観戦モード

複数人で何かを進めるときに、1人称(自分)で物事を考えることが一般的である。
時に、2人称(他者)の立場(目線)で物事を考えることまで求められる。
が、超越すると観戦モードで考える(観る)人が出てくるのだと理解した。

人には感情がある。うまくいかないときには怒りや悲しみを感じるし、うまくいったら喜び、笑顔になるものだが、観戦モードの場合には感情の起伏は発生しない。事実や結果を客観的に大局で捉える、ただそれだけである。

この考え方を他者が理解するには時間がかかる。特に1人称目線を期待している人たちからは理解ができない。
塩対応でもなければ、感情の起伏がないわけでもない。大局を見ていて個別の目線は気にしていない。
この状態を自身で作り出せれば感情のコントロールもいらないし、事実から目を背けずに分析することができるのだろうと思う。
(なれるかどうか、なりたいかどうかは別として)



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