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サイクリング初心者がRXに入るまで①

2016年11月某日、前年のリタイアは超えたものの全盛期とは程遠い200番代の順位で完走にとどまるという、失意のツール・ド・おきなわが終わり、寒さとともにロードバイクから遠のいていた僕は、かろうじて飛行機輪行を解除し、部屋のオブジェと化していた愛車の隣で携帯をいじっていた。

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いつものようにSNSやYouTube、そして日課のRoppongi Expressブログを読んでいると衝撃的な一文が。

チーム作ります。希望者はコメントください。

当時のブログはこちら。今見てもドキドキする。

ウェイトのち友人と飯

その日はふーん。という感じでスルーしていたものの、大学1年からずっとブログの読者で憧れだった高岡さんと一緒に走れるかもしれない、話せるかもしれない、極端な話、チーム員にしていただけるかもしれない。そんな思いが胸の奥に引っかかり、仕事に行く時もご飯食べている時も意識せずにはいられなかった。

外苑の動画でTOMIさんが言ってたけど、AKB48ファンにとってある日突然メンバーになれるかもみたいな、言うならばそのくらいの距離感。今こうして同じチームで走ってるのが不思議なくらい遠い存在だった。

おきなわ140kmを前年にリタイアしたような自分が、日本一の市民レーサーに話しかけていいのか、そもそもチームに入れてもらえるのか、何より失礼じゃないかなど、ビビリにビビリまくっていた。確か3日ほど悩み、親に相談してみると、「コメントすればいいじゃん」とのこと。いや、確かにそうなんだけど……。「ヤマオーは俺が倒す!」ばりのKY発言になんというか、その一言で吹っ切れた。

推敲に推敲を重ね、震える指を落ち着かせながら「コメントする」のボタンをクリック。緊張していて、想像するだけで心拍が上がる程、返事が来るのか不安と期待が入り混じった感情だった。

程なくしてプライベートのメールアドレスに一通のメールが。自分を認識し、ご丁寧に返事をくださった。それだけで嬉しかった。

大学では自転車部?どこの大学?4年間の戦績は?今年参加したレースは?来年出たい/目標にするレースは?普段の練習相手は?脚質は?他のスポーツ歴は?現在所属チームはなし?

などなど、強いからOKということではなく、仲間として判断してくださるとのこと。

ご存知の方もいるかと思うが、Roppongi Expressのチームコンセプトは「Fast & Smart」だ。競技を楽しむ速さはもちろん、社会人としての基本や、賢く・マナー良く走れるかということもチーム員には求められる

「大人の部活動」という表現の通り、絶対的なボスである高岡さんの元、超体育会系組織であるため、色んな面で高い基準が求められる。

当時の僕はというと、、、

・前年のおきなわ140kmを練習不足&熱中症によりリタイア
・その年の沖縄はかろうじて完走(206位 TOPから51分遅れ)
・レースでの入賞経験は数年前のチームエンデューロで4位になった一回のみ
・毎年出場するレースは多くても3レース
・社会人2年目のぺーぺー、仕事も覚えたてで帰りは終電間際になることも多々
・身長175cmに対し体重7xkg、体脂肪率16%(当時の写真は顔真ん丸。笑)

などなど、上げればキリがないほどのダメダメっぷり。基準に満たないどころか、そんな状態でお声がけする図太さも含め、失礼の極みだったと思う。ただのいち自転車ファンであり、メディアで見ては自分とは違う世界なんだろうなぁと。

ある日誘われた顔合わせ会に行くと、高岡さん・福田さん・まこっちさん・キクさん・バシさんの5人と自分。

話せば話すほど、自分で自分が恥ずかしくなった。何でこんな状況でチームに入れてくださいとか言ってしまったんだろう……。練習量も知識も経験も機材も何もかも論外。飛び込まなければ恥ずかしい思いもすることなかったのかな……。その日は初めて高岡さんと話した日であったが、舞い上がる以上に自分への恥ずかしさでいっぱいになり、帰りの電車の中は意気消沈していたことを覚えている。

そうは言ってもギャップを埋めなければならない。

寒くて嫌だった練習を出来るようにその日のうちに通販で固定ローラーを買った(それまでは冬用ジャージすら持っておらず、ローラーもないということは……お察し笑)

トレーニングの日々が始まった。それまで怠けていたのは自分自身以外の何者でもなかった。

2週間ほど経ち、もてぎ100kmでの先頭集団ゴールと鹿野山15分切りをチーム加盟への試練とすることを伝えられた。

大学時代は競技部ではなかったので指導者はおろか、ロードレースの経験のある方すら身近にはほぼいない状況だったので、知り合いやブログを辿り、情報収集しつつ、とにかく毎日乗ることを継続。乗ったら記録して自分で振り返った。

ほぼ同時期にFacebookにおきなわのレースレポート(完走しただけの感想記)をあげると何名か知り合いからコメントが。そこで現チームメイトでRXに入る1番の手助けをしてくださった松尾さんや、へっぽこな僕を肉体的にも精神的にも鍛えてくださった現JPT選手の松島さんと出会った。この出会いは大きかったなと。レース経験も豊富で自分よりも実力が遥かに上のお二人と話し、走ることでそれまでの成長曲線の傾きが急になった。SNSってすごい。

自分なりに考えて、出来ることをやった。1ヶ月が過ぎ、2017年1月2日。翌日に控えるもてぎエンデューロのために、僕は夜11時に栃木県は真岡駅にいた。大学四年時に車の免許は取ったものの運転する機会もなくペーパードライバーだった自分に車で行くという選択肢はなく、当然レースに一緒に参加するような知り合いもいなかったのでもちろん1人。

費用を抑えるために学生時代から時折お世話になっていた漫画喫茶を探すと真岡駅1kmのところに自遊空間があると分かり、真冬の寒空の下、輪行袋を担いで駅からとぼとぼと。寒さと暗さと人気のなさから不安になったが、憧れを支えに狭い漫喫で睡眠をとり、翌日レースに備えた。

レース会場へは最寄駅から自走。もちろん会場に行っても1人。ピットエリアの隅に空いたスペースを見つけ、輪行袋により場所確保。結論から言うと、ラスト1周で先頭から千切れ、当初の目標は叶わず。ゴール後高岡さんにご報告をすると、明確には言われなかったものの、なんとなくだめそう……。

その後の鹿野山については雪による路面凍結のため、練習会自体が無しに。

実力不足に不運が重なり、八方塞がり。そんなこんなで自分は初期メンバーにはなれず、チームの正式スタートをブログで知ったときには、なかなか簡単にはうまくいかないな。と悔しかったのを覚えている。

続く

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