感動ポルノについて考える

感動ポルノについて考える


はじめに 感動ポルノとは

 皆さんは「感動ポルノ」という言葉を耳にされたことはありますか?感動ポルノとは、メディアが障がいのある人を、健常な人を感動させる道具として発信することです。この言葉はステラ・ヤング氏によって作られ広められました。キリスト教圏において「ポルノ」は非常に攻撃的な単語であり、ヤング氏はそれを踏まえ、障害のある人を自慰のために利用するメディアのあり方を強く批判したのです。

問題点1 障害のある人を美化する

 感動ポルノの1つ目の問題点は「障害のある人を美化する」ことについてです。例えば「障害のある人は頑張り屋で前向きに生きている」というものです。感動ポルノが見受けられるコンテンツでは、障害のある人が一生懸命自助努力をしている姿が美しく描かれています。しかし、障がいがあろうとなかろうと苦手なことや出来ないことがあれば努力をするものです。加えて、誰かの手を借りることも当然あります。しかし、このような美化のされ方では障がいのある人が1人で困難を乗り越えるものだという先入観が生まれる可能性があります。そのため私は、障害のある人の自助努力が美化されればされるほど、支え合うことの大切さが見失われてしまうことを危惧しています。
 そして、「障がいのある人は前向きに生きている」ということにも触れます。これは例えるなら「大阪出身だから明るくて話が面白い」という偏った見方と同じです。当事者の中には確かに積極的に活動されている人もいますが、障がいの受容ができずネガティブな人もいれば(障がいに関係なく)内向的な人もいます。「障がいのある人は前向き」という偏見があると、例えば同じ障がいがある人が何らかのスポーツをされており、同じ障がいというだけで比べられ「あなたより重度なのにすごいね」と言われたり「あなたもやればいいのに」と直線的な理解と提案をされたりしてしまいます。同じ障がいや病気があってもその人はその人以外の何者でもありません。その人自身の好きなことや嫌いなこと、得意なこと苦手なことがあります。個人を尊重する社会を目指すためには、、先入観を生む報道の仕方はあってはならないのです。

問題点2 絵になる障害だけをクローズアップする

 次に挙げる問題は「絵になる障害だけをクローズアップする」ことです。感動ポルノ作品で取り上げられる障がいはほとんど身体障がいです。精神障がいや知的障がいなどがピックアップされている作品を少なくとも私は見たことがありません。これを百田尚樹氏はメディア上「絵になる」障がいを取捨選択していると述べられました。その手法では精神障がいなどの障がい理解に繋がりません。身体障がいについて知る機会があってそれ以外の障がいを知る機会がないと、障がいの種類の違いだけで向けられる視線が変わってしまうからです。つまり、障がいの選別が行われると、多様な障がいを理解してもらうためのきっかけが失われてしまうのです。
 「知る機会」という点で話を広げると、私のツイッターのフォロワーさんが「好奇の目にさらされる場合、その目を向けてる人の大半は意識的に差別や侮辱をしてるのではなく、ただ『知らない』事柄に関して本能的に警戒しているだけ」と述べられました。それを踏まえて考えると、知る機会がないだけで、精神障がいなどのある人たちに対して悪気なく好奇の目を向けてしまいます。ちなみにその障がいを知らない人というのは健常な人だけでなく異なる障がいがある人も含みます。そしてそのような目で見られた当事者は「差別された」と健常な人に対して逆差別に近い觀念を抱いてしまいます。つまり、障がいを知る機会が設けられない場合、その障がいを知らない人と当事者の間ですれ違いが起き、差別に感じてしまう機会が増えてしまうのです。

メディアと現実とのギャップ

 話は逸れますが、私は感動ポルノが当事者から批判される理由はもう1つあると考えています。それは「メディアと現実とのギャップ」です。某チャリティ番組では24時間も同情を仰ぐような放送をしておきながら、現実では点字ブロックの上に立ち往生したり、全聾だと意志行事していても大きな声で話しかけたりする事例が後を立ちません。これはその番組が何も伝えていないことをよく投影しています。後にも述べますが、障がいを理解するきっかけとなる充実した番組にするべきだと考えています。

原因

 話を戻します。これら2つの問題点の原因は何でしょうか。それは障がいのある人を「可哀想」と感じる気持ちです。それは障がいのある人を無意識的に下方に見ていると言い換える人もいます。ネットや私の周りで見かける障がいのある人は自身を「可哀想だ」とか「不幸だ」とか思っている人はあまりいない気がします。また、中途で障がいを持った人の中には、受容と混乱を繰り返しているので、健常な人と同じように接して欲しいと思っている人も多いです。このように可哀想と思われることに懐疑や抵抗があるので、障がいをお涙頂戴のコンテンツに利用されることに対しても疑問を感じるわけです。

感動ポルノを必要とするのは本能的

 ここまで感動ポルノの問題点を挙げてきましたが、一方で人がそれを必要としてしまうのは仕方がない面もあります。ヤング氏や乙武洋匡氏は、人の本能を鑑みて感動ポルノに一定理解を示しています。それは優越感を得たいという欲求や人を守りたいという母性本能に近い欲求です。例えば、学生をしていると、他人と試験の結果を比べて「勝った!」と優越感に浸ることがあります。その対象が障がいのある人に変わっただけで、「可哀想」と感じるのも自然な心理なのです。とはいえ、先に述べたように可哀想と思うだけでなく、知ろうとする姿勢は忘れてはなりません。 

感動ポルノのメリット

 そして、感動ポルノは決して悪いところだけではないと私は思っています。たしかにデメリットの方が多いのですが、感動を求める心理を活用して、多様な障がいを知る良い機会になりうるというメリットも備えています。人は自身に利益がない事柄に関しては興味を示さないものです。ですから、感動を提供しつつ正しい理解を促す番組が好ましいと私は考えます。それは差別を利用して差別を解消する暴論だと思われる人もいるかも知れませんが、感動自体が悪いわけではありませんし、内容を少し変えるだけで筋が通るものになります。某24時間放送するチャリティ番組を例に取ると、「自助努力よりも共助にクローズアップして、それによって障がいの受容が進んだ」という描写の仕方を提案したいです。私は医療福祉サービスや家族や友人からの心理的サポートがあってここまで生きて来られました。支え合うことは美しいです。もちろんパターナリズムの問題からは目を逸らせないので、それも含めて支え合いの精神を押し出した番組を作って欲しいと思っています。

おわりに

 今回は感動ポルノについて、そのデメリットとメリットを考えてみました。これを読まれている方の中にも障がいに対する先入観がある人がいるかも知れません。そういったイメージがメディアによって刷り込まれたものではないか、障がいのある人に対して対等で協働的な心を持っているか、今一度見つめ直していただく機会になれば嬉しいです。
 ここまで拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました!

2023/05/18 投稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?