、気がつけば三保の浜で一人ポツンと立っていた。
境界線がなくなったということは、私はきっとあの頃と同じように、常に海を抱いているのだ。それも随分と前から、無意識に。
だから、私が『意味深海』という曲を書いたのも、「遥奈の深海ラジオ」(2022年3月終了)に心惹かれたのも必然だったのだろう。
三保から離れてからも、
私の心には常に「海」があった。
自分一人から産み出された創作物たちやこれまでの人生で出会った素敵な作品たちが、それを物語っている。
ギターを手にしてから創作を始め、CDとして形になり、そして今もライブ活動を続けている。あの日から大きく前進できたはずだ。
あの頃と同じように、
ぼーっと海を眺める。
そして、日が昇る。
日曜日の早朝に、当たり前に顔を出した太陽は、あの日の初日の出よりも特別な輝きを放っていた。
また、ここに来よう。
あれから色んなことを経験して、色んなものが吹っ切れた。辛いことは多いけれど、これからも音楽を続けて、また清々しい気持ちで三保へと出向くことだろう。
あの日々と同じく一人だった私は、人目も気にせず砂浜に寝そべって大きく伸びをした。
「一人って、楽だな〜」
気づけば28歳。未だに独身。
"独り"は辛いけど、
"一人"ってのは何かと気楽だ。
にしても寒い。
今日は早く帰ろう。
肺に溜め込んだ海の匂いを手放したくなくて、
私はその日、
言葉少なに一日中本を読んでいた。
今回の記事でも紹介した、私の尊敬するシンガーソングライター 遥奈さんが自身のホームページで書いている『遥奈通信』はこちらから。
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等身大の言葉で、時には壮大なテーマを、時にはクスッと笑えるような日常の出来事など、素敵な記事が盛り沢山です。
去年の9月に書かれた「海は誰のもの」は折に触れて読み返している、私の特に好きな記事です。
是非ご一読ください💫
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