「普通の女の子」という呪いはどこから来たのか―「腐女子」とヘテロセクシュアリティ

 「腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦」というコミックエッセイが炎上している。

 その作品内に満ち満ちている偏見と他者への見下しと凝り固まった自意識に対する言及はほかのユーモアあふれる批判に任せるとして、私がとりあげたいのはこの作品のレビューのうちの一つだ。

 「腐女子カースト…」では、「女の子が好き」と話す「腐女子」を「こんな感じの自称バイセクシュアルやファッションレズ発言するやつ」として批判している。

(かわいなおみ・おくいぞめ「腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦」COMIC維新,p.41)

 これに対し、「ルッキズム的視点を多く含む漫画です」というレビューには、このような文章がある。

私が問題だと感じるのは作品の中にバイセクシュアル腐女子への差別表現が見られることです。私自身、2丁目とコミケを行き来してたバイですが、作者のような視点を持つ腐女子の存在に苦しめられました。

 バイセクシュアルの腐女子である私も、当事者としてこのレビューには深くうなずける部分がある。このことをレビュー者と同じように、個人的な体験という側面から語るのも良いと思う。
 が、せっかくなので、今回は、「クィア研究的観点からのBL/腐女子研究」というテーマで研究し修士号を取得した人間としての側面から、このような出来事がなぜ起こってきたのか紹介したい。

 ということで以下に、私の修士論文「男性同性愛表象としてのBLをめぐる言説とコミュニケーションーやおい論争から現在までー」(未発表)の一つの章を抜粋して掲載します。読みづらい部分も多々あるかと思うのですが、改稿できず申し訳ありません。

※本論では、「女性による女性のための男性同士の恋愛物語」(つまり、世間一般でBL・ボーイズラブと呼ばれているもの)を「〈女性向け男性間恋愛フィクション〉」と呼んでいます。理由は話すと長くなるのですが、簡単に言うと「BL」や「やおい」などの言葉のイメージや歴史性に依存しないためです。
※また、「腐女子」という概念が社会的に成立した過程を追うため、単に「BLが好きな人」を指すときには「腐女子」ではない言い方を使用します。

「普通の女の子」としての腐女子とヘテロセクシュアリティ

 本章では、「腐女子はストレート(異性愛者)の女性である」という言説はどのようにして構築され、どのように定着したのかを、2000年代中盤に起こった「腐女子ブーム」を中心に考察する。

 日本のジェンダー研究の第一人者である上野千鶴子は、2007年の『ユリイカ』「BLスタディーズ」特集に掲載された「腐女子とはだれか? サブカルのジェンダー分析のための覚書」という文章の中で、「彼女たちはレズビアンでもトランスジェンダーでもない。女としてのジェンダー・アイデンティティに混乱はなく、異性愛のセクシュアリティを持ち結婚し、出産する」と述べている(上野、2007: 36)。

 2007年当時、このような言説が定説として著名なジェンダー研究者によって語られていた一方で、心理学者の山岡重行は『腐女子の心理学』(2016)(注1)の中で、自身の研究のきっかけについて、1980年代当時インディーズ・ロックバンドのファンだった山岡は、ライブ会場などで出会った「JUNE少女」の知人がたくさんいたが、現在の「腐女子」が彼女らとはかなり異なる存在に見えたからだと語っている(2016: ⅲ-ⅳ)。

 山岡(同: 23-29)は、現在の「腐女子」の心理学的研究を行うにあたって、「腐女子尺度」「オタク尺度」というものをそれぞれ作成し、これをもとに調査対象の大学生を「一般群」(腐女子尺度低、オタク尺度低)「オタク群」(腐女子尺度低、オタク尺度高)「腐女子群」(腐女子尺度高、オタク尺度高)「耽美群」(腐女子尺度高、オタク尺度低)の4つの群に分類した(表1)。これによると、山岡は「腐女子」的要素と「オタク」的要素を異なるものとして区別しており、「腐女子」は「腐女子」的要素と「オタク」的要素の双方が高い存在として定義づけている。そして、「腐女子」的要素のみを持っている「耽美群」の存在を示唆している(注2)。

 「腐女子」的要素だけが高い者が「腐女子」ではなく別の存在であり、「腐女子」であるためには「腐女子」的要素だけではなく他の要素が必要であるなら、ここで呼ばれている「腐女子」とは何者なのだろうか。
 そもそも、「腐女子」的であるとみなされる要素とは何なのだろうか。前述した上野による「腐女子」に関する言説は、一見ごく当たり前のことのように見えるが、上野はなぜあえてこのような主張を行ったのだろうか。

 ジェフリー・T・ヘスター(Jeffry. T. Hester)「腐女子の出現:やおい/BLの代表的な表象の変化」(Fujoshi Emergent: Shifting Popular Representational of Yaoi/BL)(2015: 171, 176)によると、「腐女子」は単に発見されたのではなく、その存在を明るみに出すというプロセスの中で、ライフスタイル、言葉、都市空間と結びついたある特定の行動・性質を持った人として構築されていった。

 本章では、このような「腐女子」がヘテロセクシュアリティとの関連でどのような存在として構築されていったかを検討することを通して、「腐女子ブーム」の前後で〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を愛好する女性のとらえ方が変化していったことを論じる。

 80年代から90年代まではゲイ文学と24年組の作品が地続きで既存の性規範を革命する表現として考えられ、特に90年代これらの読者とゲイブームが結び付けられて「おしゃれ」「いまどき」とみなされたが、一方で〈女性向け男性間恋愛フィクション〉が女性による文化であることややおい同人誌のコミケでの影響力が知られるにつれ〈女性向け男性間恋愛フィクション〉は「オタク」と結びつけられ、読者は成熟を拒否する「オタク少女」とされた。
 ここには24年組作品の特権化や商業作品と同人シーンの区別、やおい論争の影響によるゲイ文化との分離や読者のスティグマ化があらわれている。

 2000年代には「腐女子ブーム」において、従来のネガティブな印象を脱却するため、また交際する男性の目を通して描き出される中で、「男性と普通に恋愛し、結婚し、出産する」「普通の女の子」として性役割・異性愛規範に適合した「腐女子」像が誕生し、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉はその趣味の対象とみなされた。
 ここで、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉の作品とその読者という関係から、「腐女子」とその趣味の対象である〈女性向け男性間恋愛フィクション〉という主客の逆転が起きていることがわかる。
 このように、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉とそれを愛好する女性に関して00年代を境に大きな認識の転換があった。

1.「腐女子」以前:ゲイ文化との接続と分離

 本節では、「腐女子ブーム」以前の時期に〈女性向け男性間恋愛フィクション〉とそれを愛好する女性がどのようにとらえられていたかについて概観する。

 西原麻里(2010)は、「ボーイズラブ」という語が登場する以前のマスメディア上における〈やおい〉(注3)言説を分析し、70年代から80年代後半「ゲイ文学」と同じ土俵で語られ、既存のジェンダー意識を解体するものと考えられていた〈やおい〉が 90年代、女性独自の文化だと明らかになるにつれ、社会的・性的に未成熟な女性の現実逃避としての見方が前景化されたと述べる。
 また、コミケでの「やおい同人誌」の影響力から、オタク文化の一端と認識され、受容者は「おたく少女」と位置づけられたという。
 西原は、このような〈やおい〉と「オタク」の接合の原因として、ゲイ文学との分離や「コミケ=オタク」の図式、オタクの異常性の喧伝などを推測している。

 第二章第三節で中心的に取り上げた石田仁による「数字で見る『JUNE』と『さぶ』」(2012: 170)では、サン出版という同じ出版社から出版されていたゲイ雑誌『さぶ』(1974~2002)と『JUNE』(1978~79、81~98)の販売数や掲載作品の内容などを比較する中で、『さぶ』編集部による編集に『JUNE』編集部が助力する体制の雑誌『ロマンJUNE』(1988~97)の存在に触れ、『JUNE』と『さぶ』の読者がお互いに意識しあっていたことを明らかにし、『ロマンJUNE』を中心とした『JUNE』『さぶ』などの雑誌群が「クィアなコンタクト・ゾーン」を形成していたと主張されている。

 また、 同じく石田仁(2007)「ゲイに共感する女性たち」では、第二章第一節で述べたように、90年代にはゲイブームとBL好きの女性という現象は地続きだったと述べられている。
 石田によると「「男と男の恋愛になぜ惹かれるか」と「ゲイという存在になぜ惹かれるか」は、当時、可換的な謎解きとして成立していた」(49)ため、「ゲイブームの終焉に「やおい論争」も関係しているという。

 これらから、90年代の商業シーンにおいては、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉をゲイ文化との連続性・関連性の中でとらえられていたことが推測できる。

 一方で、学究・批評の場では、同時期に本格的な〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を対象とした論評が始まっていた。
 繰り返し紹介しているが、金田(2007)は、「やおい」研究(注4)を心理学的やおい論とジェンダー論的やおい論に分類し、前者から後者へ移り変わってきたと論じる中で、中島梓『コミュニケーション不全症候群』(1991)に代表される心理学的やおい論は、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を愛好する女性を「女性一般」から逸脱した特殊な存在、男尊女卑的な社会の価値観を内面化しつつもそのような社会に適応できない女性とみなし、「やおい」をいずれ解決すべき問題として位置付けたと述べる。

 これらから、「腐女子」登場以前、ゲイ文化と地続きとみなされていた〈女性向け男性同性間恋愛フィクション〉とその愛好者の女性は、「オタク」と結びつきネガティブなイメージを付与されたことがわかる。
 しかし、『JUNE』の読者層とやおい同人誌の作者/読者は重複していなかったという意見(溝口、2015: 38)もあることから、そもそも商業シーン、同人シーンそれぞれの場に集っていた別の集団としての女性たちが〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を愛好する女性として統合されていった可能性も否定できない。
 また、西原(2010)が、2001~2003年にかけてメディア上での〈やおい〉への言及が激減したと述べていることから、2000年代初頭に言説上の空白期間が存在していることが推察される。

2.「腐女子ブーム」: メディアによる「腐女子」の発見

 本節では、2000年代中盤にメディア上で「腐女子」に大きな注目が集まった現象「腐女子ブーム」についてその実態を明らかにしながら、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉とそれを愛好する女性をより肯定的にとらえようとする動きの中で「腐女子」という存在が立像されていったことを論じる。

 Hester(2015)によると、2004年から2005年にかけて、マスメディア上で社会的キャラクターとしての「腐女子」が一般化するという現象がみられた。

From around the middle of the first decade of the 2000s, however, something of a "fujoshi boom" ―a small explosion of representations―has both sharpened the profile of this fandom and exposed it more widely to popular awareness and scrutiny.(Hester, 2015: 169-170)

 Hesterは、2000年代の中盤頃から、何か「腐女子ブーム(fujoshi boom)」のようなもの、小規模ではあるが爆発的な表象の増加が起こり、それらは「腐女子」というファンダムのプロフィールを形作り、一般に認知され吟味されるに至るまで広く知らしめたと述べる。

 「腐女子ブーム」という語については、社会学者でやおい同人誌の研究者である金田淳子が対談中でこの語を使っている(金田・三浦、2007:20)ことから、2007年当時すでに当事者らによってすでにそのような風潮は認識されていたと考えられる。

 「腐女子」という語が一般メディア上で広く認識されたのは、『AERA』2005年6月20日号に掲載された「萌える女オタク」という記事と言われている(注5)。
 この記事で紹介されているのは〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を愛好する女性だけではなく、盆栽などに熱中する女性についても触れられているが、「女オタク」の一種として「腐女子」について東池袋という都市空間や具体的な作品名を伴って詳しく紹介されている(注6)。この記事はのちに複数の「腐女子」に関する著作で「腐女子ブーム」の立役者となる杉浦由美子のライターとしてのデビュー記事となった。

 杉浦が翌年2006年に出版した『オタク女子研究 腐女子思想大系』(原書房)(注7)によって「腐女子」は人口に膾炙することになり、多くのメディアの注目を集めた。当時の様子については、杉浦自身が同年続いて出版された『腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』(2006、中央公論社)の中で次のように述べていることからもわかる。

二〇〇五年五月、『AERA』の取材で東池袋を訪れたときは、ひっそりした街だった。しかし、『AERA』(05年6月20日号)が「東池袋乙女ロード」を「女性オタク=腐女子のメッカ」としてカラー四ページで大きく記事にして以来、『産経新聞』、『週刊文春』、『SPA!』、『日経トレンディ』などがこぞって東池袋を取り上げるようになった。二〇〇六年には、冒頭の「出没! アド街ック天国」をはじめ、TVでも頻繁に特集が組まれた。(杉浦、2006b: 4)

 この時期の主な「腐女子」に関するメディア上の言及を上げると、「出没!アド街ック天国」池袋東口・乙女ロード特集(2006年6月)、『妄想少女オタク系』(2006-2010)、『となりの801ちゃん』(2006-2010)、『腐女子彼女。』 (2006-2007)などのコミック(エッセイ)、『ユリイカ』における2回の特集(2007年6月臨時増刊号「腐女子マンガ大系」、同12月臨時増刊号「BLスタディーズ」)、『ダ・ヴィンチ』「見ないで!私たちの秘密の花園♥ボーイズラブ大特集」(2007年11月)、テレビドラマ『腐女子デカ』(2008)、杉浦由美子『101人の腐女子とイケメン王子 腐女子〈恋愛観〉研究』(原書房、2009)などである。

 このような状況に関して、2000年代のマスメディア上の「腐女子」言説について、西村(2010)を参考に大宅壮一文庫データベース、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞の各データベースで「腐女子」というキーワードを用いて記事タイトルを検索した結果、表2のようなデータが得られた。

 2000~2003年までは1件を除いて「腐女子」に関する言及はないが、2004年から「腐女子」に関する言及が増え始め、2006年からは15件にまで激増した。さらに、 2008年から「腐女子」と題されたいわゆるグラビア記事が登場した(注8)。これらの多くは女性アイドルグループ・中野腐女子シスターズによるものである。

 一方で、『ダ・ヴィンチ』2000年5月号の巻頭特集「恋、エッチ、同性愛、私が目覚めたこのマンガ」の中に、「「同性愛」「やおい」に目覚めた、あの日 」という記事が確認できる。ここでは、「同性愛」に目覚めることと「やおい」に目覚めることが同列に扱われていることから、石田仁(2007)が指摘するゲイ・ブームと「やおい」の同一視はこの時点まで残っていたことがわかる。
 よって、言説の転換は2001~2003年が境になることが推測され、これは西原(2010)の調査結果と一致している。また、グラビア記事の登場については、次の節で詳しく述べる。

 これらのメディア上での「腐女子ブーム」と同時に、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉研究の本格的な隆盛も起こった。批評としては2006年の三浦しをん『シュミじゃないんだ』が先駆的存在ではあるが、2007年のうちに2回『ユリイカ』で特集され、うち一回が「BLスタディーズ」と題されていたことからも、当時〈女性向け男性間恋愛フィクション〉研究に注目があつまっていたことがわかる。
 金田(2007: 53)は、「心理学的やおい論はやおいバッシングを背景に登場したが、ジェンダー論的やおい論は特に00年代多くのマンガにやおい好きの女性が登場するなど、やおいという領域が以前ほどは「問題」や「逸脱」としてとらえられなくなった社会状況下で発生」したと述べており、また金田と三浦が対談の中で『コミュニケーション不全症候群』への反発をあらわにしていることから(三浦・金田、2007: 12)、この時期の研究は「腐女子ブーム」と連動し全体として〈女性向け男性間恋愛フィクション〉への偏見を排し、より肯定的にとらえようとする試みであったと考えられる。

3.「男性と交際する」「普通」の「腐女子」像

 本節では、「腐女子ブーム」を通じて〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を愛好する女性が「普通」の女の子として構築されていったことを論じる。

 前節では、2008年以降、「腐女子」と題されたグラビア記事が多く登場し、それらはおおむね中野腐女子シスターズというアイドルグループによるものであったと述べた。中野腐女子シスターズというアイドルとそのグラビア記事を成り立たせていた前提とは何であろうか。

 杉浦が自らの著作の中で「腐女子」を一貫して従来考えられていたような「オタク女性」とは違う、ポジティブなイメージを描き出してきたことは前述のとおりである。そのような杉浦の主張が良く表れている部分を以下に引用する。

「しかし、腐女子が閉じているのは趣味の世界だけ。それ以外の部分では普通に学校に通い、普通に就職し、普通に恋愛や結婚をし、普通に生活しているのです」(杉浦、2006a: 36)
「腐女子の場合は多くが「非オタク」の女性同様に恋愛やセックスを楽しんでいます。(…)腐女子にとって、妄想や萌えは現実の代償行為ではないのです」(同: 99)
「腐女子のほとんどが異性愛者。(…)妄想では異次元を体験したいから、「同性愛」を求めるのです」(同: 101)
「だって、やはり、異性愛者の女性は「男の子が大好き」だからです。なんて健康的なんでしょう!」(同: 105)
「腐女子は、恋人にするにしても、嫁にするにしても素晴らしい」(同: 168)
「私たちオタク女子はあくまでも腐っているだけで、女を捨ててはいないのです。恋愛至上主義ではないけれど、恋愛市場から降りてはいません」(同: 217)

 杉浦のこのような主張は作中でしばしば「負け犬」女性らと対比して行われる。
 エッセイストの酒井順子は著書『負け犬の遠吠え』(2003)の中で、三十代以上・独身・子なしのキャリア女性が、仕事に打ち込むことで充実感を感じていたとしても、世間、特に年配の男性からはネガティブにとらえられると言い、そのような状況をうまく切り抜け、女性にエールを送るため、あえてこのような女性たちを「負け犬」と呼んだ。このような「負け犬」は男女雇用機会均等法改正(1999年)や男女共同参画社会基本法(1999年)の恩恵を最も受けていた存在と言える。

一方で、杉浦の言う「腐女子」は、これとは対照的なものとして描かれる。キャリアを追い求めるわけではなく、「自分磨き」のため高給を芸術活動に費やすでもなく、しかし身だしなみは人並みにきちんとしていて、そのチャンスがあれば恋愛し、結婚する女性としての腐女子は、杉浦自身、「前著の『オタク女子研究』が、予想外に四十代・五十代の男性たちにも好評だった」(2006b: 203)と述べているとおり、「負け犬」が「年配男性ウケしない」存在とされたのは対照的に、年配の男性に好意的に受け入れられたようである。
 ここでは、フェミニズムの成果としての「負け犬」女性と、それと対比される「腐女子」という構造が杉浦によって作り出されていることがわかる。

 また、この時期、「腐女子」を描いた『妄想少女オタク系』(2006~2010)(注9)、『となりの801ちゃん』(2006~2016)(注10)、『腐女子彼女。』(2006~2007)(注11)という3作の作品が一世を風靡した。このうち『となりの801ちゃん』と『腐女子彼女。』は、交際する男性の目を通して「腐女子」が描かれるエッセイである。また、『妄想少女オタク系』も、「腐女子」の留美と彼女に思いを寄せる同級生の阿部が、最終的に交際に至る物語である。
 Hester(2015: 183-184)によると、これらの物語は「腐女子」の〈女性向け男性間恋愛フィクション〉への熱中が、異性愛男性との恋愛において障害として設定され、それを乗り越えて恋愛の成就、すなわち幸せに至る構造になっている。

 このように、「腐女子ブーム」における「腐女子」言説は「(男性と)恋愛し、結婚し、出産する」という異性愛規範を反映しており、それが「普通」という言葉と結びついて語られている。
 正常(normal)/異常(abnormal)の区分が、異性愛/同性愛の区分と結びつけられていることはクィア理論の基礎的な認識であり、何が「普通」であるのかという問いは実際には非常に政治的な意味合いを伴うが、この時期「腐女子ブーム」で「腐女子」が「普通」の女の子であると主張されたことを理解するには、その前提を理解する必要がある。

 前述した西原が示唆する「やおい」と「オタク」の異常性を結びつける図式や杉浦が自著の前提として語る「オタクの女性はブスでモテない」という偏見、中島(1991)をはじめとした心理学的やおい論者たちによる「男尊女卑の社会に適応できない、女性一般から逸脱した女性」という主張、最も先鋭的なものでは「やおいを好む女性は性同一性障害である」という誤解(榊原、1998)(注12)などの前提があり、これらを覆すものとして「普通」の女の子としての「腐女子」言説が、「偏見を解消し、真実を明らかにする」という意味合いで広く拡散していったのである。

 一方で、このような「普通に恋愛し、結婚する」「腐女子」という言説によって、別の現象も引き起こされた。
 吉本(2007)は、女性と交際する機会を持てないオタク男性が腐女子を恋愛・性愛の対象として見るような風潮があると指摘し、その代表的なものとして『僕たちの気になる腐女子』(オークラ出版、2007)と『はっぴー腐女子』(ホビージャパン、2007)を取り上げる。

 これらの書籍はどちらも、オタク男性向けに出版されたもので、「腐女子」と交際することのメリット・魅力を中心に取りあげている。例えば、『はっぴー腐女子』の帯には、「ぜーんぶ実話!腐女子かわいい!ハッピーでラブラブであるあるな腐女子たちの恋愛事情が満載!」とあるが、実際に創作やステレオタイプに基づく作品が散見される。

 『僕たちの気になる腐女子』では、前半では「腐女子」の研究に取り組んでいるものの、後半に至ると「どうやったら「腐女子」を卒業できるのか?」「腐女子であることをカミングアウトさせるにはどうすれば?」「腐女子とのセックスを「萌え萌え」で楽しむには?」など、「腐女子」といかに効率よく恋愛・性的関係に持ち込むかというノウハウが取りざたされている。この書籍のあとがきには以下のような文章が掲載されている。

「フェミニズム運動の成果なのだろうか、女性の権利、地位は上昇し、今は「男女平等」の時代。ここに来るまで、女の人はいろいろと頑張ってきたのだと思う。
そして、未だに女の人は頑張り続けている。
一方で、社会には「男が女を守る」という社会通念がある。だから、僕たちは女の人が頑張っている以上に頑張り続けなければならない。でも……………………ごめんなさい、ちょっと疲れてしまいました。疲れた僕たちに向かって女の人たちは「ガンバって!」とエールを送ってきます。
頑張れば私たちとつき合えるのよと………。
ごめんなさい、やっぱり、やっぱり疲れてしまいました。
そんな僕たちの前に「別に頑張らなくてもいいじゃん」といってくれる女の人が現れました。「腐女子」です。
彼女はステキな女性です。時々男友達と遊んでいると、なぜか「浮気したわね」なんていわれてしまいますが、そんなの大目にみますよ。やっぱり、やっぱり僕たちは「腐女子が大好き」です!」(95)

 『僕たちの気になる腐女子』では、杉浦の『オタク女子研究』における「負け犬」と「腐女子」の対比を引き継いだ、フェミニズムの成果である「頑張らないと付き合えない」女性と「頑張らなくていい」「腐女子」を対比し、男性との恋愛において後者を評価するという方向性が見て取れる。

 このように、「腐女子ブーム」によって構築された「普通に恋愛し、結婚する」「普通」の女の子である「腐女子」は男性(特にオタク男性)によって、恋愛の対象として理想的な存在として見なされたことがわかる。

 しかしながら当事者たちは当時からすでにこのような状況を正確に把握していたようである。金田淳子と山本文子は『ユリイカ』の対談の中で以下のように語っている。

金田「男性作者という現実の男による承認のない、素のままの腐女子では、ダメだったんだろうなと思っています」
山本「その反映として、腐女子なら自分の「オタク」な部分を理解してくれるというのもある」(三浦他、2007: 20)
金田「「腐女子ブーム」と「BLブーム」はまた別だと思うんですよ。『801ちゃん』や『僕たちの気になる腐女子』を買っている男の人(…)ただ彼らの新しい萌え属性として腐女子というものが出てきている感じ」
山本「腐女子の好物としてBLがあるという知られ方ですよね」(同)

 金田は、「腐女子」がブームになり、社会に受け入れられた背景には、「現実の男による承認」が必要だったと述べており、それに対し山本はその反映として、オタク男性が「腐女子」に恋愛の相手として理想的な部分を見ているとしている。
 また、金田は「腐女子ブーム」と「BLブーム」が別であると語り、山本は人々の集団や類型としての「腐女子」と、その趣味の対象としての「BL」というとらえ方をされていると述べている。
 ここでは90年代までのある作品・コンテンツとしての〈女性向け男性間恋愛フィクション〉とその受容者という捉え方からの主客逆転現象が起きていることがわかる。
 一方で、確かに「腐女子ブーム」と「BLブーム」の間にはある程度の乖離があったと思われるが、「腐女子」を肯定的に評価しようという同時代的な空気に貫かれていたことは重要である。

 以上から、「腐女子ブーム」において、従来のネガティブな印象を脱却するため、また交際する男性の目を通して描き出される中で、かわいいが手の届くオタク女子であり、「男性と普通に恋愛し、結婚し、出産する」「普通の女の子」としてジェンダー役割・異性愛規範に適合した「腐女子」像が誕生し、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉はその趣味の対象とみなされたことがわかった。

脚注

1 山岡の研究について、北田(2017)など批判も多く、筆者も研究として信頼できるものと考えてはいないが、研究の準備段階には示唆的な点もある。本研究では、山岡の個人的な所感とそれに対する研究手法・定義の構築プロセス自体を参考にした。
2 山岡の研究の中では「耽美群」は数が圧倒的に少ないため、分析の対象にはなっていないが、どの調査でも数%必ず存在していることがわかる。
3 西原は、〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を総称して〈やおい〉と呼んでいる。
4 金田は〈女性向け男性間恋愛フィクション〉を総称する言葉として「やおい」を用いている。
5 実際には、2002年『SPA!』「なんじゃこりゃ!?的「現代ウラ用語の基礎知識」  爆発的に増殖するネット系用語 BtoB、炉利、腐女子、モームスする、妊娠・出川、実況、ウヨ・サヨ、他」が筆者が発見できた初出。
6 「萌える女オタク」『AERA』第18巻32号(2005年)、pp.42-45
7 本書には研究書としての性格がないこと、腐女子に対する偏った見方など、多くの点で批判が集まっており、筆者もこの本を二次資料として扱うべきではないと考える。一方で本書自体が「腐女子ブーム」を作り上げた存在であることは疑いようもなく、当時のメディア状況や言説を探る一次資料としては欠かせないものである。
8 今回グラビアとして計上したのは、女性の水着・下着・ヌード等の姿を撮影したものと明確にわかるもののみで、風景写真等は計上しなかった。
9 紺條夏生による腐女子を主人公としたラブコメディ・マンガ。
10  小島アジコによるエッセイマンガ。「腐女子」の801ちゃんと交際する男性・チベットくんの目を通して、彼女の生活が描かれる。
11  ぺんたぶによるエッセイ。主人公である「僕」の目を通して「腐女子」の彼女であるY子の生活が描かれる。
12 ただし、「〈女性向け男性間恋愛フィクション〉に描かれる男性は女性の分身」「攻、あるいは受に感情移入(あるいは同一化)する」という言説が多いことも原因の一端として考えられる。

参考文献

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金田淳子(2007)「やおい論、明日のためにその2。」『ユリイカ』(総特集BLスタディーズ)第39巻第16号(2007年)、48-54
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――『101人の腐女子とイケメン王子 腐女子〈恋愛観〉研究』原書房、2009
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三浦しをん・金田淳子「「攻め」×「受け」のめくるめく世界 男性身体の魅力を求めて」『ユリイカ』(総特集腐女子マンガ大系)第39巻第7号(2007年)、8-29
三浦しをん・金田淳子・斎藤みつ・山本文子「二〇〇七年のBL界をめぐって そして“腐女子”とは誰か」『ユリイカ』(総特集BLスタディーズ)第39巻第16号(2007年)、8-25
溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』太田出版、2015
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「萌える女オタク」『AERA』第18巻32号(2005年)、42-45
「「同性愛」「やおい」に目覚めた、あの日」『ダ・ヴィンチ』第75号(2000年)、24-27
Hester, J.T. (2015). Fujoshi Emergent: Shifting Popular Representational of Yaoi/BL. In McLelland, M., Nagaike, K., Suganuma, K., &Welker, J. (Ed.). Boys Love Manga and Beyond: History, Culture, and Community in Japan (169-188). Jackson: University Press of Mississippi. 

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 修論抜粋は以上になります。

 実際の修論では、このあと、このように「普通の女の子」として立像されてきた「腐女子」像とはうらはらに、実際にBLを愛好する人々が、異性愛規範・ジェンダー規範に適合した存在としての「腐女子」に重なりながらも内部に、あるいははみだしつつ外部に、今までもこれからも存在してきたこと、そして「腐女子」由来の文化と非異性愛規範的な性の文化のクィアな連続性があったこと、しかしそれが隠蔽され、分断されてきたことについて書いています。

が、それはまたの機会に話せたらいいなと思ってます。

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