坂口さんのこと

 それを知ったのは、つい最近の話だ。なんでも、個人で「いのっちの電話」というのをやっている男性がいるとのことで(なお、男性の名前がいのっちというわけではない)、一般の死にたくなってしまった人たちから多くて一日100件(!)もの相談を受けるのだとか。それをもう十年もやっている人がいると、なんだかそんな感じのネット記事を読んだ。

 へぇそんじゃ掛けてみようかしらん、などと思ったが、坂口さんは忙しそうなので、やめた。私だってたまには死にたい夜もあるが、とりあえず今日も生きているんだし。そういうわけで、電話を掛けてみる代わりに読んでみた。

 坂口恭平著 「幻年時代」

 自伝的小説とは言うが、すべての小説は嘘でありそして必ずいくらかの真実を含む、というのが私の信念だから、そのように読ませていただきました。幼年から少年へとさりげなく成長してゆく坂口さんの「暗号」。あの時アホな歌を大声で歌っていた小学生の男子は内心こんなことを考えていたのだろうか、とその妙な繊細さに驚いてしまった。

 主人公の恭ちゃんは団地の子。よくいる普通の子の中ではちょっとヤンチャで、たぶん、なにかのこだわりが強い。変に意固地だったり、でも学校の勉強はよくできたり、そのわりに忘れ物ばっかりしていたりするけど、それでもやっぱり、客観的には「普通の子」だ。大人になった彼がそうであるように、何もかも全力でやる。驚いたのはこの「普通の子」がとてもよく「環境」を観察していること。

 子どもにとっての「環境」って、親やきょうだいや友達や先生や、とにかく人間関係が中心だと思っていたけど、恭ちゃんは「都市」だの「家」を見ている。住環境として林だったり海やプールや、団地やドブ川を観察している。その中で遊びながら、確かな存在感のようなものをつかみ取っている。

 だからそういう子どもが、小学生のうちに建築平面図を引き出したのに、疑問は何もなかった。このひとにとって「住」というものが本当に大事なんだな、そしてそれはこんなに小さい頃から、ひょっとすると喧嘩の多かった両親のことよりも大事なことなんだなと思っただけだ。その代わり、このテの回想に絶対出てくる「食べ物」の話を、恭ちゃんはほとんどしない。この本の中で恭ちゃんが食ったのは公園のアリだけだ。ガムや林檎を持って出かけた描写はあるけど、うまいとかまずいなんかは言っていない。

 母親の記憶と結びついているのが籐家具だなんて、とてもおしゃれだなあと羨んでしまう。私が覚えているのは、母親の作った水っぽくて何の味もしないミートソーススパゲティ。これはミートソースの味じゃないと言ったらキェーと叫んで流しに捨てられたことだから。

 恭ちゃんは色々見ている。考えている。そしてその後東京の大学で建築学を学んで、そうして今は……新政府初代内閣総理大臣として「いのっちの電話」で国民と対話し続けている。

 たいそう変わった、でも素敵な大人は、こんな幻年時代を過ごしてきたのか。次はどんな時代を創ってくれるだろうか。
 坂口恭平さんから、目を離さずにいようと思う。なかなか男前でいらっしゃることだし。

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