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どんな言葉も、少しずつ、違う、どこかに引っかかって深いところまでは落ちてこない、と思う。
自分の言葉だってそうだ。
ことばをこんなふうにしか発することができないのならば、だまっている。
ことばを自分のものだと過信して使うことになるのならば、だまっている。

気づきはいつも後からやってくる。
だけどあまりもう過ぎた時間のことと今の自分のことを結びつけて、その間をごしごし爪あと深くなぞって、とろとろとそちらに流れていくことはすまい。
いいですか、もしほんとうに大事なことをしたいのなら、到底時間なんて足りやしない。

体をつかわないでこねまわしたことは垢みたいに溜まって身をどんどん重くするだけ、なんにも考えずに走る、はしる準備をいつまでもこねまわしていないでとにかくいったん走る、
なんのためにとかそんなのふりちぎって
そしたら、ここで考えていたんだった、という扉がなんどでも開く

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