ランダムな出会いが、僕たちを豊かにする
幡野広志さんの選書フェアがあるということで、妻と一緒に代官山の蔦屋書店「Daikanyama T-SITE」に行った。
Daikanyama T-SITEは本屋とスタバと美術館とTSUTAYAとファミマを魔合体させてパクチーを添えたような施設で、代官山という立地もあって大変おしゃれな雰囲気を醸している。
敷地の広さとあまりの魔合体っぷりに、最初はどこに行けば良いのか、そもそもこれは本屋なのか、と戸惑った。
書棚の構成はというと、『パターン認識と機械学習』のすぐ隣の棚に『夫婦脳―夫心と妻心は、なぜこうも相容れないのか』という本が並んでいたりする。その本も書棚にびっちり詰められているわけでもないし、高さもばらばら。著者でまとまってもいない。
まとめると、いろいろと「ゆるい」。
一見乱雑にも見える。『響 小説家になる方法』の鮎喰響が見たら書棚に蹴りを入れるんじゃないかと思うほどだ。
しばらく書棚の間を歩いていると、そんなランダムな書棚構成の中でも心地よさを感じている自分に気がついた。
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ところで、最近のサービスは僕たちに優しすぎると思わないだろうか?
僕らの周りはレコメンドで溢れている。YouTubeでは閲覧履歴を元にオススメの動画が10個ほど推薦されるし、Twitterではオススメのユーザーが出てくる。TikTokなんか強烈なパーソナライズが利いているから自分の好きな動画しか出てこない。noteだってそうだ。記事の一番下にオススメの記事が並んでいる。
僕たちの好みを汲んで、これはどう? あれはどう? とあの手この手で勧めてくれる。似たようなコンテンツが次々提示されるから、自分の好みを深掘っていくのに困らない。
でも、レコメンドが利いた世の中では、自分の視界が広がっていく気持ちよさを味わうことが難しい。自分の視界を広げていこうと思ったら、自分の領域の外に出てみなければいけない。普段は読まないであろう本を手に取り、聴かないような音楽を流さなければいけない。
レコメンドエンジンが開発される前、僕たちはランダムに情報を得ていた。コンテンツの増加に伴ってレコメンドエンジンが開発され、次第にレコメンドがあるのが当然になった。そんな今、ランダムが心地良く感じるのは逆説的で面白い。
レコメンドに慣れた僕たちが、次に欲するのは「ランダム」ではないか?
もちろん、ただランダムに目の前にコンテンツを差し出されたところで僕たちは手に取らないだろうから、手に取らせる仕組みが必要だ。書店ならポップかもしれないし、帯かもしれない。赤の他人に突然「これを読め」と手渡されるのでもいい。
僕が「note編集部のマガジン」が好きなのは、僕と関わりのない人がまとめた、(僕にとってはランダムな)記事を延々と流してくれるからだ。
蔦屋書店で感じた心地よさも、きっとそのランダム性によるものだろう。新しい世界に自然と誘うような構成。本と本の間に隙間が空いているのも、遊び心をくすぐる。
偶然の出会いが、僕の生活を豊かにしてくれる。
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