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渡部昇一流『四書五経』の解釈 233

😈  本物になるための心得 (『論語』里仁第四)

🌏 道に志して悪衣悪食を恥じる者は、未だ與に議(はか)るに足らず

何かに志して、いい着物を着たり御馳走が食べられないという状況にいることを恥かしいと思っている者は本物ではない。

私が学校に入った頃の日本には、この言葉が通用するような雰囲気が残っていた。
そのため、大学生の時は極貧であったけれど、恥かしいと感じずに済んだ。
洋服は一着も買わなかったし、靴は爪先の開いたものを紐で結んで履いていた。
ご飯は寮で食べたが、お腹が空くと外食券食堂(民生食堂)で一食あたり13円払って食べた。当時はみんな同じようなものだった。

この感覚は今でも尊いと私は思っている。だから、
若い学者を見ていても、貧乏で贅沢も全然しないし、高いレストランにもいけないけれど、
それでも勉強を続けるというのでなければ本物ではないなという感じがしてしまう。
若い頃から着物に奢り、口に奢って、格好をつけることに熱心では本物の学問はできないということである。



【2024年4月16日(火曜日)曇り時々晴れ16℃〜24℃】


東京タワー

最近は「幸せになりたい」とか「変身願望」とか「運命を変えたい」とか
そう思う人が増えているのか、それともそうしたことを勧める人が増えたのか
そうした類の「講座」や「著書」が増加傾向にあるような気がします。
これは私も望んでいることですからとても嬉しいことです。
大いに歓迎したいところです。が、若干異なる部分はあります。
それが個性というものかもしれません。
言うなれば本性というものかもしれません。
人はいざとなるとその本性をむき出しにすることがあります。
これは悪い面の自己防衛手段だと思います。
いい面だと自己犠牲ということになるでしょうか。
しかし、現実的にはこの自己犠牲になる人いうのは少ないようです。
そして、こういう場面になると、必ずや私の脳裏に浮かぶものがあります。
それは作家三浦綾子女史の著書『塩狩峠』を思い出します。
モデルになっているのは鉄道員の実話です。本ではクリスチャンになっています。
私は自分の人生でこのような状態が生まれないことを願っています。
なぜならば、私の願いは「自然死」だからです。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😄

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