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短編小説『歪んだ復讐』


樋口は12周年を迎えた人気バンドのボーカルである。彼自身も今年で30歳となった。


デビューをして5年ぐらいから徐々に人気が出始め、25歳の時にはメジャーデビューを果たした。そこからは曲を出すたびにオリコンチャートでは上位に入るようになった。SNSのフォロワーも50万人ほどいる今やアイコン的な存在だ。



そんな人気絶頂の中、樋口は結婚をした。



相手は超人気女優である。



大物同士の結婚ということで、テレビやSNSでも取り上げられ、世間では大きな話題となった。

できちゃった結婚なのではないかと各方面から言われたがそんなことはなかった。


結婚して長い間、夫妻に子供は出来なかったからである。





佐藤がうちに来たのは結婚してから1年ほど経った時だった。


「養子を迎えませんか?」


そんな誘い文句でどうやって調べたのかうちに電話をかけてきた。


「樋口夫妻に子供が出来ないというお話を伺いまして、よろしければお話しをさせていただければと思うのですが」


余計なお世話を。樋口は思った。

ただ妻はそうは思わなかった。普段から子供が欲しいと言っていたので、養子のことに興味津々だった。


早速話を聞き、妻は完全にその気になっていた。その気というのはお母さんになるということだ。


そして養子を迎え、無事3人の家族となったのであった。





佐藤から養子の件で会いたいという連絡があった。

嫁は子供といなきゃいけないということで、樋口と佐藤の2人で養子に関しての話をすることになった。

うちに来てくれとの事だったので佐藤の家に向かった。


着くと否や、佐藤は養子縁組の成り立ちや制度を語り始めた。

歴史のことでローマ時代まで遡った話は学生時代を思い出した。途中、小さな欠伸をしたのを見て話をやめたように見えた。



佐藤は産婦人科で働いているらしく、そこから養子にも興味を持ち、この仕事を副業として始めたらしい。

余計な話の後に彼女はまた話を続けた。


『いやあ昨今はすごいですよ。もしお子さんが出来なくても、いや、養子を迎えなくても子供が作れますからね。体外受精というやり方もありましてね。うちの産婦人科でもそういった方法で子供を授かることもたくさんあるんですよ。昔じゃあり得なかったんですけど』


養子を迎えた人にする話なのだろうか。
樋口は苦笑いのような笑みを浮かべた。


『まあまあそんな早く本題に移ってくれという顔をしないでくださいよ。』


心の中を見透かされているような佐藤のなんとも言えない不気味な表情で樋口は見つめられていた。


『それにしても羨ましいんですよ?私はずっと一人ですから、子供もいませんし』


「そうなんですか?家族は?」


『両親はもういません、私が高校生の時に交通事故で亡くしました。』


「...それはすみません」


気まずい空気とはまさにこのことである。
変な間が生まれた。


『いえいえ、昔のことですから。』


「兄妹はいらっしゃらないんですか?」


『妹がいます。』


「そうなんですね」


『はい、お花が好きで将来は自分の店を出したいって言ってたんです。中でもシロツメクサが好きで...』


「妹はどこかに嫁がれたんですか?」


長くなりそうだったので樋口は食い気味で尋ねた。


『いえ』



先ほどとまた違った変な間が生まれた。



『殺されたんです』


「え?」


『妹は殺されたんです』






「殺されたんですか...」


「はい、7年前に殺されました。一人暮らしの自宅で首を締められて。結局犯人は捕まらずに事件は迷宮入りで登記簿上では自殺したことになってます。」


7年前か...。
樋口は額に脂汗が浮かんできた。


『警察は強盗殺人という線で追っていたようですがあれは妹に近しい人の殺害です。間違いなく』


「根拠は?」


『服装です』


「服?」


『妹はお金がなく、夜のお店で仕事をしていたのです。自分のお店を出したいとも言っていたのでお金欲しさにやっていました。その時に着るような服を家の中で着ていたのです。家の中で派手な服装をするはずがありません。誰かを家に招いていたに違いなかったんです。』


ああ、着ていたな。露出の激しい服。
過去の記憶が蘇る。


「それでは家に招いた誰か...男が殺したと?」


『私はそう思っています。警察にはそれじゃ判断出来ないと言われましたけど』


「妹さんに男がいた形跡はあるんですか?」


『ええ。彼女は中絶していたんです。』


樋口は急激に汗ばんでいった。
なるほど。



あの女の姉か。こいつは。



『中絶をしていた形跡があったということは男がいた。そしてその日もその男は夜に妹の家を訪ねた。そして事を終えた頃に首を締めて殺害した。というのが私の推理です。』


「なるほど」


『そして、その男を私は探し続けた。学生時代の交友関係、勤務地、家の近所の人間...。過去に関わったことのあるところは全て探しました。警察も長い間調べてくれましたが、手かがりはなにもなく。そして警察も手を引いた。』


「...」


『しかし、手がかりを見つけたのです。』


「なんですか?」


『苗字です』


「苗字?」


『妹はその殺したであろう男と結婚するつもりだったんです。そしてその苗字にした名前をちっちゃな紙に書いてあったのです。

【樋口里奈】

そこにはそう書いてありました。』


「はあ...」


『私は妹の交友関係から樋口 涼という男に辿り着きました。この男は売れっ子バンドのボーカルだということは後から知りました。』


「なるほど...。でも動機がないでしょう?妹さんと都合のいい関係であれば、なおさら。」


『その樋口という男のバンドはその頃はほとんど売れていなかったそうなんです。しかし、バンドマンということである程度は女性には困らなかったそうです。その一人が妹だった。』


そうです。という言い方をするあたり裏が取れているのだろう。


樋口はコーヒーを飲んでも口の渇きは癒されなかった。


『だが徐々にバンドは軌道に乗り始めた。そして芸能人とも関係を持つようになっていった。そしてだんだんと妹の存在が邪魔になっていった。』


「...」


『妹は結婚をしたいと言い出した。しかし、彼は結婚など考えられなかったでしょう。それで妹に中絶をするよう説得した。女性人気が大事なこれから売れそうなバンドのボーカルが結婚すれば売れるものも売れなくなる。なによりも』


「...」


『別の彼女...今の奥さんとも付き合っていた。しかし妹は言うことを聞かなかった。この関係を世間に公表するとまで言い始めた。そうなると妹は邪魔でしかなかった。そしてあの日の夜、妹を殺害した。』


なにも言葉が出てこなかった。


『そして殺した直後に、窓を開けて、家の中を荒らし、強盗殺人に見せかけることまでしたのではないかと。』


「...そこまではいいでしょう。なぜ僕になるのでしょう?別に珍しい名前ではないはずです。よくある名前なのにそんな切れ端に書いてあった同姓同名ぐらいで僕を疑うなんて」


震える声を抑えながら普段よりも低い声を出した。


『ええ、おっしゃる通りです。あなたと断定出来たわけではありません。同姓同名なら他にもいるはずですし、決定的な証拠にはなりません。』


「はい...」


『でも実は私の目的は犯人を捕まえることではないのです。なのであくまでも推理でいいのです。』


「...と言いますと?」


『私の目的は復讐です。』


樋口は拳をより硬く握った。


『そこで、妹の体内に残っていた精液を採取しておいたのです。』


樋口はゾクゾクと迫ってくるような恐怖を背中に感じていた。


「それを警察に?」


『いえ、警察は警察で採取してあったようです。しかし昔はDNA検査などもまだ正確ではなかったので今ほど信用されていませんでした。なので特に捜査に使用することなく廃棄されたそうです。』


「それをあなたは何年も?」


『産婦人科には精液を冷凍保存する設備があるのです。そして何年もそのDNAを寝かせておいたのです。』


「...」


『そして、私は悪魔のようなことを思いついてしまった。その遺伝子を利用して新たな命を生み出してしまえばいいじゃないか。と』


「は?」


佐藤は熱弁を続けた。


『しかしここで問題になるのは卵子...女性側の遺伝子をどうするのかということです。そこで姉である私のものを使用することにしたのです。』


イカれてる。まじでイカれてる。


『そうして生まれたのが今、家で貴方の嫁が大事に抱えているであろう子供です。』


樋口は全身から力が抜けていった。


『今はまだわかりませんが、成長していけば樋口さん、貴方に似た子供になってくるでしょう。もしかしたら私や妹にも似た子供になるかもしれませんね』


佐藤は不敵な笑みを浮かべた。

樋口はソファーから立ち上がった。


「貴女は狂ってる。」


『そりゃそうでしょう。それは妹も同じ気分であったはずです。あなたは一生苦しみ続けるのです貴方の子供のせいで』



「...帰る」



樋口は荷物をまとめ、マンションを出て、タクシーを捕まえた。



タクシーの運転手は意気揚々と話し始めた。


『お客さんあれでしょ、バンドのボーカルやってる人でしょ』


「...。」


『なんか顔色悪いですけど大丈夫ですか?』


「いいから早く行け」


『はい、すみません...』







佐藤は樋口が電車に飛び込み自ら命を絶ったという速報を見て、驚いた。


『そんなにもメンタルが弱かったのか。』


妹はもっと苦しんでいたはずだ。もっとあいつは苦しむべき人間だったのに。


しかしこれで復讐は出来た。


妹もこれで成仏されただろうか。


妹の写真の前に供えてあったシロツメクサに水をあげた。





さて、夫婦に渡した私の子供を迎えに行かなければ。両親が健在であることが養子の条件だったからである。


なにより


あの子は私の子だ。




ちなみにいうとあの子に樋口の遺伝子は含まれていない。

妹が別の男と一夜を共にして出来た子供である。





樋口涼はあの子供となんの血縁関係もないのだ。






シロツメクサの花言葉は『復讐』と『約束』。


佐藤はまた不敵な笑みを浮かべた。



(終わり)

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