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【ひと夏の妹】#41/46 対決

「あなたの自己満足でしょ、それ。でも、娘はそれに振り回されたのよ」
 自己満足。その通りだ。自覚はしているつもりだったが、自分に対してどこか甘やかしていたその事実を、大人の女の口から厳しくぶつけられるのは、さすがに堪たえた。
「……おっしゃる通りです」
「あなたが妹のつもりで接しようとしても、リンはそうじゃない。だから今日みたいなことになった。そうでしょ?」
「……はい」
「あなた、思い込みが強そうだけど、あなたの自己満足で振り回されたり傷ついたりする女の気持ちも考えなさい。私にはわかる。見てすぐにわかった。あなたは、自分をよく見せようとカッコつけてるだけよ。リンみたいな子はそれで騙せるでしょうけど」
 現実をしっかりと生き抜いている大人の女の言葉は、容赦なく突き刺さった。
 俺は子供でもなかったが、大人でもない。中途半端な存在だ。そのくせ、何者かになりたくて、あがいて、悩んで、妙なこだわりをもって、結果として他人を振り回し、女を傷つけてる。
 たぶん、シノや、アリカのことだって。
 半端な自己満足でいい気分に浸ってる、カッコつけてるだけの男……それが、俺だ。
「……あの子、父親の話はした?」
 思い出したようにリンの母親は言った。
「亡くなった、と。詳しくは聞いてません」
「あの子がそう言ったの?」
「はい」
 リンの母親は、そこで初めて母としての顔から、女の顔になった。
「離婚したのよ」
 さすがに驚いた。死別と聞いていたし、疑いもしなかった。
「私、高校生のときにリンを生んだの」
 続く言葉にはさらに驚かされた。
「相手はそのときの担任。もちろん大騒動よ。堕ろすようにまわりみんなから言われた」
 そのひと言に俺の顔が強張った。衝動的な怒りに、全身が熱くなる。
 リンの母親はそんな俺をしばらく見ていた。
「私とリン以外は世の中みんなが敵だった。でも、最後は駆け落ち同然に一緒になって、リンが生まれた。私は高校を、夫は教師を辞めたわ」
 次々と明らかになっていくリンの家庭事情。俺が思っている以上に複雑だった。この環境が、リンという女の子を作り出したのだ。
「後悔なんてしてないのよ」とリンの母親はほんの少しだけ笑った。笑った顔はリン同様美しかった。「後悔なんてしない。絶対にしない。リンに会えたのは、私の人生で最高の出来事だったから。でも、幸せか、と言えば残念ながらノーね」
 離婚したという結末だけに、その言葉は重い。
「金にも女にもだらしなくて、暴力も酷かった。思い出したくもない目にさんざん遭った。リンも、あなたには聞かせられないようなことをされた。やっと出て行かせたの」
「……僕のところも母親だけの片親なんです」
 思わずそう言った。心のどこかで、それを聞かせれば、この母親と何か少しでも分かち合うことができるかも、と期待して。
「そう。じゃあ、娘を心配する母親の気持ち、わかるわね?」
 でも母親は素っ気なく返してきただけだった。
「私には……あの子だけなの」
 母親は神経質そうにタバコを出してくわえた。でも火は点けず、また箱の中に戻した。
 無言。
 秋の虫の静かな音色と、自販機のぶーんと唸る他人行儀な音だけが響く。
「あなたがいくら自分はお兄ちゃんだ、と言っても、あの子にとっては違う。それは、あの子には辛いことよ。そんなリンを見て、あなたはどうするの? それでも自分はお兄ちゃんだって言い張るの?」
 最初の喧嘩腰は消え、今は落ち着いて話している。
 この目には覚えがあった。俺の母さんと同じだ。息子を心配するような目だ。
「……それとも、あなたもリンをやっぱり女として見るの?」
「………………」
「二十一歳と十四歳がずっと一緒に居るなんて間違ってる」
 母親は俺じゃない誰かに言うような口調で言った。「ましてや、女の子のほうは恋をしているのよ」
「………………」
 俺たちはしばらく黙っていた。
 そして母親は宣告した。
「娘には二度と会わないで」
 有無を言わせない口調だった。
「……………」
 そうするべきなのだろう。マトモな大人なら。
 絞り出すように答えた。
「………そのつもりです」
 母親は、重い荷物を下ろしたように、大きく息を吐いた。
「じゃあ、ここで待ってるから、リンを連れてきて」
「……いやです」
 母親が目をむいた。最初会ったときよりずいぶん和らいでいた表情が、一気に豹変した。
「……連れてこいって言ってるんだけど?」
「いやです」
 俺は必死に頭を下げた。
「お願いです。もう二度とリンさんとは会いません。そのかわり、今夜だけは一緒に居させてください」
「あのねえ」母親はぶつかってくるように俺に迫った。背が高く、俺と目線はあまり変わらない。「自分がなに言ってるかわかってる?」
「もちろんです」
「最後にリンに手を付けとこうって?」
「そんなつもりはまったくありませんっ。だからリンを傷つけてまであなたに電話したんだ」
「………………」 
「……今夜は泊まっていいと、リンに言ったんです」と俺は言った。「それに……最後に、ひと晩だけでも、リンと過ごしたいんです。最後の思い出が欲しいんです」
 冷静に喋っていたつもりが、最後は懇願になっていた。
「お願いしますっ」
「はいわかりましたって娘差し出す母親が居る?」
 冷気すら漂わせて母親が言った。
「リンさんには、絶対に何もしません。僕の母に誓います!」冷たい砂利の地面にひざまずき、土下座していた。「お願いします! もう最後なんだ……」
 母親が乱暴に俺の胸倉をつかんだ。
 俺よりもずっと細い腕だったが、俺よりもずっと覚悟を持って生きている力強い腕だった。
「リンに何かしたら……」押し殺した声。凄まじい形相で俺をにらみつける。「……あんた、殺すわよ」
「リンに何かしたら俺を殺せ!」思わず叫んでいた。
 母親は、はーーっと諦めたように息を吐いた。その仕草もどことなくリンに似ていた。
 すっと手が離れる。
「約束して」穏やかな声だった。「今夜限り。それで、もう、リンとは二度と会わないって」
「……約束します」
「明日の朝、また来ます」
 母親はそう言い残して車に乗り込み、月明かりの中を去って行った。

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