ボカコレはなぜ「病む」か?――ただしn=1
長い前置き
ボカコレは、ボカロ界隈における一大イベントだ。
そこで上位に入れば売れる気がするし、そのために皆必死で宣伝をする。
工作や自薦が問題になるほどには、聴いてもらいたいという思いは皆同じなのである。それが多少歪んでいても。
それは、トップを目指す者だけではない。
上位に追いつくつもりもなく、頑張りすぎず気ままにと心がけていた筆者ですらそうであった。
表現者であることは、時に人を焦らせる。
自分の言葉が届かないことを、自分の存在意義が無いかのようにすら感じさせる。
その結果、動画を消してしまう人もいる。
筆者は音楽に人生を懸けてはいない。
音楽活動は好きが高じてというだけであり、大枚はたいて機材を買ったりイラストを依頼するほどの熱意も無い。
ただ、ボカロというコンテンツを盛り上げたかっただけなのだ。
そう思っていた。
しかし実際はどうだ。ランキングに入る気が無かったのに、皆が羨ましい。
楽器が弾けるだけでずるいと思ってしまう。
ボカコレは知名度向上のツールにするつもりだったのに。
自分のペースで上達していきたいという気持ちを忘れ、焦ってしまう。
もちろん、こういった場に参加している時点で嫉妬も自己責任である。
ボカコレが何かを強制したりは一切していない。
作品を公開する時点で、覚悟しなければならないことではあるのだ。
ただ、どの構造が嫉妬心を湧き立たせるのかはっきりさせておきたかった。
本編
この記事では「ボカコレの仕組みのうち、どこが悔しさ・嫉妬・焦り等(「病み」の原因)を誘発するか」について考えていく。
と言っても、誰かの意見を聞いたわけではない。
単に、自分の心情を分析したに過ぎない。
自分も「病んだ」という人には、ぜひともコメントをいただきたいと思う。
1.ランキング
真っ先に思いつくのはもちろんこれである。
順位がつくということはまさしく格付けであり、自分の価値そのものであるとすら錯覚できてしまう。
参加者数を思えば、ランク外だからといって悪いとまでは言い切れないにもかかわらず。
タチが悪いのは、これがほぼ初動で決まると言われていたり、知名度が重要であったりする点だ。
自分が伸び悩んだときに、間違った言い訳をする要因となる。
最悪の場合、有名な投稿者の作品を不当に低く評価して、自分の作品を慰めることとなる。創作活動においてこれほど不健全なことは無い。
そして、その投稿者も地道に評価されて今があることに気付き、自らの醜さに心を痛める――「病む」のである。
2.ルーキー
そのランキングについて、言及しておきたい点がある。
この記事にたどり着いている諸兄姉には説明不要だと思われるが、ボカコレにはルーキーランキングが存在するのだ。
ボカロPとしての活動が二年以内の者のみが参加するランキングだ。
これはつまり、上級者との勝負を避け、初心者同士で競うことができるように思える。
しかし実際のところは、ルーキーも大概「神曲」揃いだ。
コメント欄には「これでルーキー?」「初心者じゃないだろ」といった言葉が並び、真のルーキーを悪意なく密かに傷つける(もちろん、だからといってコメントを遠慮する必要は一切ない)。
「まあ初心者だし」とセルフハンディキャッピングをしていたところに、容赦のない現実が突き刺さるのである。
特にルーキーはネットでの活動経験が短いため、ひとつひとつの出来事を引き摺ってしまいがちだと推測できる。
実際のところ、DTM歴が長い・可処分時間が長い・楽器が弾ける・ユニットであるといった年数で区切れない部分で大きな差が生まれていることは想像に難くない。
しかし、それを追及してはきりがないし、筆者のようなルーキー自身がいくら言っても本質的には嫉妬の延長でしかない。
ただ、うかうかしているだけで貴重な二年が終わってしまう感覚というのは追い詰められた受験生とちょうど同じ感覚だ。
「次は無い」。そんな焦りが、さらに人を「病む」方へと向かわせる。
3.クオリティ
ボカコレ、それ以前にネットコンテンツはクオリティが高い。
世界中から猛者が集まっているからだ。
あまり伸びていない曲ですら、自分のものより良い曲はたくさんある。
「自分も頑張ろう」と思う一方で「どうせ自分なんか」という思いもよぎるのは当然だ。
経験が少ないルーキーであったり、年下であったりすれば尚更自分の存在意義を疑ってしまうのだ。これはイラスト界隈でもよく見かける嫉妬である(いわゆる年下絵師)。
代わりがいるのではという感覚が、また「病み」を誘うのだ。
4.自薦
今回のボカコレで、Twitterをやっていた人は印象に残ったと思われる。
筆者が初参戦した前回もあったような気はするが、今回は特に話題に上がった。
ボカコレは曲が多い。とにかく多い。
そのため、人々はリスナーとして問うのだ。
「オススメの曲を教えてほしい」と。
そして、このツイートは二種類に分けられる。
自薦を許容しているかどうかである。
自薦というのは、読んで字のごとく自らを推薦することである。
つまり、オススメの曲として自らの動画のリンクをリプライするのだ。
これは大きな宣伝行為となる。
その人は確実に聞いてくれるし、もしかするとその人のフォロワーも聞いてくれるかもしれない。
だから、特にランキング上位を狙うならやっておきたい「営業活動」であるといえる。
筆者は思った。これもある意味セルフプロデュースであり、ボーカロイドプロデューサーの仕事のひとつであると。
しかし、これには問題がある。
タイムラインがこれで埋まるのだ。
フォローしている人の中に、積極的に自薦をするボカロPがひとりいるだけで、そのサムネイルを飽きるほど見ることになる。
筆者が最新ツイートを表示しているからかは分からないが、とにかく同じ情報で埋まる。
ただでさえ情報過多なボカコレ期間で、それだけの熱意を見せられてしまえば多少「病んで」しまうのも無理はない。
余談だが、今回は関係ないツイートにまで自薦のリプライをしてしまって顰蹙を買う人が複数現れた。
それにが問題だと多くの人が感じ、自薦問題は話題となったわけだ。
これもランキングに対する熱意と必死さの表れであり、ボカロPたちがどれだけの想いを込めてボカコレに臨んでいるかという証明のひとつになった。
筆者としては、自分の意識を超える熱意にあてられた心地だった。
5.情報過多
先ほども少し述べたが、開催中はボカロPもリスナーも全力だ。
いいと思った曲は拡散し、いいねやマイリスで応援する。
そして生放送やスペース、Kiite Cafeで広まっていくのだ。
全曲周回を目標にする人はもちろん、積極的に聞きたい人は皆、情報の海に飛び込んでいく他無い。
タグを漁り、タイムラインを漁り、とにかくいい曲との出会いを望む。
競う場であるからか多くのボカロPが「深い」曲を持ってくるため、動画一つの情報が非常に大きい。
タイムラインがエモさと暗さで埋まっていく。
結果として、かなり疲れるのだ。
普段からコンテンツに入り浸っているならともかく、筆者のように新しいコンテンツに触れるのが苦手であれば、より一層「病む」原因となる。
(Twitterを閉じるべきではあるのだが、ボカコレ全体を俯瞰したツイートが興味深く、ついそれを期待してしまった部分はあった)
おわりに
コンテンツもしくは人を順位付けるというのは、いつだって「病み」と隣り合わせだ。
一方で、大きな感動を生んだことも間違いない。
そう、決してランキング自体は悪ではないのだ。
ランキングに乗るからこそ素晴らしい曲に出会えるわけだし、ボカロPの中にもランキングのために頑張れるという人は大勢いる。
(ただし、ボカコレとは違う形式を考えた結果が無色透名祭であり、それが成功していたことは考慮すべきかもしれない)
だからといって、ランキングに入らなかった筆者やあなたが無価値であるというわけではない。
少し運が悪かっただけだと言い訳をして、たった一度のことに懲りず活動を続けたいはずだ。本当は。
それでも、もし何か思うところがあったのなら、それを歌にしてほしい。
なるべくかっこよく、心に届くように。
表現に取り憑かれた我々にとって、それこそが救いなのだから。
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