見出し画像

チャイム


 私立ゆとり学園。
 その学園内に美しく響くチャイムは、とても風変わりだった。

 毎日の時間割は、もちろんちゃんと決まっている。
 しかし、この学園のチャイムが寸分違わず定刻に鳴った事はない。ごくたまに、鳴り忘れる事すらあった。
 それ故、遅刻しそうになっても、テスト当日の朝だって、生徒たちは慌てない。ヘアスタイルやボタンの掛け違いを直すくらいの猶予がある事を知っていたし、席に着いてからノートを見直す時間がある事も承知していたからだ。

 優秀な人工知能を備えるシステムのはずなのに、なぜだかいつも、生徒たちよりのんびりマイペースに歌い出すチャイム。
 しかしそれは、生徒たちの個性を重んじ、慌てず流されず、ゆったりと育てたいという校風にとても上手く馴染んでいた。

 ここで過ごす者にしかわからない、まったりした時間の流れ。
 学園創始者の頭脳を解析してプログラムされたAIチャイムが、学園内の時を司っていた。


 ところが。

 ある日を境に、チャイムが定時より早く鳴るようになった。
 早いだけじゃない。何の区切りでもない時間に、突然早口で歌い出す事もあった。
 生徒のほとんどが遅刻扱いとなり、テストは開始数分で終了の鐘が鳴り赤点続出。

 ゆとり学園はパニックだ。
 校長は原因を調査すべく、学園の中心部、システムの部屋を訪ねた。



 チャイムは上品なレディの姿でそこに居た。クラシックなドレスの裾を揺らしてこちらを振り返る。

「ミス・チャイム……ご機嫌はいかがかな?」
 校長は汗を拭き拭き、しかしきちんと挨拶から入る。
 チャイムは美しいお嬢さんの容姿だが、創始者の頭脳から生まれたのだ。言わば大先輩だ。無礼者とチェックを入れられては堪らない……と、ちょっと緊張してしまうのだ。

「ええ、元気にしていますわ、校長先生」
 ゆったりと微笑んで言う。どこにも具合の悪そうな様子は見当たらない。

「それは何より。いや、その……」
 ハンカチで更に汗を拭く。
 チャイムは、お暑いの?……と呟いて、レースの手袋の指を、魔法でもかけるようにくるんと優雅に動かした。エアコンの風が、校長にひんやりと吹きつける。

「ここのところ数日、あなたのご様子がいつもと違うようで心配になりましてな。生徒たちも戸惑っておりまして……」
 ようやく言えた校長に、チャイムは穏やかに頷いた。
「ああ、そうですわね、リズムが変わってしまったかしら」
 考えるように、ちょっと首をかしげる様子が愛らしい。
「何か困った事がおありですかな?」
 校長の問いに、チャイムはすっと背筋を伸ばして姿勢を正した。

「私は学園の校風である『ゆとり』を重んじるように作られているのです」
 穏やかだが、凛とした声色でチャイムは言った。舞台女優のセリフのように、歌うようなリズムだった。

「生徒の誰の事も、急かしたり強制したりせず、落ちこぼれる子がいない学園にするために、学園で一番のんびり屋さんの心拍数とリンクしているのです」
 そう言ってチャイムは、芝居がかった様子で胸を張った。

「心拍数ですと?」
「ええ、心拍数。学園一のんびり屋さんのね」
 トントンと胸を叩いて、チャイムは得意気に肩をすくめて見せる。

 一瞬、呆気に取られた校長だったが、いやいやと頭を振る。
「では、最近の慌しい様子は、一体どういう事なんです?」

 チャイムはますます芝居がかった様子で、両手を胸に置き、はぁ……と、ため息をついた。
「今年度の『トップオブのんびり屋さん』は女の子なのですが、最近その子、突然駆け出したり、教室の窓から校庭を眺めているだけで動悸が激しくなったり、廊下で突然、脈が止まったりするものですから……」
 身振り手振りで演じながら言う。

 校長は青くなった。
「それは大変だ! 早く医者に診せなければ! その『トップオブのんびり屋さん』は誰なんです? 急いで親御さんに連絡を……」

「そうではありません」
 チャイムは慌てる校長を穏やかに遮ってーー

「誰かの後ろ姿を見つけたら、衝動的に走り出してしまうの。校庭でボールを追う姿を眺めているだけでドキドキして、廊下でバッタリ出くわしたりなどしたら心臓が止まるくらいのショックなのですわ」
 身体を揺らしながら歌うように言って、くるりとターンをして見せる。

「医者に診せても治りませんわ」
 チャイムは、どこか嬉しそうに言った。



 取り敢えずは定刻通りに歌いながら、彼女に代わる「トップオブのんびり屋さん」を選出すると、チャイムは約束してくれた。

「初恋、ですか……」
 校長はひとり呟いて、嬉しそうにしていたチャイムの顔を思い返す。

 若く甘酸っぱい気持ちを、もうすっかり忘れていた。
 まさか人ならざる彼女に、それを思い出させてもらう事になろうとは。

 またゆっくり語り合いましょう、ミス・チャイム。

 自室に戻った校長の耳に、定刻を告げるチャイムの美しい歌声が届いた。



     END


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?