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陰キャコミュ障が定期的にゲーム実況系Vtuberになりたがる現象についての記録①

私は、定期的にゲーム実況系Vtuberになりたいと画策する病にかかっている。自他共認めるコミュ障が、である。
ゲーム実況の何がそれほど私を惹きつけたのか。
今回はこちらをテーマに書いていきたい。

話すのが苦手、コミュニケーションも苦手

私は話すのが不得手だ。途中から何を喋っているのかワケが分からなってくるし、早口な所も、声帯結節で声がかすれてしまっている所も好きではない。というか、嫌いだ。
どれだけトレーニングを積んでも、相変わらず一方的なコミュニケーションになりがちで、気の利いた事も言えない。
むしろ、人を怒らせる方のが得意なんじゃないかと思う。それも未だに第三者から説明してもらわないと、相手が何故そんなに怒っているのか理解が出来ない。

よく『人がされて嫌なことはしないでしょ、普通』と言われる。怒ってる人は大体そう言う。その度に『貴方がされて嫌な事は、はっきり言ってもらわないと分からない。それにこれは貴方と私の問題。なのに、どうして主語がいきなり大きくなるの。』と思う。
しかし、こんな事を言い返しても水掛け論にしかならない。
だから口にはしないが、おもむろに態度に出てしまう。そして事態はおおむね、悪化の一途しか辿らない。

”コンテンツとしてアリ”という視点

では何故、そこまで話す事に対して不得手だという自覚があるのに、ゲーム実況だけはやりたがるのか。
それは純粋に”リアクション芸として、コンテンツ的にあり”と判断しているからに他ならない。

かねてより数少ない友人からちょくちょく「狩野英孝っぽい」と言われていた。その度に烈火のごとく否定をするのだが、友人は「だからそういうとこ!」と言ってゲラゲラ笑う。
絶対に違う。似てない。
本気でそう思っていた。

ゲームをするようになったきっかけ

ゲーム配信を始めたのは、好奇心からだ。

コロナ禍でやることがなかったというのもある。嫁ぎ先には友人がいない。余りにも人と話をしなさ過ぎて、陰キャコミュ障ですら耐えられなくなってきたいうのが実のところのような気がしている。

生まれてから約半世紀。マトモにプレイしたゲームは『スーパーマリオ』と『ポートピア連続殺人事件』くらいのものである。
夫と話をして、ゲーム初心者なので『あつまれ どうぶつの森』が妥当なんじゃないかという結論に至った。なので、本当はNintendo Switchが欲しかったのだが。
まー、コロナ禍で全く市場に出回っておらず。

仕方なく手にとったのがPS4だった。

夫は苦い顔をして「こんな複雑なコントローラー使えないでしょ…止めなって。」と言った。
私もそこには完全に同意していて「うん、無理だろうね。」と真顔で返した記憶がある。
けれど、やってみたかった。とにかく好奇心が強いのだ。

なので、やっぱり出来ません!となった場合は、私の持ち分から補填すると言って半ば強引に購入を決めてしまった。

一番最初にプレイしたゲームは『ジャッジアイズ』である。

JUDGE EYES:死神の遺言

非常に入り込みやすいシナリオで、飽きるという事がまるでなかった。初心者でも容易に進められる操作性も大きかった。コントローラーを滅茶苦茶に押していても、何となく進められるよう配慮されている。流石、セガ。
もし、初プレイがこのゲームでなかったら、投げ出してしまっていた可能性は高い。
何となくキムタクを動かしてみたいからの、まんまとシナリオにどハマリするパターン。これは製作者側の完全勝利と言っていい神作品である。

配信に対する好奇心と敗北

そうして、ゲームを日常的にプレイするようになった私は、PS4の付属機能である、YouTube配信に興味を持った。先にも書いたが、相当に好奇心が強い性質だ。何なら生きる原動力にすらなっていると思う。
早速、配信に必要なキャプチャー等を調べたが、ちょっとやってみたいだけにしては費用がかかりすぎる。
その点、ゲーミングヘッドセットとアカウントさえあれば気軽に始められる付属機能の配信は非常に魅力的だった。

早速、配信にとりかかる。
そして結論

客観的に見ても、主観的に見ても、どこからどう見ても「ダメだこりゃ」と判断せざるを得なかった。

話をしてる余裕が全くないのである。少なくとも見たことのある、ゲーム実況からは程遠い。東京からリオデジャネイロくらいまで離れてる。
キャラを動かすのに精一杯で、ゲームシステムすら理解していない。何もかもがバラッバラで「ハァハァ」という余裕がまるでないの呼吸と、時折「分かんない、分かんない」という念仏みたいな音声が入ってるのみである。

そんな中「あなた、ゲーム初心者ですよね」なんていうコメントがつく。確かあれは『モンスターハンター:アイスボーン』だったか。「わざわざ言わなくたってこんな大惨事、見ればわかるだろ!」と叫びたくなった。

泣きたい。もう二度とやらない…そう思って、ヘッドセットを置いた。
不思議とゲームがそこで嫌になってしまう事はなかった。

プレイ二回目ならば、やれるのではないか

一昨年の夏『ゴーストオブツシマ』がゲーム界隈を大いに賑わした。私も熱狂的にハマったツシマフォロワーのうちの一人である。
境井仁という男の生きざま。
冥人として生きる決意をしたシーンでは涙を流し、濃すぎるサブキャラ達に魅了された。
それはもう夢中になってプレイをしていたと思う。

ゴーストオブツシマ

プレイ後、生まれて始めての『ロス』を起こした。そう『ツシマロス』である。もう一度、あの人達に会いたい。
バーサーカー政子やうさんくさい代表石川、誉a.k.a志村おじ。もちろん主役である境井仁に誰よりも会いたかった。

そう思ったのは私だけではなかった筈だ。二回目プレイする人が続出しているのをTwitterで見て「あれ?もしかして二回目なら余裕持って配信できるんじゃない?」と思ったのである。

今、書いていて思ったが、意外と諦めの悪い性格してるんだな…と自覚した。

そうして、再び配信を始めるに至った。
その中で面白い発見がいくつもあった。そのうちの一つが”コンテンツとして見ればあり”である。

長くなりそうなので、今日はこの辺にしよう。
この続きはまた近いうちに。


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