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「知恵の輪」



高校生時代、僕は吹奏楽部に入部していた。

かなり前になるが、上記の記事の通り
僕は引退の3ヶ月前に初めて部活をサボり、そのまま辞めている。

それはそれは宗教じみたイカれた部活で、カオスなエピソードがごまんとある。

その中でも印象深いエピソードが、高校3年生になったばかり、それぞれの役職を決めるミーティングでの出来事だ。

僕の所属していた吹奏楽部は、定期演奏会はもちろんのこと、地方のテーマパークや大道芸大会など、外で演奏することが多かった。

そのため、役職の中に演奏で着る衣裳や小道具を作る「企画係」や、チケットを精算する「会計係」などがあった。

もちろん平凡でやる気もなかった僕がそんな重役を任せるわけもなく。何の役職だったかさえ覚えていない。多分誰でもできる「掃除係」とかそんなもんだったろう。


3年生になって間もない春。
僕らは合奏室の向かいの卓球部の部室で、体育座りで輪を囲んでミーティングを行っていた。
ブラック企業よろしく、週7で稼働していた吹奏楽部だったから、週末は大体体育系の部室が空いているのだ。

僕はと言うと先述の通り、特にやりたい役職もなく重役を任されるような立場でもないので、おこぼれ頂戴ぐらいの気持ちでボーッと参加していた。

ミーティングを始めて、開口一番。
部長のS君が言った。

「Aさんは企画長に向いていないと、先生から指摘がありました」

Aさんはフルートを担当している女の子で、学校生活においてはちょっと抜けている子だった。部活動でも事あるごとに忘れ物をしたりして、よく怒られていた(僕はそれ以上に怒られていた上に不貞腐れていた)。

「企画長」とは、読んで字の如く
「企画係の長(おさ)」
要は演奏会の重大な企画を取りまとめる係だ。
Aさんは1年生、2年生と企画係をやっていて、最上級生になったら企画長になりたいと息巻いていたのだ。

僕が言える立場ではないが、確かにAさんが企画長に向いてないという意見は分かる。
だが、「ミーティングで役職を決めろ」と言うのは先生の指示だ。釘は刺されたものの、僕らでゆっくり話し合えばいい。

ボーッとしている僕をよそに、立候補があったり推薦があったり、次々と役職が決まっていく。

そして、「企画長」を決める番。

部長のS君が投げかけると、
Aさんが真っ先に手を挙げ、立候補した。

「私にやらせてください!」

Aさんは抜けているところはあっても、とっても情熱的な人だ。無鉄砲に突っ走って、壁にぶち当たったらなす術なくその場で泣き叫ぶような、そんな不器用な人。
僕は彼女のそんな不器用さと実直な姿勢が嫌いではなかった。

本人もそう言ってることだし、
やらせてあげればいいじゃん。

と、単純に事が進まないのがこのイカれた宗教団体である。

「いや、でも先生から向いてないって指摘があったじゃん」

部長のS君はサラッと言う。

でも、Aさんも負けない。

「やらせてください!  お願いします!!」

彼女は体育座りを崩し、土下座に近い形で深く頭を下げた。

それからしばらく話し合いがあり、
「Aさんが企画長に適任かどうか一人一人意見を聞きたい」と言うことになった。

3年生のメンバーは30人以上いる。

めんどくさっ。

一人一人が順番に、

「ちょっと不安だけど、任せてみよう」

「最後の年だから、頑張ろうね!」

「問題が起きても私たちがフォローするから」

皆一様にそれっぽいことを言っていく。

最終的に皆の総意のもと、
Aさんが企画長をやることになった。

何だったんだ、この時間。


企画長も無事に決定し、その後もミーティングはスムーズに進行した。

するとそこに、先生が顔を出して
「途中経過を教えてくれ」と部長を呼び出した。S君が一旦退室する。

先生への報告を終えて戻ってくると、彼は重々しい口調でこう言った。

「企画長はAさんではなく、別の人にしよう。先生からの指示です」

周りを見渡してみると、皆こうべを垂れて暗い表情を浮かべていた。皆の表情が物語っている。

「まあ、仕方ないよね」と。

Aさんはそれを聞いて、両手で顔を覆って泣き出してしまった。元々泣き虫な彼女だけど、この時ばかりは泣いて当然だと思った。


何だったんだ、この時間。


部活が嫌で嫌で仕方ない僕だったが、感情を表に出すこともなければ、言いたいことも言えないようなタチだったので、基本的には黙ってやり過ごしていた。

だけど、この時ばかりは許せなかった。

この部活に入って、僕は初めて反抗的な態度を取った。

たまたま隣に座っていた部長のS君に食ってかかる。


「あのさ、俺らで決める必要ないじゃん。もう先生に全部決めてもらおうぜ」


S君は滅多に意見を言わない僕に面食らった様子だったが、すぐに平静を装って「まあまあ」と苦笑するばかりだった。

わざと聞こえるように大声で言ったのに、誰も何も言ってこない。


あーあ、やってらんね。


僕は体育座りを崩して、足を組んで立て肘で寝そべるよな形で座った。普段なら思いっきり怒鳴られるところだが、誰も文句を言ってこない。

きっと、皆も納得してないんだ。


その時に見た光景を、よく覚えている。

皆キッチリと足をそろえて体育座り。
項垂れて、全く同じ表情で黙り込んでいる。


「知恵の輪」みたいだな、と思った。


皆で和を囲み、「吹奏楽部」という名の大きなリングを作る。そこにぶら下がる小さなリングが僕だ。足を組んで、ダランと垂れ下がっている。

知恵の輪には説明書が付いてない。
だから自分で解くしかない。

惰性に身を任せてダラダラと3年生になってしまった僕は、それを今更解こうとも思わなかった。

組んでいる足を崩せば、真っ逆さまに落っこちてここから逃げられるのに、という錯覚に陥る。でも、それだけじゃ脱け出せない。脱け出せるわけがないと思っていた。


その後も僕は部長のS君にボソボソと悪態をつきながら、ミーティングは問題なく進行した。
やがて全ての役職が決まり、先生が部屋に入ってくる。

そこで、Aさんがすかさず叫ぶ。

「先生!  企画長やりたいんです!  やらせてください!!」

彼女の目にはまだ涙が残っている。
真剣で綺麗な目だな、と思った。

正直面倒だとは思ったけど、彼女も本気みたいだし、少しくらいミーティングが長引いてもいいと思った。どうせ僕は座ってるだけだ。


だが、先生はサラリと言う。

「お前の熱意、よく分かった。頑張れよ」


………………は?


Aさんはその言葉にパッと顔が明るくなる。

「ありがとうございます!
ありがとうございます!!」

何度も何度も先生に頭を下げていた。



くだらない。


「よし!  最後の一年、みんなで頑張れよ!」


先生が当たり障りのない一言でミーティングを締める。

「はい!!!」

皆勢いよく返事をする中で、
僕だけ返事をしなかった。

先生がジロリと僕を睨む。

僕も睨み返す。

いつもなら首根っこ掴まれて大目玉を食らうところだ。周りも何人か青ざめた顔をしている。

だが先生は何も言わずにそそくさと部屋を出る。

去り際の先生の目が、こう言っていた。

「コイツはもうダメだな」と。


その数ヶ月後、

僕は本当にダメになった。





話は冒頭の記事に戻り、僕は逃避行を経て遂に部活を辞める決心をした。とは言うものの、あまりに突然のことで自分でも整理が付かず、2日ほどズル休みをしてから学校へ行った。

久々に部活に顔を出すと、いつもの部室で先生と部員たちが綺麗な和を囲んでミーティングをしていた。
ほんとにミーティング好きだなこの部活は。


部長のS君の隣に一人分のスペースが空いている。前と同じく、僕の席はそこらしい。

仮にも部活をサボった身なので、何となく正座をしておく。

「もうやる気ないので、部活辞めます」

僕は誰に聞かれるでもなく、そう言った。
気付いたら口に出ていた。


すると先生は「よし分かった。さっさと辞めろ」と言い捨てて部屋を出てしまった。

へー、何も言わないんだ。

どうせまた呼び出されてクドクドと長話を聞かされることだろう。まあいいや。

残った部員たちはと言えば、皆不思議な表情をしていた。

前のようにただただ黙って項垂れている子もいれば、急に泣き出す子もいたり、「まだやり直せるよ」と言わんばかりに不器用な笑みを浮かべる子もいた。

その中で、Aさんだけが無表情で、何の感情も読み取れなかった。

すると、副部長のKさんが明るく努めて言う。

「あと3ヶ月だよ!  今辞めたら絶対後悔するよ〜」

僕はその言葉につい笑ってしまった。

Kさんが畳み掛ける。

「ほら!  笑ってんじゃん!  本当はやりたいんでしょ!  最後まで頑張ろうよ!」

笑いが止まらない。

とんだ勘違いだ。

僕は何だか楽しくなって、少し泳がせてみようと思った。中途半端な笑みを浮かべたまま、皆の様子を伺ってみる。

ちょっと疲れちゃっただけだよもう少し頑張ろう。大丈夫みんなで乗り越えていこう。お前いないと何か調子狂うんだよな。お前と一緒に完走したいんだよ。

お前が…………。

お前と…………。


この期に及んで僕の居場所を確保してくれるなんて、




何ておめでたい奴らだろう。


あの瞬間ほど、人を軽蔑視した瞬間は後にも先にも無かったと思う。

ひとしきり間を空けて、Kさんが言う。

「さぁ!  本当はどうしたいの?  辞めたくないんでしょ??」


皆の視線が僕に集まる。

いつの間にか、皆の目に期待がこもっている。


「やらせてください」


と、

言っていたらどうなってたろう。

想像するだけで反吐が出る。


僕はさっきまで貼り付けた笑顔をひっぺがし、迷いなく言った。

「辞めます」

理由を言うのも面倒だった。

これが全てだ。


皆、分かりやすく機嫌が悪くなった。

「じゃ、本当に辞めるんだね。お疲れ様」

僕は最初から本気だった。

勘違いしたのはお前らだ。

その後のミーティングの内容はほとんど覚えてない。「あーついに辞められるのかー」と悦に浸りながら、ボーッとやり過ごしていた。

やがて僕だけが先に帰ることになり、残った部員たちでもう少しミーティングを続けるようだ。
ほんとにミーティング好きだなこいつら。


「じゃ、お疲れ様でした」

僕は立ち上がって、輪から外れる。

「知恵の輪」の小さなリングが外れる。

僕にとって、あの場での最適解はひたすら逃げることだった。

帰り際に、チラッとAさんを見やる。

彼女は相変わらず表情の読み取れない顔をしていたが、うっすらと涙を浮かべて虚空を見つめていた。

僕のように小さなリングになって、ここから外れてしまえばいいのに、彼女は頑としてそこから動こうとはしなかった。


企画長に決定してからも、自覚が足りないだの行動力がないだのやたらと文句を言われていたが、彼女の不器用な実直さは完全に「部活を辞めずにやり切る」ことに注がれたようだった。


残念だな、と思う。

その反面、羨ましいなとも思う。

学校生活において、それほどまでに心血注いで打ち込めるものが、僕にはついぞ無かった。


Aさんはきっと、大きなリングの「ヒビ」だったのだと思う。それは不器用に壊れやすく、周りの支えがなくてはリングは壊れてしまう。
言い換えるなら、Aさんはその特性を活かして周りを巻き込んで、常に助けられていたのだと思う。


件のミーティングで、僕は最初から輪から外れていることを痛感した。

僕は最初から外れるべき存在だった。

それも、足を組んでぶら下がっているだけの、いつでも逃げ出せるような緩い呪縛だった。


いざ輪から外れて学校の外に出てみると、
身体が不思議なくらい軽かった。

その時、背後から大きなリングの一部が叫ぶ。


「本当にいいのかよ!  戻ってこいよ!」


「知恵の輪」には説明書がない。

僕はそれを解いただけで満足してしまった。

だから、元に戻す必要もないのだ。


知恵もへったくれもない、何の変哲もない

「ただの輪」だ。


身軽になった小さなリングの僕は、聞こえないフリをして歩き出す。


大きなリングの一部が段々と増えて、背後の声が大きくなる。



その中に、Aさんの声が混じる。


僕は一瞬、立ち止まる。


残念だな、と思う。

その反面、羨ましいなとも思う。


「早く帰って、ギター弾きたいなぁ」


結局僕が打ち込めたのは、

たった独りで向き合えるギターだけだった。





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