町中華と国際情勢

 餃子でも、ラーメンでも、炒飯でも。なんでも良い。とりあえずテキトーに、その日の気分で。ありがたいことに、町中華は財布に優しい。野口が1枚(人)お亡くなりになりあそばすだけで済むことがほとんどだ。

 何年この町と共に歩んできたのだろう。もしかすると私が産まれる前からかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そこにはどんな履歴があるのだろう。今僕が座ってる席に昨日は誰が座ったのだろう。10年前には誰が座ったのだろう。もしかするとまだ𝐵𝐼𝐺になる前の誰かが座っていたかもしれない。いや、きっとそうだ。一人くらい誰かきてるはずだ。知らんけど。まあ、別に来てなくてもNo problem.

 おっさんと、学生と、カップルとが思い思いの時間を過ごしている。穏やかな時間が流れている。昼のワイドショーが流れている。店自体決して大きくないが、それにしても少し小さいテレビから。なぜか町中華のテレビは、店に入って右奥角の上の方と相場が決まっている。知らんけど。代わり映えのしない昼の顔たちが、日々変わる国際情勢を一丁前に論じている。きっといつもこうだった。国際情勢はいつもBGMの役割しか果たしていない。少なくとも、町中華の店内では。

 ハマスも、プーチンも、リーマンショックも、全てがここではBGMだった。リアルな影響なんてせいぜい、なにかの材料が高騰してますくらいのもんだろう。町中華には町中華の世界がある。その世界は、より広い世界と確実につながっているけど、真っ直ぐつながってはいない。もちろん、僕らはこれらのBGMに何らかの仕方で向き合わなければならない。傍聴者であっては決してならない。傍聴は陳腐な悪になりうる。でも、今はこの町中華という箱庭の中で、美味い飯を喰らおうじゃないか。束の間の安寧に感謝しようじゃないか。向き合うのはそれから。腹が減ってはなんとやら。あ、このことばはあまり好きじゃない。腹が満ちたら平和が出来る。うん、こっちの方がずっといい。

 いただきます。今日は餃子定食。


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