多様性について考える

多様性について考える

はじめに

 昨今、とりわけSNS上において、多様性に関する議論が熱を帯びている。その中で私は多様性はどこまで許容されるべきか、そもそも多様性とは何かが分からなくなってしまった。そのため、今回は一般的に考えられている多様性と、あるべき多様性の姿について述べていこうと思う。

多様性とは

+多様性の定義
 ところで、「多様性」とは何だろうか。まず一般的に使われている多様性の定義について考える。多様性という言葉の語源は英語の「divercity(ダイバーシティ)」であり、オックスフォード英語辞典によると「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」という意味だ。ただ、多様性/divercityの含む意味は多岐に渡るようで、人の多様性についての定義は「ある集団のなかで年齢、性別、人種、趣味趣向が異なる人が存在している集団」というようなことで、その集団において「その属性が認められる(sports-for-social.comより)」ことが多様性の尊重である。言い換えると、異なる属性の人々が集まった状態が多様性であり、その中で互いの属性を認め合う関係性が多様性の尊重であると言える。

+多様性の種類

そして、多様性は2種類ある。1つは「表層的ダイバーシティ」で、もう1つは「深層的ダイバーシティ」である。ある集団において、表層的ダイバーシティは人種や障害、性などの目に見える外面的な特徴で、深層的ダイバーシティは考え方や価値観といった目に見えない内面的な特徴だ。
人を要素で分解した時、表層的ダイバーシティに属する要素と深層的ダイバーシティに属する要素に分けられる。例えば、改札の切符の取り込み口が右側にあるのは、開発者に「自身を含めた『生まれつき右利き(表層的特徴)』の人にとって右側にあるものが使いやすい」という価値観(深層的特徴)があったからだ。このように、表層的要素と深層的要素どちらも尊重されることが望ましいのだ。

+2つの多様性の矛盾

 しかし、2つが矛盾する場合がある。その事例は私達の生活の中でよく発生するが、置かれた場面において自然に二者択一している。いわゆる「我慢」である。「『指が短い(表層的特徴)』人はギターを弾けない」という考え(深層的特徴)があるため自身も弾けないと思う、という例がそれだ。
しかし、それが社会的な事案になると様々な立場から対立が起こる。その有名な事例がトランスジェンダーである。昨今、身体が男性で心が女性である、いわゆるトランス女性が女子トイレを利用することに関してSNS上で議論がなされている。私が確認した限り、この事例に否定的な意見が圧倒的に多数だった。それは、性自認の確たる証明ができない状況においてなりすましによって女性が色欲の目で見られたり性被害に合ったりするリスクがあるからである。誰しも自らの身を本能的に案ずるから、女性がこの状況を受容できないのは仕方がない。そして、このケースでは本当のトランス女性には何の罪もないのだが、国が対策を取らない以上当事者に対策をお願いせざるを得ない。

多様性のあるべき姿

+多様性と自己決定

 当事者が自身が身体的特徴と精神的特徴のどちらを大切にしたいと思うかが重要だと私は考える。「本当に女になりたい人は性転換をして当然」という当事者家族の意見もあるが、身体にメスを入れる恐怖の程度は千差万別だろう。男子トイレには化粧台がないため自己像を喪失しかけている人もいるかも知れない。当事者には身体と性のどちらを優先させたいのかを決めていただくのが最善解だと私は思う。
 私は、多様性において何が正しいのかを決めないことも重要だと考える。先の当事者家族の、当事者の考えについてその可能性を一歳念頭に置かず男性としての特徴を無くすことが絶対的だとする考え方は、一理あるがそのように当事者自体でない者が価値観を強要するのは避けるべき事案だと私は思う。アニメや映画に関しても言えることだが、「黒人を作中に入れないのは非人道的」という意見や「黒人を必ずキャスティングするのは他の人種に対する逆差別」という意見は、どちらも誰かを大切にした末の考え方であって素晴らしいと思うが、偏った見方であるため多様性を尊重した考え方とは言い難い。人種を平等に捉えるのであれば、監督がどのような理由で黒人をキャスティングしたのかを理解するべきであるし、黒人の俳優がどのような気持ちでオーディションを受けたりスカウトを受けたりしたのかの可能性を想像するべきであると考える。つまり、私が思うに(実際は双方が実現されることが理想なのだが)表層的特徴を優先するか深層的特徴を優先するかを決めるのは、第三者ではなく、各当事者自身であるべきなのである。

+合理的配慮

 こうした社会的な対立に関しては「合理的配慮」という考え方が鍵となる。端的に言うと、建設的な話し合いによって支援差の不利益にならない程度に当事者が支援を受けるというものだ。これは身体障害者に限ったものではなく、あらゆるマイノリティにも活用できる考え方である。先のトランスジェンダーに関する問題では、女性側が自身に危害を加える可能性が無い選択肢を提示し、トランス女性がその中から自身が納得できるほうを選ぶ、という構図になる。中には妥協もあるだろうが、互いが快適に過ごすためには不可欠なことである。

おわりに

 今回はトランスジェンダーに関する事案も取り上げながら、多様性について考えてみた。多様性について議論を行う際、それが表層的ダイバーシティなのか深層的ダイバーシティなのかを明確にする必要がある。また、第三者は少なくとも当事者の価値観を理解しようと試みることは出来る。それが私達が当事者に出来ることであるし、当事者には自身の存在を否定されているのではないと理解していただきたい。
ここまで拙い文章を読んでくださりありがとうございました。

追記

 この多様性というテーマにおいて、内容の理解しやすさを重視し、あえて二元論的な表現を多様しました。

2023/07/16 投稿
2023/07/16 15:50 追記


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