自立について考える

はじめに

 こんにちは。私は視覚に障害があるのですが、生活していると、ふと「自立って何だろう」と思うことがあります。障害があると必然的に誰かの助けが必要になります。大学で社会福祉を学びながら自立について深く思考する機会が増えたので、持論も交えながらなるべくシンプルにまとめていこうと思います。

独立は自立ではない

 自立をネットで調べると「自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと(Oxford Languagesより)」とあります。大体の方が想像される自立とはこのような意味だと思います。確かに20世紀以前は福祉への依存から脱却することが自立だと考えられていました。しかし、福祉にかぎらず、誰かの助けを一切受けない人なんているでしょうか。

独立のリスク

 福祉への依存から脱却することが自立だという考え方の下では、自立の強要が起こるリスクがあります。例えば生活保護を受けている人に対して働かない怠惰な人だという偏見を持たれかねません。もちろん憲法に勤労の義務は定められています。ただ、病気や家族の介護などの事情で労働能力を全て活用しても貧しい場合もあります。その場合に福祉を全く必要としない状態を正当化する社会は半ば差別的であり、あってはならないと思います。

あるべき自立の姿

 では、あるべき自立の姿とはどのような状態でしょうか。端的に言うと「支え合いながら、本人の主体性に基づく自己決定により、困りごとのない生活を得ること」が自立だと考えます。

自己決定とエンパワメント

 1960年にアメリカで自立生活運動(IL運動)が起きますが、その際「当事者が希望に向けて努力できる状態」が自立だという主張がなされました。その頃のアメリカでは重度障害者への支援がパターナリズムに陥っており、当事者が市民としての生活を送られずにいました。確かに積極的な支援は素晴らしいことではありますが、それは一方で当事者の人間らしい生活を失わせていることでもあります。当事者が本来持っている能力や権利を発揮し自らの意志で前向きに生きるのが重要なんだ、というエンパワーメントの解放に向けて運動を起こされたわけです。

依存先を増やす

 また、東京大学の教授である熊谷晋一郎さんは自立を「依存先を増やすこと」だと述べられました。先ほどのIL運動と相対する考え方のように思えますが、「困った時に力を借りながら目標に向かって努力できる状態」と折衷するとどうでしょうか。いくら能力を活かそうと思っても、できないこと全てを自助努力で解決しようとするのは大変なことです。能力を最大限に活かしつつ、多くの依存先から支援を自ら決めるのが大切なのです。

自立と甘えの違い

 依存と言うと甘えのようなイメージを抱かれるかも知れませんが、甘えと自立には明確な違いがあります。甘えという言葉は曖昧なので個人的な解釈で定義しておくと、「必要以上の欲求」です。対して自立では「ニーズの充足」が重視されています。つまり、困っている問題を解決し、通常に近づけていく(ノーマライゼーション)ということです。例えば、高級車が欲しいという、言葉を選ばずに言うと見せびらかすための需要は前者に入ります。足が不自由だから運転補助装置が欲しいという需要は後者に入ると思います。つまり、自立における依存は、必要なサービスを必要な分受けるということになります。

社会生活における自立

 自立には経済的、日常生活(ADL)動作、自己決定、社会生活の側面があります。経済的自立もADLの自立も、自助努力だけでなく福祉サービスの活用も重要です。ただそれだけではなく、社会的なつながりも重要な資源となります。それが社会生活における自立です。家族や友人、地域住民など公的ではなくとも依存先になりえる人々とのネットワークを形成し、ちょっとした困りごとに手を貸してもらったり貸したりすることも、自立において理想的です。

豊かな地域

 持論ですが、理想的な、豊かな地域というのは誰もが自立できる地域だと思っています。言い換えると、互いに個性を認め合い、それぞれの持ち味が発揮され、互いに助け合える関係です。ウルフェン・スバーガーはソーシャル・ロール・パロリゼーションという、社会的に価値のある役割を得るという概念を提唱しました。誰もが等しく役割を担い、支え合う関係は非常に社会性に富んでおり、個々人が人間として平等に生きるための重要な要素です。ともかく、昨今、SDGsにて多様性の尊重が掲げられていますが、相手を理解しようとする姿勢こそ豊かな地域の始まりだと思います。

おわりに

 まとめると、自立とは「個々人が主体性を尊重し合い、持ち味が発揮され、支え合える関係」です。単に個人が独力で頑張る状態ではなく、他者との関係にも注目している点が重要だと考えます。綺麗事のように見えてしまうかも知れませんが、綺麗事とは誰にとってもの幸せについての願いであり、それを実現するのがソーシャルワークだと胸に思っています。

2023/05/11 投稿

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