生きるためのことば

甘利実乃

わたしがいつも考えていることは、外国につながりのあるこどもたちが、日本という場所でいかに幸せに暮らしていけるかということです。

そのために必要なことはどんなことだろうかと毎日考えています。

必要なことのひとつとして、ことばがあります。

しかも、そのことばは、趣味のためではない、生きていくため、生きるためのことばです。

それは、日常生活で使うことばから、学校でさまざまなことを学ぶためのことばまであります。

日本語教室にかよっているこどもたちは、皆、心の中にはたくさん言いたいことを持っています。また、同時に、聞きたいことばもたくさんあります。

それは、はじめて日本語を学ぶこどもであっても、かなり日本語ができるようになってきたこどもでも同じです。

そういったこどもたちに接する日本語教師に求められている一番大切な役割は、まずはその子の代弁者になるということです。

決して反対側の代弁者になってはなりません。

その子の言いたいこと、聞きたいことがなんなのか、よく観察し、その手助けをするようにしてください。

そして、こどもを人格のあるひとりの人間として扱ってください。

わたしも外国につながりのあるこどもとしてこの世に生を受けました。日本で生まれ、日本で育ち、国籍も日本ですが、常に外国につながりがありました。

物心が付いたころ、外国に住む祖父母をはじめて訪ねていくという話になりました。わたしはまだ、祖父母のことばはしゃべることも聞いて理解することもまったくできませんでした。

そのとき、わたしが一番伝えたかったことばを今でも覚えています。

それは、「おばあちゃん、カルピスが飲みたいよ。作って!(^_^)」ということばでした。

今から考えると、おかしな話でしょうが、それがわたしがそのときに一番伝えたかった切実なことばだったのです。こどもの言いたいことは案外そんなことばだったりします。

そんなたわいもないようなことばから、祖父母、そしてたくさんの親戚につながっていくことばがはじまりました。

自分の言いたいこと、聞きたいことに対する思いはとても強いものです。わたしのように40年以上経ってもはっきりと覚えているものです。

月日が流れ、祖父母の国に行き、投資顧問業をしている親戚のおじさんに会ったとき、わたしは、「おじさん、キャピタル・ゲインに関するこの国の税制はどうなっていますか?」と聞いていました。おじさんは目を丸くしていました。

なにを言いたいか、なにを聞きたいかは一人ひとり違います。

ですが、本当に心から言いたいこと、聞きたいことを見つけてもらい、教えてもらうことによってことばの力はぐんと伸びます。

最初はたわいのないことばであっても、それをきっかけにして、広大なことばの習得につなげていける手助けをすることが、最も優れた教授法でしょう。

ことばの教師は、ついつい教材に頼って教え込むということに注意が向いてしまいがちですが、こどもが潜在的に持っている、ことばを習得したいというモチベーションに常に関心を向け、生きるためのことばを身に付けられるように手助けしていってください。

(初出 日本語ぐるりっと ブログ 2018年8月22日)

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