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都会から離れゆく長距離列車のなかでインタビューするというのは、もしかしてなかなかいいものなんじゃないかという気がした。
自分のからだがどんどんどこかに連れてゆかれるし、いつものように留まったところから生まれる重さから開放されていることばを、過ぎゆく景色にちょっとずつ放って過ぎる。
アウトプットはより軽やかに放出されて、インプットはよりじっくり内部に染み込むのかもしれない。
旅先の電車で読んだ本のことは何年経っても覚えている。
飛んでゆく分厚そうな大地や刻々と変わる太陽の方向、近くの座席に座るひととの軽い挨拶やもごもご姿勢を変えてもお尻が痛いこと、肘をついた窓のガラスの冷たさ、いつ区切りをつけてサンドイッチを食べようか迷う…そういうことまでぜんぶからだに刻まれる。

あまりにも長いことひとつのことを真剣に見つめていると、自分がそのものをはかるための目盛りがどんどん細かくなっていって、いやもっと、いやもっと、とどんどん細かくなっていって、いつの間にか世間からかけ離れていることに気づかなくなることがある。
そういう「人とは擦り合わない目盛り」を多かれ少なかれ誰もが持っているのであろうという前提でものを話そうとしてしまう。
ジャンルは違えどこの話は通じるだろう、と話してみると全然ぽかんとされたりすることがもちろんあるので、ものごとと長く付き合いながらそれを見つめる方法は人によってかくも違うのだなとはたと気づき、ミクロンまできりきりと巻き絞ったものを、しゅるしゅるとほどく。

なにかを表現したい、という話を聞いてじゃあここで書いてもらえませんか、とすぐに提案できる場所が自分のそばにはいつもあった。
いろんなおもいがやってくる。

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