わちゃわちゃ回顧録

 私は今日で10代最後の日を終える。明日からは20代の私になる。だからなんだというわけではないが、しかし、だからこそ、今年一年をちょこっと振り返ってみようと思う。

 私は今大学生である。大学生は基本的に勉強バイトサークル恋愛ラーメンからなる五行説に基づくという立場を私はとる。この五行説に従うなら、今年もやはり勉強が最も重きを占めた。なんやかんや学ぶことが一番面白い。幸か不幸か、もうすっかりそういう体になってしまった。今年新たに学んだことを列挙するとキリがないが、ひとつ言えるのは、「学びに対する姿勢は去年から大きく変わらなかった」ということだ。自分の原点のようなものはある程度固定され、順調に根を張り、そして幹を、枝葉を伸ばせている感覚がある。しかし、根を張るというのは同時に「その場で硬直化してしまう」危険性がある。自分にとって心地の良いもので周りを固め、それらにがんじがらめになり、あまつさえ自分自身の考えに縛られるなどということがあっては悲劇以外の何物でもない。内なる矛盾を飼い慣らし、外の未知の世界に常に開かれていくべしという格率を設け、ある時は東京まで新幹線で、ある時は大学で行われているアヤシゲな催しに顔を出し、様々な知見を得ることが出来た。

 今、学びの姿勢として木の比喩と外に開かれるという2点を挙げたが、これらはある繋がりを持っている。それは「何らかの仕方で動く」ということである。これは文字通り空間的な移動も含むが、より広く、様々なものを自ら積極的に取り入れるというくらいの意味である。本を読んだり授業に出たりするだけではつまらない。色んな世界がある。それを知るために動いてみようと思ったわけだ。ただ、あんまりこのようなことを書きすぎると、私が好きでは無い意識高い系のようになってくるのでここら辺にしておこう。
 一方、志ある大学生は何らかの仕方で動いている場合がほとんどだが、単なる感傷によって同じ地点を動き続ける人や、止まり方を知らないゆえに動き続けた結果、歯車が狂って心身に不調をきたすというパターンもある。私は志ある人とは全く言えない(笑)が、今年一年で原理的に心身に不調をきたさないような在り方を確立できたように思う。止まり方を確立したという風に言い換えても概ね問題ない。これは大きい。なぜなら、私が哲学をやる一つの理由にもなっていたからだ。実存的問題に一定の仕方で折り合いをつけたということは大きな一歩だ。20代の私は、より本来的な在り方で他者に開かれるだろう!

 さて、何を書いているのか自分でもよく分からなくなってきた。この言葉を読んでいるあなたに感謝しつつ、筆を進める。

 勉強に関連すること(普段から考えていること)を書き始めると、あっちにいったかとおもえばこっちに急旋回というようになってしまう。私の中ではたしかに繋がっていて、文脈もあるのだが、多分あなたから見ると急旋回の連続になっている。文章はやはり難しいななどといういつもの場所に帰ってくる。

 さて2、今年一年、ぼちぼちええ感じにやってこれたように思う。大きな病気や怪我もなく、無事にやってこれたというのが何より大事だろう。完全に書く順番を間違えた。そして、そうだ、引越しをしたというのも大事なことだ。通学時間が1時間半から5分になった。まさに革命だ。それに伴い、日常が狭くなった。これまで広がる一方だった日常が、すぽっと手のひらにおさまるようなサイズになったような感覚。そして、「手のひら」の豊かさを知った。狭いベランダから見える山や木々の四季の移ろい、散歩すると生えてくるちょっと不思議な店。今までもそこにあったのに、全く見えてなかったものが顔を覗かせる。そこに喜びを見出すことができるようになった。家族の声が聞こえない分、家はいつも静かだが、落ち着きがある。静寂の中、夜中に薄明かりで読む本もまた格別の妙味がある。今日は何を読もうかな、これを考えるのもまた豊かな日常だ。

 20歳まで残り50分、特にオチのないnoteだったが、とりあえずこれだけは言っておこう。今年一年、多くの人のおかげで素晴らしい一年を送ることが出来た。本当にありがとうございます。来年も、これからも、気合と愛を忘れず、ぼちぼちやってこうと思います。

良いお年を!

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?