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蝶のように舞い、蜂のように刺す

 関東でも大阪桐蔭の人気は凄まじかった。たとえ底冷えする晩秋の明治神宮大会であろうと関係ない。朝早くからダウンジャケット、カイロ、マフラー等で寒さ対策をした多くの野球ファンが神宮球場に詰めかけている。そんな中、21世紀の最強軍団から新たな逸材が全国デビューを果たした。

不安からの期待

 「いつもと違う……」

 毎年選手が入れ替わったとしても、一つの芸術作品のような美しさを誇る大阪桐蔭のシートノックが例年よりも物足りない。捕球ミスだけでなく、送球の高投も散見している。正直なところ、過度な期待はできなかった。しかも対戦相手は北信越大会を制した敦賀気比。過去には甲子園大会で壮絶な打撃戦を演じたり、大敗も喫したこともある天敵だ。

 試合が始まると悪い予感は的中してしまった。初回に守備の乱れからいきなりの失点。直後に本塁打で逆転したものの、再び試合をひっくり返された。今夏の甲子園大会でも登板した大型右腕・川原嗣貴の投球内容は不安定そのもの。いつ試合が壊れてもおかしくない中、近畿大会優勝に大きく貢献した1年生左腕・前田悠伍がブルペンへと向かい、肩慣らしを始めた。

 「……」

 言葉が出なかった。綺麗な半身の姿勢からムチのようにしなる球筋に思わず見惚れてしまったのだ。まだ数球立ち投げをしただけだが、最早試合はそっちのけ。あとはこの左腕がマウンドに上るのを待つのみだ。ブルペンで投球練習する背番号14への期待はより一層高まった。


戦慄

 「ピッチャーの川原君に代わり、前田君が入ります」

 1点ビハインドで迎えた4回表、遂に名前が呼ばれた。"179センチ、75キロ"。屈強な体躯を誇る大阪桐蔭の面々と比較すると、特別目立つわけではない。ところが、細身の身体から繰り出すストレート、スライダー、チェンジアップはどれも一級品。どのボールでもカウントを稼ぐことができ、決め球にもなっている。4回と5回はいずれも三者凡退。5回に至っては圧巻の三者連続三振で、相手に傾いた流れを完全に断ち切った。

 さらに驚いたのは初めて走者を背負ってからの投球だ。一塁走者をあっさりと牽制で誘き出したり、"スーパークイック"で打者のタイミングを外す芸当を何事もなくやってのけ、スコアボードに0を刻み続けた。もはや笑うしかない。気がついた時には、試合の形成は完全に逆転していた。

 終わってみれば、追加点を許さなかった大阪桐蔭の逆転勝ち。6回2安打10奪三振1死球。前田は相手に二塁さえ踏ませぬ投球でチームを準決勝へと導いた。

二世と呼ばれて

 数々の名選手を輩出した大阪桐蔭において、前田よりも体格に恵まれていたり、速いストレートを投げた投手は過去にもいる。しかしながら、彼ほど投手に必要な要素を兼ね備えた投手は記憶にない。ストレートの質、コントロール、変化球の精度、クイック、牽制、フィールディング、メンタル……。全ての能力が洗練されていた。

「大阪桐蔭」「背番号14」「サウスポー」

 これらの単語が並ぶと、野球好きは145キロのストレートと100キロに満たないスローカーブで打者を幻惑した、1990年代のドラゴンズの大エース・今中慎二の姿を重ねてしまう。

 ただし、「今中二世」と呼ぶには若干タイプは異なる気もする。杉内俊哉(元ソフトバンク)や、今をときめく宮城大弥(オリックス)の方が近いだろうか。しかしながら、力感のないフォームと腕の振り、140キロ前後のストレートと120キロ前後のスライダーで緩急を付ける投球スタイルは本家と比較されても何ら驚かない。

 「悔いはあります」

 晩年は故障に泣かされ、30歳の若さで引退を余儀なくされた今中はこう言い残している。無限の可能性を秘めた16歳には、球界を代表する大投手になることを期待するとともに、無事に選手生活を全うすることを願うばかりだ。

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